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4/26 悲しいほどに ア・イ・ド・ル

「アイドル」文化には、実はそんなに馴染みがない。好きな音楽の基盤ができたであろう中学生くらいの時には、CorneliusとACIDMANとサイモン&ガーファンクルと、ドビュッシーとバッハばかり聴いていた。
そんな私がひょんなことから「アイドル」の楽曲に手を出したきっかけはV6だった。私の世代だと嵐のファンが多くて、友人のなかにV6のファンだと言う子もいなくて、両親、特に母親はJPOP自体があまり好きではなった。音楽番組も全然見ないので(音楽鑑賞といえばクラシックを流す家だった)、一人でこっそりV6の番組を見たり、友人と遊ぶ、と嘘をついてコンサートに行ったりしていた。

そうしてこっそりひっそり彼らを追いかけ始めてから、「アイドル」のすごさがわかるようになった。歌手でも、俳優でも、タレントでもない、「アイドル」という業種。明確に何をする人なのかもわからないまま、ただ「欲望の対象」であることだけが決められている「アイドル」。いや、なかなか業が深い存在なんですよね。
表象文化論としても「アイドル」ってなかなか興味深い研究対象だったりするのだけれど、そんな「アイドル」に対して、「アイドル」自身がそのあり方を歌った歌がある。

V6三宅さんのソロ曲 "悲しいほどに ア・イ・ド・ル"~ガラスの靴~ だ。

三次元・二次元問わず、「アイドル」文化を享受している人は、これの1:10:00〜からを是非とも見て欲しい。
※ ちなみに期間限定で配信されているこの2011年のコンサート「Sexy.Honey.Bunny!」(セクバニコン)は、ファンの人気もめちゃくちゃく高いコンサートだ。内容は過去にも日記で喚いているので割愛。

で、だ。
この "悲しいほどに ア・イ・ド・ル"~ガラスの靴~ は、三宅さんと普段からプライベートでも親交のあるDef TechのMicroさんが彼のために作った曲で、初めから「"アイドル"が歌うことで完成する曲」として作られている。
普段の三宅さんの会話から生み出されたという、「アイドル」論のような歌詞を見て欲しい。

どこまでが現実でfantasy,
これ?それ?
あれ?どれ?
マジ分かんない
テレビの中のme 生身のme
もはや超fazzyで
no boundary
Let’s dance tonight
Ah feel all righit
これだからやめられないのが
ア・イ・ド・ル
Wouldn’t be myself
2次元の世界で
はしゃぎ回って今日も生きている
本当は君と
何ら変わらない 普通の少年で男の子
恋の一つや二つ officialな関係
それさえも許されないの?
華やかなこの世界で
愛や夢と希望を振りまいて
演じている自分も
決して嘘じゃない

他にも「虚像とリアル その狭間で俺生きていく」だとか、「俺も君と同じように笑い 悩み 時には人知れず涙流し」だとか、「アイドル」好きにはなかなかに鋭利に刺さる歌詞ではないでしょうか。うん。
それをバリバリのジャニーズ「アイドル」が歌う、というこの業の深さたるや。

「テレビに出てる人なんてみんな虚像」とはかつてバラエティ番組で三宅さんが言い放った個人的名言なのですが、自分のラジオの中でも「"自分"なんてない。ファンが見たいように見ているだけ」といった趣旨の発言をしていたり(すみません、ここちょっと記憶が曖昧)、2017年のThe ONESコンのDocument Movie内でも「アイドルは消費されていくものだから」「俺たちは選ばれる側だから」と話していたり、ファンが気付きながらも見ないようにしていたそれを、「アイドル」が自分でぶっちゃけてしまっている。
この一連の発言だけを切り取ると、「"アイドル"に対して否定的な人」の印象を受けるかもしれないけれど、しかしこんなぶっちゃけ発言をしてしまう三宅さんが、実はグループの中で一番「アイドル」らしい「アイドル」であり、恐らく「V6を"アイドル"として存続させ続けている存在」だったりするところがまた、すごい。
というか、恐らくデビューからずっとひたすらストイックに「アイドル」であり続けているからこそ、言えるのだ。
「アイドルである」ということの「ままならなさ」、「自分の意志」よりも「他人の欲望の鏡であり続ける」ことを優先し、それをすっかり受け入れているからこそ、こんな言葉を冗談交じりに語れるのだと思う。

三宅さんは、ファンの願望を正しく理解し、叶えてくれる。100%実現することは難しくても、それを「やろう」と努力してくれる。
「本人たちのやりたいこと」と「ファンの望み」が合致しないこと、需要と供給が噛み合わない、ということは、エンタメ業界では多々あるだろうけれど、三宅さんの提案に関してはこの「ずれ」が恐ろしく少ない。まずここがすごい。
それこそ昔はたまに、やり方で失敗していたりはしたけれど、それでも「自分が何を望まれているのか」を察知する能力は昔からめちゃくちゃ高かった気がする。天真爛漫で自由人なようでいで(もちろんそれもそうなのだろうけど)、常に自分を客観視している。一歩引いたところからじっと全体を眺めて、そうして望まれていること、を正確に読みよっていく人という印象がずっとある。

そしてこれが何よりも恐ろしいのだけれど、三宅さんは今度はその「望まれていること」を、完全にトレースしようとする。「自分の望み」よりも「他者の望み」を体現することを、躊躇なく選び取っていくのだ。
そういえば、ご本人による「僕はボーカロイド」発言もあったっけ。それは望まれたことを、望まれたままに排出する機械だ。恐らくそれは本来的な「アイドル」という存在を象徴する言葉だろう。望まれれば何にでもなれる、何でもできる。ただ、望まれなければ何もできない。「選ばれる側だから」とはそういうことだ。
「そういう存在」であり続けること、は多分想像以上の苦行であるように思うけれど、でもそんな現実を明らかにした上で、三宅さんは「演じている自分も 決して嘘じゃない」と「これだからやめられないのが ア・イ・ド・ル」と歌うのだ。本当に、業が深い……申し訳なくなってくる。

何だかもう精神状態が心配になってしまうくらいなのだけれど(ただ、きっとここまで全て計算なんじゃないかとも思う。なんせ相手は虚像なので)、でもそんなプロ「アイドル」の存在が、V6という「アイドル」グループを続ける上で欠かせなかったのも確かだと思う。
V6は常に週刊誌で「解散危機」が言われているグループだ。今も個々の仕事の方が目立っているし、年齢の話をされることも多い。ただ、これはずーっと言われ続けていて、ファンとしてはもう「はいはい、ご苦労様」って感じで、気にもしてない。そんなことを心配するような時期はもうすっかり過ぎたのだ。
いや、そう「過ぎた」というからには、過去には、その可能性も大いにあった。そういう空気を、1ファンとして感じていた。
解散、じゃなくとも、脱退とか、休止、とか。そういう道を選ぶタイミングは、多分何度もあった。グループとしての仕事が、個々の仕事の「邪魔」になっていたことも恐らくたくさんあった筈だし、それこそ「アイドル」というレッテル自体が枷になっていたこともあっただろう。ただ、その選択を「努めて」取らずに来てくれたグループなのだ。
「アイドルとして誇りを持ってくれ」という言葉は、俳優業と「アイドル」の間で葛藤していた反抗期(本人談)の岡田さんに三宅さんが語った言葉として、ファンに語り継がれている言葉だけれど、多分、誰よりもストイックに「アイドル」をしている三宅さんだから言えた言葉で、そうしてこの言葉がなければ、もしかしたら彼らは今は「アイドル」じゃなかったかもしれない。そんなことすら思ってしまう。

最も「アイドル」をめぐる文化も時代とともに色々と変わって来て、「アイドル」であることが枷になることは、もしかすると昔よりも少なくなって来たのかもしれない。「アイドル」がファンの欲望を移す鏡であるなら、望むものが変われば「アイドル」のあり方も変わる。ただ、その変化には常に「アイドル」の「アイドルらしからぬ挑戦」があることも確かだろう。
「アイドル」でいられなかった時期の反抗期だった岡田さんは、しかし「俳優」を極めることが自分自身の、そして「アイドル」の枠を広げることだと信じていたのだ、多分。
そうして井ノ原さんは「"アイドル"が特定の業種を指すわけでないなら、なんでもできるし、何やってもいいじゃないか」という実にポジティブで軽やかな「アイドル」像を提示している。
V6はまず何よりも個人のやりたいこと、をやることで「アイドル」としての枠を広げようとしている気がする。そうしてそんなグループの中に、誰よりもファンの目線に立って「アイドル」を体現する三宅さんがいるというのが面白いし、ファンとしてはものすごい奇跡的なバランスだ。

V6はずっと同じ方向を向いて走って来たグループじゃない。なんなら点でバラバラだ。ただ、それでも「グループ」を維持しようと、努力してきたグループだと思っている。今は6人が6人とも、居場所としてのあの場所を大事にしてくれているんだろうな、と感じているので、ファンとして全然彼らの行く先に不安はない。
6人が楽しそうで幸せならもうそれで何でもいいし、もし今後、彼らが何か大きな決断をしたとしても、それは決して悪いことではなく、ポジティブな理由なのだと信じられるからだ。

アイドル、のあり方は本当になかなかに業が深くて、その裏側を考えるとかなり辛い。今までも、これからも「アイドル」は私たちの「欲望の表象」でありつづけるのだと思う。けれど、その「欲望」の形はどんどん変わっていくのだ。
願わくば、それが「アイドル」本人にとっても、「ファン」にとっても、いいものであればいい。1アイドルファンとしてそれだけを願ってやまない。




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