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勉強もできない子

私が愚かなのはまあ本当のことではあった。私は母が匙を投げるほどお話にならないレベルで勉強ができなかった。小学校中学年くらいになると、うちの血筋でここまでできないのはおかしい、何かの障害かもしれないとか言い出した。母曰く、小学校なんて勉強しなくても毎回100点を取れるのが当然だそうだ。それなのに私は、算数で0点を取るとような子供だった。普段のテストもまあ酷く50、60点。良くて80点だ。小学校6年間で90点以上とったのは数えるほどだった。当時の成績表は三段階、「よい」「ふつう」「がんばろう」。算数・理科・体育は常に「がんばろう」だった。母から言わせると、生きてく上でなんの役にも立たないと言う図工だけはいつも「よい」だったが、その他は「ふつう」、もしくは「ふつう」の隣に×の記載があり「ギリギリの普通」という評価だった。

母の言うとおり、私の家系は皆勉強ができた。特に母方は、親族みな高学歴だったし、父方の私の従兄弟たちもかなり成績優秀だった。なのになぜ私だけが小学校の勉強レベルでつまづいたのか、自分でも長年謎だった。大人になり気がついたのだが、私は不器用なのに異常に頑固で、自分が興味を持てないことは絶対にやりたくない人間なのだ。小学生の私は勉強に興味が無かったし、嫌いなことを無理矢理させられることに納得してなかった。そんな私が日本式の昔ながらな勉強などできる訳がない、そもそも何一つ授業を聞いていなかったのだから。随分後のことにはなるが、留学だけはまあまあ成功したのだ。自らやりたいと思ったことだったからだろう。

学歴厨の母には、母よりもさらに学歴厨の親友がいた。彼女の子供たちは私と違って大変良くできた。どうやらいつも何かしら表彰されているらしかった。兄弟とも勉強は学年一位、運動もできてマラソン大会等でも優勝していたし、習字もよく選ばれていたそうだ。母は私をその子供たちに会わせるのをいつも嫌がっていた。それでも年に数回は会う機会があって、その度に私は母にこう言われてた。

「あのうちの子供たちは、あなたと違って本当に賢いの!だから、特に学校の話やお勉強の話は絶対にしないのよ!馬鹿がバレたらあなただって嫌でしょ?恥ずかしいでしょ?いい?絶対に馬鹿なことは言わないのよ!」

それでもうっかり余計なことを言ってしまうのが私だった。母の親友やその子供たちは別に何とも思っていない様子だったが、母はいつも言い訳をしていた。

「困った子でごめんなさいね。一人っ子だからかマイペースで変な事ばかり言ってしまうのよ。どうしたものかしらね。」

そして帰り道、また怒られるのだ。

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