見出し画像

育児の始まりは、自分を受け入れること〜子供に理想を押し付けてしまう自分〜

自分年表を書いて、母と供覧した。

自分がどういう子供だったのか、それに対し母はどう向き合ってくれたのか。よく理解できた。

まず、以前から、母から聞いていた僕のエピソードが、悪い内容ばっかりだった件について。
母としては、今振り返ると「良い子だった」「育てやすかった」と。それが主な感想で、何回か確認したが特に悪い子だったという発言は無かった。
もちろん今の僕に気を遣っているのかもしれないが、少なくとも極端に育てづらいことは無かったらしい。

特に新しく得られた情報は無かったが、気付いたことはある。

母も典型的な日本人であり、子供の悪いところを直させる教育をしようとしていたのだ。それが正しいことだと信じて。
何が正解かは誰にも分からない。明らかなのは、現実がそうだったということ。

そして、昔の僕のこと。
どうやら、我が子(5ヶ月)と良く似ているようだ。
ずっと何か、物足りない感じがある。
周りの子より一歩早く成長していて、嫌なことをハッキリ伝える。人が好きで、よくニコニコしている。

息子とまっすぐ向き合うために、「未来の息子」と対話してみたい。
そのために、「未来の息子」を思い描いてみよう。

でも、それはもちろん息子に押し付けることじゃない。
自分は、息子に理想の姿を押し付けてしまうかもしれない。そういう性格だから。
それを、まずは認めよう。そういう自分を受け入れよう。
そして、自分の予想する「未来の息子」を、明確にしてみよう。
むしろ明確にした方が、押し付けずに済むかもしれない。

「未来の息子」は、自分を幸せにするチカラがある。
そして、やっぱり人が好きだから、人を幸せにすることが自分の幸せだと気付く。
だから、自分の身の回りの人を大切にしている。丁寧に、まっすぐ向き合っている。

でもこれじゃあ、僕自身の理想と同じ。笑
結局自分大好きなんじゃん。
まあそれでもいいだろう。

他に、僕に無いもので、息子に得て欲しいもの。
それは、「根拠の無い自信」だ。
僕自身はどうしても、根拠を求めてしまう。
頑張ったから、認めてもらってもいいよね、とか、
資格があるから自信を持って発言できる、とか。

それにはやっぱり、無条件に存在を認めてくれる親が必要なんだろう。
だから、そう育てるために、自分に何が必要か。分かってくる。

子供は皆、自分勝手だ。
当たり前。そうしないと生き残れないし、むしろそれが生命力の証拠だ。

なら、自分勝手であることも仕方ないよね。
そういう風に、認めていこう。
未来の息子はきっと、言ってくれるだろう。

「ありがとう、お父さん」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?