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子供を「制御」するのではなく、支援する

1. 我が子の現状

まだ2ヶ月に満たない我が子ですが、とにかく「寝ません」。これは昼間の話で、夜は寝てくれるので助かっているのですが、とにかく昼はほぼ起きていて、親がそばに居ないと、尋常じゃないボリュームで泣き続けています。

筋力・パワーも凄いです。泣いているときにオムツ交換などすると、腕を蹴っ飛ばされ、身体を反らせて全力で泣いています。

ただ、そういう悩みを先輩パパママにしても、「あ〜、みんなそうだよ〜」とあっけらかん。確かにそうなのかも知れないが、それにしても子育ては大変だなと思います。先輩方は凄いなと尊敬するばかりです。

2. 我が子を「制御出来ない」と感じた自分

はや2ヶ月にして、子供のエネルギーは凄まじく、親も暇では無いので付きっきりになるわけにもいかず、ある程度放置したり諦めたりしながら、何とかやっていくしかないのです。

そんなとき、ふと自分が「もうこの子は『制御』出来ないな。勝手に育ってくのを、『支援』することだな」と思い、今回のタイトルに繋がるわけです。

3. 「子供には自分自身で育っていく力がある」

これは話題のモンテッソーリ教育の理念です。

親が「こうなって欲しい」を仕向けて教育を施すのでは無く、子供の育っていくエネルギーを利用すれば良いのだ、という考え方です。それに基づいて、モンテッソーリ教育では発達段階に応じた適切な「道具」を提供する、ということで様々なグッズや環境が流通しているわけです。

これには大いに賛成です。親が「こうなって欲しい」と思って仕向けても意味が無いと思います。子供に英語を話せるようになって欲しいと色々教材や教室を提供しても、子供が好きで無ければあまり身に付かないし、少し出来るようになったとしてもすぐに忘れてしまうと思います。

親が出来ることは、子供が育っていくための環境を用意することだけで、その中で子供が色々なことを学ぶキッカケになっていけば良いのだと思います。

4. そもそも自分は何故「制御出来る」と思っていたのか?

そもそも自分が子供を「制御出来る」ものだと思っていたのは勘違いだったわけですが、何故そう思っていたのかと自問自答してみました。

それは、日本の文化的価値観の中にあると思います。皆さんも普段からこういうことを耳にしていると思います。
「街中で大声で泣いている子が居たら、親があやさなければならない」
「子供のしつけは親がしっかりとやらなければならない」

そういった考えの根底にあるのは、「親が子供を制御して社会になじませるべきである」といった価値観です。我々は無意識に刷り込まれてきたのだと思います。

5. まとめ

親が出来ることは、子供に育つ環境を用意すること。制御するのは難しく、「制御しなければならない」という考えは日本の価値観に基づくもので、あまり囚われなくて良いと思います。

親は最初は全員が初心者ですから、子供が色々なことを教えてくれるのはありがたく、楽しいことです。

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