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リバース・ビーチ

2020年。年があけたばかりの雨の日、僕の眼の前で一本のブナの木が剥かれていた。
大きな大根のかつら剥きのように、直径30センチのブナの丸太がくるくる回って剥かれ、突板と呼ばれる薄く大きな木のシートが次々と出てくる。木から流れ出した水が大きな川になって流れていくみたいに。

ブナ(ビーチ)は、その雄大で美しい姿から「森の女王」と言われる。ブナの木肌はきめ細かく木目も穏やかで控えめ、上品で明るい雰囲気を作りだす。一方、その優しい印象からは想像できないほど硬さと粘りがある。 また、保水力があり水をたっぷり蓄える反面、腐りやすく、反って暴れやすい。

ロータリーの工場では4人がかりで、愛でるように慈しむように、丹念に時間をかけてブナを剥く準備を整えてくれる。まずは灰白色と暗灰色をした樹皮を剥いていく。裸にされたブナの丸太はクレーンで吊るされて大きな機械にセットされる。まっすぐしなやかに横たわったブナの木は、昔何かの漫画で見た生贄になった村の娘のよう。
職人がたくさんある機械の刃に指を這わせて刃の出具合を確かめ、ひとつひとつ調整する。くるくると丸太が回りはじめブナの肌に刃が走ると、するすると木が剥けていく。バームクーヘンをつくる様を逆回しして見ているようだ。
丸太から肌色の滑らかな大きな薄い突板が次々に流れ出てくる。それは職人たちの手によってミルフィーユのように積み重ねられていく。突板の表面が凹凸することを工場では「踊る」という。厚いほど踊りが強い。樹種によっても違って、例えばカエデは踊りやすくケヤキは踊りにくい。このブナの突板がどのくらい踊るかはまだわからない。
剥かれた木からはスイカやメロンのような甘く瑞々しい匂いがした。

100年近く積み重ねてきたものが剥かれていく様は、時計の針を戻してブナの木が若返っているようにも見える。
ブナはたっぷりと水を含んでいる。剥かれて少しずつ小さくなる丸太の身は剥かれるほど濡れて光る。
そして次第に、木が若い時にできた傷や節があらわれてくる。節に刃物が当たると刃が欠け、刃が欠けた以降の部分には突板に傷や切れ込みが入ってしまうので、節の部分は穴を開けて取り除く。加工上節はないにこしたことはないが、節は枝のあった後。枝のない木はない。

「木は二度生きる」という言葉を思い出す。伐られてしまってこれ以上樹としては成長しなくても生きれなくても、新しく木材として生きることができる。剥かれてでてきた瑞々しい木の面は、いつだって何度だってやり直せる、と言っているようだ。
ヨーロッパブナは、ケルトの伝承では知恵と復活の生き物である蛇と関連している。ブナは未知なるものを意味するとともに、古いものの終焉と新しいものの開始を象徴している。

実ははじめてなんです、国産のブナの木をロータリー加工するのは・・・と工場の片桐さんは言う。もしかしたら日本で誰もやったことがないんじゃないでしょうか。未知のものですがなるべく丁寧に、やれるだけやってみます。
気づけば作業開始から4時間たっていた。今日はここまでにしましょう。と片桐さんが言った。まだ何枚か加工できるけど、今日は時間切れですし、必要な枚数は取れたため一旦ストップです。剥いた突板は乾燥させます。明日も雨なので少し時間がかかるかもしれません。乾いたら色がどうなるかわかりませんが、ゆっくり乾燥させるので今より少し黄色みが増すと思います。
そして最後に片桐さんは、楽しみですね、と生まれたての赤ちゃんのことを話すように言って笑った。

たった半日、木の加工の見学と記録していただけなのになんだかとても疲れた。何枚かの突板のサンプルをもらい、敬虔なる人々のいる工場を後にし、僕はブナの生えていた森に囲まれた小さな町に戻るために、雨の中車を走らせる。2020年、1月7日のこと。

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