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Lettera a un bambino mai nato (3)

Oriana FallaciのLettera a un bambino mai nato、今日は24章まで読みました(全32章)。

オリアナが妊娠したのは1975年と記述があり、お腹の子の父親であるパナグリスが亡くなったのが1976年5月1日。今読んでいるところでは「だんだん寒くなってきた」という表現があったので1975年の秋から冬にかけてのこと。電話でパナグリスに妊娠を伝えていたけれど、その後彼から一切の音沙汰がありませんでしたが、ある日、シャンパンと青いバラを持って彼女を尋ねてきます。青いバラ・・・パナグリスは生まれてくるこどもは男の子だと思っていたんですね。彼女は一晩だけ彼を彼女の自宅で過ごさせますが、二人の関係は冷え切っています。

今日読んだところでは、オリアナがお腹の子どもにこの世の不条理、欺瞞を語るところが印象に残りました。お腹の子に「おとぎ話」を語ってあげるね、と言いながら幼い頃に自身の悲惨な体験を語ります。彼女の幼少時代はファシズム政権・第二次世界大戦のさなか。いつも大人たち(教会の神父さん、学校の先生、お父さん)からは、「明日には良いことがある」と希望を持つように言われ続けていました。

しかし、そんな「今日より良い明日」なんて全然来ません。彼女がこの世に「希望などない、欺瞞しかない」と決定的に思ったのが、イタリアが降伏してからのエピソード。ドイツ軍がイタリアからいなくなりイタリアが連合国側について、やっと「今日より良い明日」が来るかと思えば、その次にはイギリス人がやってきて横暴を働き、そしてその次、イギリス人よりは人の良さそうなアメリカ人がやってきたけれどアメリカ人も横柄でした。

人々は十分な配給にもなかなかありつけず、女性は売春したり洗濯婦としてなんとか食べるものを得ていました。彼女の父親は自分の奥さんや娘にそのようなことはさせず、金目のものを売りなんとか生き延びでいました。が、ある日、ついに金時計までも売らなければならなくなります。しかし、そこで与えられたのは食べ物と汚いパンツがパンパンに詰まった箱でした。汚い下着を洗ってやっと食べ物にありつくことができたのでした。

il nostro domani non era giunto, e forse non sarebbe mai giunto. Avrebbero sempre continuato a imbrogliarci con le promesse… (中略)… Ora ti chiedo se sei disposto a correre il rischio di lavare le mutande degli altri e scoprire che il domani è un ieri. 

Lettera a un bambino mai nato (Oriana Fallaci, Rizzoli, 2010) 45-46

「今より良い明日なんて来ない、昨日が一番良い日だった」そんな世の中に、子どもたちが生まれきても良いのだろうか?・・・この言葉、今ほど社会に対する痛烈な批評になっている時はないなぁと思ったのでした。

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