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【選手記事】#3 末木奏大 「出来ないとは言えない。やるしかないです。」

'25年。リーグ優勝・日本一を勝ち取ったピーファウルズ。その年のドラフトで末木は指名された。指名順位は4位。高校生ということもあり、「即戦力」という位置付けではない。数年後のレギュラーを目指してーー。球団も、ファンも、本人でさえもうっすらとそう感じで、「プロ野球選手・末木奏大」の物語は幕を開く。

末木がプロスカウトの目に留まり、ドラフトで指名される要因となった大部分は、守備の判断の良さ、そして肩の強さであった。'26年・ルーキーイヤー当時に二軍監督を務めていた横尾八雲も、「守備だけで言えば結城(直樹)や山畑(正太郎)の守備固めに一軍に送っても良い」と判断を躊躇うほど、身体能力は高かった。それだけに、「打撃をしっかり鍛えて、数年間外野手には困らないチームを作る選手にしたい」という気持ちは、横尾もフロントと一緒だった。2年目に一軍を経験、3年目には早くもシーズンの半分以上の期間で一軍に帯同。83試合に出場し、打率.246。初本塁打を含む2本の本塁打も放ち、順調なキャリアの経験を積む。

転機は4年目のシーズン前。チームはドラフト1位で大型高卒外野手の澄川大和を獲得。末木との違いは、左打ちであること。長打力があること。そして、高卒選手ながら「即戦力」として期待されたことだった。

「自分を見失いましたね。『起用されるには大和より勝ってなきゃいけない』って思い込んだんです。スイングも、身体も大きくしました。」

その年の開幕スタメンには末木の名前は無く、澄川が入った。チーム内の競争に負け、己にも負けた。

「そりゃ身体もおかしくしますよ。自分のバランスや、3年間積み重ねた動きを根本から変えちゃいましたから。」

追い求めた長打でさえ、この年は0本塁打。低打率ながら15本塁打を放った澄川とは、自分は比べてはいけない。それを認められなかった。

長打を求めすぎることは出来ない。でも、守備の人として控えに回るのも悔しい。いつしか入団時に想定した「数年後」のレギュラー奪取へは、もう多くの時間は残されていなかった。

「このチームは補強への迷いが一切無いと思う。不足してると感じたポジションへは、躊躇わずに補強されてしまう。隙を見せたらすぐに構想から外れるという焦りはありました。」

澄川の獲得以降も、'29ドラフト2位は、巧打が自慢の高卒外野手・牧山健介。その後も、トレードで大宮から移籍した池田奏介、俊足巧打のL.グリーンと、豪打のS.コトー。外野手のレギュラー争いは、常に熾烈だ。それでも与えられた出場機会で地道に結果を残し続けた。5年目の'30年以降、全てに100試合以上に出場、300打席以上を任された。

「スタメンだけがレギュラーじゃない。一軍の戦力に末木が必要不可欠、と思ってもらえる戦力になって、チームに貢献したいという一心で、ガムシャラに喰らい付いてました。」

不慣れなセンターにも挑戦。昨年'33年には、鍛錬を重ねた打撃が開花し、.285、12本塁打を記録。クリーンナップを任される機会も増えた。晴れて「エブリデイスターター」としての「レギュラー」を任されての'34シーズンが始まる。池田・グリーン・コトーはこのオフに退団。「山畑・末木・澄川」の3選手をレギュラーと位置づける球団からの信頼も厚く、伴う責任も大きくなる。

「自分だけ規定打席に到達したことが無い。1年間スタメンで出場し続ける難しさも知らない。それでも、出来ないとは言えない。やるしかないです。」

今季に懸ける想いは誰よりも強い。外野手激戦を勝ち抜いた若武者が、結果を示す時は、今だ。

【TIPS】チームメイトに聞きました。「末木 奏大」ってどんな人?!


#18 海野 竜明(ドラフト同期・海野は大卒入団)

「わかんないです(即答)。逆にどんな人だと思います?(笑い)割と長い時間一緒にしてると思うんですけど、表情が変わらない。話は野球のことも関係ないことも出来るんですけど、心が読めない。そんな男です。」

#25 澄川 大和(同じ右翼手)

「自分と奏大さんがどっちがセンター行くって話しになったときに、『大和がセンター嫌そうなんで自分がセンター行きます』って言われたのを覚えてます。(センター嫌なの?)そんなこと1回も言ったこと無いです(笑い)。」

#16 須藤 佑哉(現キャプテン)

「自分に決定権があるなら、次のキャプテンは奏大と思ってます!!」


※この記事は9月1日にtelegraphで公開されたものと同じです。

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