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「家族の見舞い」~子供が産まれたと同時に難病になった喜劇作家の入院日記4

某月某日

エンドキサンパルス(点滴治療)をした次の日は、全身がけだるい。何もする気がおきず、日がな一日ぼんやりと過ごす。
 
昼前に実家の母からのメール。
どこで知り得たのか、飲料用の「奇跡の水」を取り寄せたので送るという。一瞬血の気が引いたが、聞けば「500ml一本150円くらい」だというので、素直にありがとうと伝える。

時を同じくして、妻からもメール。
昨日、じいじのお家で(今、妻は実家に帰って生活をしている)、息子の生後100日「お食い初め」の儀式をお祝いしたという。息子は特に父の不在を気にせず、ケラケラ笑いながら、歯固めの石を振り回していたらしい。
大変な状況にも関わらず、楽しく暮らしてくれている妻、義父母にも感謝。

     *

入院してあらためて感じるのは、家族のありがたみ。とかく気持ちが落ち込みがちな入院生活。短い時間でも見舞いに来てくれて、たわいのない話をするだけでどれだけ気持ちが和むことか。特に今回、仕事先以外の友人たちには病気~入院の詳細は言わずにいたので、殊更、その時間が有難かった。

     *

私が今いる病室は6人部屋。
薄いカーテンの仕切りしかないので、顔は会わせなくとも生活音(結構、皆さん平気でおならプープーするよね)は丸聞こえ。いけないとは思いつつも、つい会話が聞こえてくると、隣人の事情はどんななの? と耳がダンボになってしまう。

窓際にベッドのあるお爺ちゃん。普段、看護師に対して無愛想でほとんど喋らない。食事も「食欲がない」「まずい」と言って手を付けない。密かに「お地蔵爺さん」と呼んでる方がいる。

この方の、奥様(お婆ちゃん)が底抜けにひょうきん者。大声の関西弁でまくしたて自らも笑って場を明るくする、上沼恵美子さんみたいな人。多少、口が悪く毒舌が多めだが全く嫌味がない。
恵美子婆ちゃんは毎日、決まって昼13時にやってくる。

「ほら、あんた、うちの全財産投げうって、テレビカート買ってきたで」
「財産1000円しかねえのか。フォフォフォ」

彼女がくると、地蔵も喋りだす。ご飯を食べる。時に笑う。

「あんたね、ご飯食べへんかったら、一生退院できへんよ」
「うまくねえんだもん。おらぁ、うなぎが食いてえんだよ」
「そんなん出たら、うちが一生入院するわ」
「フォフォフォ」

地蔵の笑い声は、意外とかわいい。

「しかしな、あんたは恵まれてるで。窓際やん。明るいし景色見られるし。これなかったら気狂うで」
「声が大きいわ。他の人聞いたら、気ぃ悪いで。フォフォフォ」

(……私、通路側なんですけど。)

台風のようにやってきて、2時間喋り倒し、颯爽と帰っていく。これを毎日、毎日。平日も休日も変わらず同じ時刻に。

すごいことだと思う。
地蔵も声に出しては言わないけれど、感謝とありがたみを感じているはず。婆ちゃんが帰ってしまったあとの寂しそうな無言に、それを感じる。
 
気がつくと、私も毎回この時間ベッドに待機して彼女の登場を待っている。娯楽の少ない入院生活に、昼下がりの上沼劇場は最大のエンターテインメントなのだ。

「サミット行ったら、お寿司が半額やったから、こっそり買ってきたで」
「こっそりになってないやろ。声を半額にせえ。フォフォフォ」

13時になったようだ。今日もはじまる。



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