亡くなった彼女「まや」について
初めに、説明的な記事をいくつか書いていこうと思います
まずは、彼女「まや」について簡単に
亡くなった時は25歳でした
準致死性の不整脈で入院中に発作を起こし、そのまま亡くなりました
事務職をしていました
2023年4月7日の夜に倒れるその日まで普通に仕事をしていました
忙しい時期でした
3月には転勤前の職場である仙台まで日帰り出張をしていたくらいです
部屋に置いている写真の一枚は世の中がコロナで騒ぎ始めた頃、22歳か23歳の頃のものです
職場で密を避ける為に配属された場所でお互いの境遇を伝えあうため社内のLINEグループに載せたものを送ってくれたもの
以下は亡くなる1ヶ月前に仙台へ出張に行った際に撮って送ってくれた画像の一部
文字等が入ってる為、首から下の一部分を切り抜いています
彼女を送り出した親代わりと名乗る方達や弓の仲間以外の彼女を知る方に彼女が生きた最後の時間や無念を知ってもらえる事があればいいなと願いを込めて
彼女は中学生の頃、住んでいた福島いわき市で震災にあったそうです
津波で父親を亡くし、
その後、母親は「あんたのせいだ」という書き置きを遺して彼女の部屋で首を吊って自死しました
その後、親戚の元へいくもうまくいかず、
高校生になる頃、親戚から追い出される形で一人暮らしを初め、
その頃、弓をなさっている師匠という方と出会い、半年ほどしてから親代わりとして一緒に暮らしていたそうです
その後、彼女自身も弓を嗜んでいました
2023年になるかならない頃、その師匠が亡くなりました
誰にも頼れず、独り苦しみ続けている彼女を見かねて自分は寄り添うようになりました
そして、付き合うようになりました
生きるので精一杯だった彼女にとって初恋だったみたいです
それから数ヶ月間、毎日時間を共にしました
平日は朝起きたらおはよってして、仕事が始まる時間まで話していました
仕事中もLINEでちょっかいを出し合ったり、軽い話をしたり
昼は一緒にやってるオンラインゲームの中で二人で時間を過ごしました
仕事が終わったら、おかえり、ただいま、そこから寝るまで毎日話していました
休みの日もおはよからおやすみまでずっと時間を共にしていました
入院してからも毎日何時間も話していました
急変して起きていられる時間がほとんど無くなってからも亡くなる前日まで連絡は続きました
入院中、彼女はあれしたい、これしたいって未来をずっと夢見て話していました
お見舞いの許可がおりたら…退院したら…って
これまで出来なかった経験をこれからするんだって
まだしていないことが沢山あるんだから、(死んじゃ)だめだよ
と自分は言った事を思い出します
たった数ヶ月で居なくなってしまうなんて思いませんでした
入院中も毎日何時間も話をしていました
急変して起きてられる時間がほとんどなくなった最後の3日間も亡くなる前日まで連絡をくれていました
そんな恋人に翌日亡くなった途端、
葬儀からは排除され、別れの機会すら与えてもらえずに亡くなったという報告と「あいたい」という最後の言葉だけを一方的に送られて「はい、おしまい」なんて切り捨てられ方をされてしまうとは思いませんでした
入院中、会いたいとずっと頑張ってきて、
死ぬ間際に会いたいと文字にしてまで遺しながら死んでいったあの子は、
送り出した方々からは最後に生きたその時間に目を向けてもらえることもなく、
その最後に遺した言葉も「本当に会いたいと思ってたわけじゃない」なんて言われて会いたいと願い続けながら死んでいったその相手には会わせてもらえないまま送り出されました
今は海洋散骨をされ、福島県いわき市のお父様が眠る海で一緒に眠っているそうです
最後まで会いたいと願い続け、
死ぬ直前にあいたいと文字にした言葉も送り出した方々からは無視され、
その相手に会わせてもらえないまま送り出された彼女は今その海でどう思ってるいるのだろうなと思います
もしかしたら、
未だに葬儀の会場で「約束したのにきてくれてない」と泣きながらさまよい続けているのかもしれません
彼女が最後まで命をかけて想いを貫き「私のものなんだから!まやって名前を書いておくの!」って言い続け、あいたいと願い続けた相手なのですから
そして、
また約束をまもれなかった
まもる努力が出来なかった
自分がうまくやれなかったせいだ
苦しめたくなかった人を一生苦しめ続ける事になってしまった
と、今も泣きながら苦しんでいるのかもしれません
そういう子でしたので
彼女を送り出した方々の中に彼女の想いに目を向けた方が誰一人居なかった事を残念に思います
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