見出し画像

甲府は余白にあふれたまち??

※この内容は、2023.1.21にFacebookで投稿したエントリを、noteにまとめ直したものです。

甲府らしさ、山梨らしさとはなんだろう

甲府らしさ、山梨らしさとはなんだろう、どのようかワードで表現すれば良いのだろう、と常日頃考えています。今日、銀座通りのTO-CHIの場所を借りて、同世代とまちづくりについて色々話す機会に恵まれた(企画ありがとう!)が、その中で「余白」というキーワードの可能性を強く感じた。甲府(のまちなか)の現状や強みを表すとともに、再生のキーワードにもなり得ないか?「余白」を楽しむ、肯定的に受け入れる。「余白都市」という表現も面白いかも。

さらに、それがソフト面、ハード面双方に共通するキーワードになり得る可能性も感じ、忘れないうちにとりあえずここにまとめておこう。

ソフト面:カルチャーを生み出すには”余白”が必要

昨年9月に、銀座通りやTo-chiで開催された「ゆたかなweekend」。その締めとして、Beek・土屋さん、五味醤油・五味さん、VEJ・ミッチェさん、DEPOT・宮川さんで、甲府のカルチャー論に関するトークセッションが開催された。その中で、
・仕事とプライベートに加え、+αの活動ができる余白があることが重要
・カルチャーは作るものではなく、溢れ出るもの、
・わからないものがもっとあっても良い、
といったフレーズが印象に残り、思わずevernoteに打ち込んだ。
 ㅤ
行政の立場(自分の性格もあるが)としては、ついつい「甲府/山梨はこうです」と定義し(まとめて)説明したくなりがちなのだが、そこで線引きしてしまうと、あいまいさ(余白)を受け入れることが難しくなる。その時は、「甲府らしさ=〇〇」という関係式をあえて作らないことにしようと考えたのだが、今考えると、シンプルに「余白を肯定する」という言葉で表現できるのではないか。

ハード面:都市空間の余白(ヴォイド)を肯定的に評価する

都市空間で余白と言えば、空いている空間のことを指すわけだが、より具体的に言えば、空き家や空き地、公共空間、さらには視線の抜け(山や空が見える)など、ネガティブにもポジティブにも捉えられるワード。それらは、今、甲府のまちなかで、私たちが向き合わないければならないものばかりだ。
 ㅤ
盆地を囲む山々を見渡せるのも、晴天率の高い青空を感じられるのも、甲府の空が広く感じるのも、ヴォイドがあるから。TO-CHIにせよ、自分が進めている空き家改修(ONANDO)にせよ、あえて用途を固定しないレンタルスペースは、多様な活動の受け皿になる。甲府の不動産価格は、一般的に収益性が低いと言われる空間利用でさえ、受け入れる余地がある。パブリックスペースとプライベートスペースのあいまいな空間づくり(余白づくり)が、街並みのデザインガイドラインの要素になり得るかもしれない。

ちなみに、甲府の都市景観構造の特徴は、周囲の山々が生み出す「近景」「中景」「遠景」の緑のバリエーションだと思っている。これは、改めてしっかり考察したい。

余白があるからこそ、多様な色に塗れる(多様な個別事例が集まる)

この余白の多さが生み出す豊かさを伝える術は、多様な個別事例をひたすら集め、表出させるという帰納法的手法を取るべきではないか、というのが現在の仮説。いや、敢えてまとめずに具体例を集めてみせるだけでも良いかもしれない。そこにどのような「編集」を加えるか、それはまたみんなで考えよう。その「編集」や「デザイン」の過程でも、余白は大切。そこでもキーワードになりそう。

余白、というキーワードから、いろいろな可能性を妄想できる。

松本の民藝運動のような、甲府の文化を象徴する言葉がない分、それはまだ色に染まっていないと言える。これから未来志向で、色々な色で塗りつぶしいけば良いし、またさらに余白を生み出すための活動をしていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?