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トウキョの東京見物 飛鳥山

JRの王子駅で降りて、飛鳥山あすかやまへの出口がどこなのかよくわからないまま当てずっぽうに出てみると石畳だった。地元の古い不動産屋さんが、軒先に物件の間取り図を貼り出している。家賃3万円台のアパートからある。日焼けした間取り図を眺める。東京で最初に住んだ三鷹の風呂無しトイレ炊事場共同2万円のアパートを思い出す。大家さんの家の庭に建てられた4部屋だけの小さなアパート。1階の2部屋は大学2年の私と、美大に通う同い年の女友達。2階には社会人の男性2人。電話は玄関にあるピンクの公衆電話を住人4名が共同で使っていた。

公衆電話にも電話番号があって、そこにちゃんと電話がかかってくる。1階の住人が電話を取ったら、2階の人に電話ですよと声をかけて取り次ぐ。2階の男の人のうち、1人はほとんど姿を見ることがなかったが、緑色の間接照明が窓から見えていたので、私たちは「ムードさん」と呼んでいた。間接照明でムードを醸し出している人という意味だ。私たちは階段の下から「ムードさん、お電話ですよー」と言ってケラケラ笑っていた。

王子駅周辺が懐かしい空気をむんむんに醸し出しているせいで、長い回想シーンになってしまった。春の昼下がりに回想に身をまかせるのはたいへんに心地良いが、その誘惑に負けずに意識を現在に持ってくる。王子駅近くの水のない川には立派な水車がある。もしかしたら大雨の時などには川に水が流れてこの立派な水車もくるくる回るのかもしれない。川べりも立派な石垣で、桜の花びらが散っている。水車のすぐ横に男女が向かいあって座っている。

ここはまだ飛鳥山ではないが、何だかとても落ち着いた風情があるので何かしらの寺院またはお宮の参道の延長かと思われる。1台だけ出ているステーキ串の屋台から良い匂い。地図を見ると、この先に王子神社と王子稲荷神社があるらしい。と知ってしまうとお参りせずにはおれないが、そこはぐっとがまんする。いつも目的地に辿り着く前に、好奇心と信心深さのために時間の大半をよそで使ってしまう。だが今回は東京での時間が限られている。大人っぽく目的地に真っ直ぐ向かうことにする。

左手に丸っこいモノレールがゆっくりした速度でそんなに高くない山を行き来している。あれが目的地の飛鳥山だろう。飛鳥山に行くには何車線もある大きな道を渡らなければならないので、向こうの大きな信号まで3分ほど歩く。路面電車がカーブを曲がる場面に遭遇する。ここは専用軌道ではないので路面電車のすぐ後ろを車が走っている。

横断歩道を渡って飛鳥山に登る。登ると言っても実際は丘だ。一歩上がるごとに飛鳥山の上で繰り広げられている何事かのワイワイガヤガヤした楽しげな音が近づいてくる。それにつられて登る足取りが早くなる。登り切るとそこは桜の群生。たくさんの桜の木から桜の木へと小さな提灯が渡されている。提灯はアジアの屋台にあるような原色多色づかいで、それによって桜の花の淡い色が引き立っている。すいかに塩をふって食べるとすいかの淡い甘さが引き立つのと同じだ。

飛鳥山では老若男女が実に自由な感じで歩いたり座ったり、食べたり飲んだりしている。起伏の富んだ道に小さな丘がぽこぽことある。様々な人が自分にフィットする場所を選んで花見を楽しんでいる。まるで役者に当てがきされた台本のようだ。もちろん私と同じく歩き花見をしている人も多い。若い女の子4人が、緑色の小さな卓を囲んで麻雀をしている。そのすぐ近くで、ロココ調のドレスを着た人が写真を撮られている。ウエディングドレスを着た女の人も。ちょっと離れたところには結婚式のスーツを着た男の人も。あちこちにフォトジェニックな懐かしい感じの遊具やあずまやのようなものもあって、写真を撮られる人たちはそれらをうまく使っていろんなポーズをとっている。レトロでいい感じの写真が撮れるのだろう。自撮りしている人もたくさんいる。月曜日の昼3時過ぎという時間帯のせいか、宴会よりピクニックをしている人々が多い。何かしらのテーマが決まっているらしい、コンセプト・ピクニックをしている人たちもいる。何のコンセプトなのかは私にはわからないが楽しそうだ。夜になれば会社の宴会などあるのだろうか。もうないのだろうか。いずれにせよ昼とはまた違った風情にはなるだろう。

楽しげな人々につられて奥へ奥へと進むと、左の方に大きなウッドデッキがあった。不思議なことに、そこにはほとんど人がいない。引き寄せられるようにそちらに向かう。飛鳥山の歓声が背中からだんだん遠くに去っていく。それと比例するように、下の方からトランペットの音がかすかに聞こえてきた。ウッドデッキの手すりまでたどり着くと、そこは展望台で、眼下に線路が何本も見えた。

風が吹くたびに桜の花びらが舞う。その視界の左から、緑色の頭をした新幹線が走ってきた。そのあと、立体交差するように路面電車も遠くから走ってきた。プラレールのように小さい。私は電車については全く詳しくないから、路面電車と新幹線の線路が同じ画角に入っている光景がどのくらい貴重なのかはわからないが、調べもせずに偶然にこんな景色に当たるとは、縁起の良い初夢みたいだ。

先ほどよりもっとはっきりとした音でトランペットが聞こえてきた。頭をぐっと出してウッドデッキの真下を覗き込む。長い黒髪の人が、細い小道のどんつきで、金網に挟まれるようにしてトランペットを吹いている。18歳ぐらいの女の人に見える。彼女は真面目に音階の稽古をしている。ドレミファソラシド、ドミレファミソファラ、一つずつ、次に一つ飛ばしで上がっていき、また下がってくる。トランペットは、音色一発だけで人の心を揺らすところが、鼓に似ているな。と思い、それからしばらくして、数年前に私の前に現れた法螺貝の男のことを思い出した。あの時、法螺貝の音を聞いていたら、今ここでトランペットの音を聞いた瞬間に、鼓ではなく法螺貝について強烈に思い出しただろう。けれどあの時、法螺貝の音を聞いていたら、飛鳥山に来るという未来にはならなかったかもしれない。私はしばし、パラレルワールドについて考える。

トランペットの彼女は音階練習を繰り返している。一音一音しっかりと、着実に。なんだか胸に訴えかけてくるものがある。

かつてバイオリニストのメニューインが、アメリカツアーの際、ワシントンでのマチネーに出演するためにニューヨークの朝の列車に乗り、プルマン式の最後尾の客室で指のウォーミングアップにバイオリンを弾きまくったことがあると、著書に書いていた。メニューインほどの演奏家のものであっても、何の曲でもないウォーミングアップの音は他の乗客をうんざりさせ、苛立たしげに客室のドアを叩かれたのだという。そこで彼は目的地に近づくと、あらんかぎりの感情を込めて「アヴェ・マリア」を弾いた。その鎮静効果は絶大で、目的地で駅に降りた時にはお客から文句を言われることも石を投げられることもなかったと、ユーモア混じりに書いてあった。

バイオリンを習っていた私はメニューインのように上手になりたくて「ヴァイオリンを愛する友へ」という彼の著書を読んだ。すぐれた演奏家がどのような体調管理や体の使い方や稽古をしているのか、また精神的な鍛錬はどのように行っているのかを知的に語っている本だったが、私の印象に残っているのはこの「列車で指のウォーミングアップをしたエピソード」で、バイオリンの音色は素晴らしいメロディがあってこそ人の心を打つものなのだ、と納得したものだった。それに比べると、トランペットは素人の音階練習でも人の心を打つものがある。どうしてなんだろう。弦を擦るものと、管を吹くものの違いだろうか。

ウッドデッキから離れ、歩いて進むと、飛鳥山の説明看板があった。飛鳥山は約300年前、八代将軍徳川吉宗が江戸っ子たちの行楽の地として開き、1000本以上の桜が植えられたそうである。当時、他の桜の名所で禁じられていた酒宴や仮装も飛鳥山では容認されたので、江戸っ子たちは「討ち入りの仮装」など、様々な趣向を凝らして楽しんでいた、とも書いてある。たしかに忠臣蔵の討ち入りの仮装は楽しそうだ。今、飛鳥山でさまざまな衣装で写真を撮っている人の中にも、江戸時代に討ち入りの仮装を楽しんでいた人の子孫がいるかもしれない。そして、あいだの300年には、うなるようなファミリー・ヒストリーがあるのだ。

飛鳥山に入った瞬間から感じたこの解放感、人々の自由気ままな感じ、誰が何をしていようとかまわぬ空気は、江戸時代から全く変わっていないのだろう。飛鳥山に花見に行くということはこの自由で軽やかな空気を吸いに行くということだ。

飛鳥山という名称は、平安あるいは鎌倉時代にこの地に勧請された紀州の飛鳥明神が由来らしいが、現在は消失して狛犬だけが残っており詳しいことは定かではない。昭和の初めには古墳や遺跡も見つかり現在は博物館が三つ建っているが、江戸の頃には将軍が鷹狩りに行くただの野山だった。その鷹狩りを復活させたのも徳川吉宗だ。そして飛鳥山をシンプルに遊興のためだけに開いた吉宗の享保の改革とは、なんて素晴らしい改革なのだろう。吉宗が紀州徳川家の出であるという点も、紀州飛鳥明神が語源となっている飛鳥山とのリンクを感じてぐっとくる。きっと僧侶や神職もここではめをはずしていたはずだ。






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