ドラえもんの話で「幸せとは?」を考えてみた。
先日、父の四十九日が無事終わった。七日七日という法要があり、その最後が四十九日。毎回ご院家さん(私の地域では「御縁さん」という呼び方をするので、以下御縁さんと書きます)が来てくださり、お経を読み、お説法をいただく。今回は四十九日のお参りということもあり、いつもより少し長めのお説法だった。
「今日はドラえもんの話をします。」
「え?お説法でドラえもん?」と思いながらも、どんな話の展開になるのだろうと少しワクワクしながら聞いていた。
お説法は、ドラえもんのある回の話から始まった。
ある夜、のび太のパパが酔っ払って帰ってきました。「帰ってきたぞ〜!」と玄関で大さわぎするパパ。ママは怒って先に寝てしまいましたが、パパの姿を見たのび太は、「そうだ、パパのママ(つまりおばあちゃん)にパパを叱ってもらおう」と思いつき、パパをタイムマシンに乗せて、おばあちゃんが元気だった時代に向かいました。
おばあちゃんが叱ってくれてパパは理解してくれると思っていたのび太でしたが、なんとパパはおばあちゃんに自分がなぜこんなに酔っ払ってしまったかを説明しだしました。部長に怒られたこと、会社で色々あったこと、日頃の愚痴など、、、。のび太はパパの意外な姿を見たのでした。
次の日の朝、何事もなかったかのように「昨日、おばあちゃんの夢を見たんだよ〜」と言いながらスッキリしているパパでした。
そんなパパを見て、ドラえもんがぼそっと言ったのです。
「おとなって、かわいそうだよね。寄りかかって甘えたりしまってくれる人がいないんだもの。」
御縁さんはこのドラえもんの言葉から、「大人になるにつれて叱ってくれる人、甘えさせてくれる人は少なくなります。大人だって甘えたい時ありますよね。そんなとき、弱音を吐けたり、『自分の生き方は全うだろうか?自分の行動は間違ってなかっただろうか?』と考えるきっかけをくださる存在が仏様ではないかと私は思っています。」と仰っていました。
昔から【お天道様に恥じない行動をしなさい】という言葉がありますが、まさにこのことではないでしょうか。
ドラえもんがいうとおり、大人になるにつれて叱ってくれる人、甘えさせてくれる人は減っていきます。私はまだ会社に叱ってくれるメンバーがいるのですごく幸せだなと思います。しかし、それに甘えることなく「自分の正しさを人に押し付けてなかっただろうか?」と自分に問う機会をくれる存在、それが仏教の世界なのかもしれません。
そうすると与えてもらったことは、次は私が誰かに与えられるようになる。
そんな社会になればすごく幸せ。
ちなみにこのシーンは「パパもあまえんぼ」という回のお話のようです。
もしよければぜひ見てみてください。
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