見出し画像

私が歩いてきた世界には「格差」が入り混じっていた。

私が歩いてきた世界には「格差」が多くあった。
それが自分の性格を作り、考え方を作り、目指したいミライを作ったと思う。あまり人には話したことはなかったけれど、ここに綴る。

私は、ある田舎の小さな自動車屋の長女として生まれた。
お客さんは地域の人がほとんど。会社は繁盛し、一人っ子として育った私は、小学校の高学年になるまでは、不自由な生活を送った記憶はない。

ところが、小学4年生のある日。
母に「これ買って!」とお願いすると、

「ダメ。」

そう返事がかえってきた。

「あれ?今までこんな返事がかえってきたことはなかったんだけどな。なんかウチの会社、怪しいのかな?」と子どもながらに思っていたが、私の直感は間違っていなかった。

その頃からだ。
会社の経営があまり芳しくない状態になってきたのは。父と母の関係性も次第に悪くなっていき、いつも喧嘩する両親を見て、私は孤独を感じていた。

中学に入ると、学校や家では「成績」を重視されるようになった。
私は母に怒られるのが嫌で、中学1年生の頃から、塾に週4で通い、必死に勉強した。今思うと、もっと青春したかったなー。遊びたかったなー。と思うが、その頃の母は「ウチはお金はないけど、あなたの教育費だけは頑張って稼ぐよ。あなたは女だけど、大学まで行ってほしいから。」とよく口にしていた。

母の期待に応えること、そして会社の経営が下降していく姿を間近で見て「教育を受けて、一人で生きていく力を身につけないといけない」と思うようになり、必死に勉強した。
(家計は火の車だったようだが、教育にお金を使ってくれた母に、今はとても感謝している。)

中学2年生の秋。私の人生の転機が訪れる。
たまたま席替えで横になった男の子(ここではAくんと呼ぶ)。Aくんは勉強が大嫌いだった。テストの点数はだいたい20点、30点。宿題はやらない、遅刻は多い。よく先生に怒られていた。
また、小さな田舎町なので、良くも悪くも情報が回る。Aくんの家庭環境も大体みんな知っている。大変なんだろうなということは、中学2年の私でも察しが付いていた。

私はAくんに興味があった。「なんで勉強が嫌いなんだろう?」と。

「なんで勉強嫌いなん?」と聞いてみた。
「だって、楽しくないし。」とAくん。

私は衝撃だった。
人は、勉強が「楽しく」ないとやらないんだ。

私は、親に怒られるのが嫌で勉強は「すべき」ことでしかなかった。
それなのにAくんは、自分の気持ちに正直に生きている。

そして気づいた。
勉強が嫌いと言っているAくんだったが、国語の点数はいつも満点に近い点数を取っていた。

「Aくん、国語はいつも点数いいよな〜?」
「そうやねん。俺、本が好きやから国語は楽しいねん。」

そこから私は、Aくんに勉強を教えるようになった。
最初は嫌そうだったが、一緒にやっていくうちになんだか楽しそうに勉強するAくんの姿を見るようになり、その姿を見て私はいつも嬉しくなった。

1ヶ月後、Aくんは数学の小テストで100点を取った。

「やったじゃん!」とハイタッチ。

私は人に勉強を教える楽しさを知った。
自分の気持ちに正直に生きる大切さを知った。
「楽しい」か「楽しくないか」で物事を見る軸もできた。

その後すぐに席替えがあり、Aくんとはこれ以降席が横になることはなかったが、一つの成功体験になったと願いたい。

Aくんと関わる中で、経済格差が教育格差に繋がることを知った。
そして、「生きてきた環境に関係なく、学びたい子どもたちが誰でも自由に学ぶことができる社会を作りたい」という私のビションを創った原体験になった。

この時の私は、「教育にお金をかけてもらえた側」の人間だった。
でも高校生に入ると「お金がなくて教育を受けられない側」の人間に変化した。((次に続く))

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?