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子供が産まれたと同時に難病になった喜劇作家の入院日記1「突然の宣告」

入院初日。

医師から今後の治療方針のあれやこれやの説明を受けている最中、突然目の前が真っ暗になった。意識消失。ブラックアウト。人生の暗転……

   *

病気のこと(特定疾患)。
入院期間の長さ(最短でも2か月!)。
お金のこと(いくらかかるの?)。
仕事のこと(フリーランスなのに)。
なによりほんの3か月前に生まれた息子と妻のこと(育児は? 生活は?)

それらを考えたらパニックになったのかもしれない。精神的容量オーバー。現状を受け入れ前を向いてやっていくしかないのは分かってる、でも気持ちが拒否をする。そう簡単に受け入れられない。

どうして? どうしてこうなった?

成人して以来、病院など行ったことがなかった。私は小劇場での劇団活動から演芸作家になったので、不摂生な生活は当たり前。深夜アルバイトをして、朝方少し仮眠し、日中に台本を書いて、夜から芝居の稽古をする。夜勤のない夜は仲間と夜通し酒を飲んで語らう。そんな生活を30代前半まで毎日していた。落ち着いたのはここ数年。結婚して家族ができた頃くらい。

健康と体力だけが取り柄でやってきた。たいていの病気はいつも市販の薬でどうにかなっていた。今回わざわざ病院を受診したのは、熱がやや高く(常時38度以上)、また手足の筋肉痛が激しく、日に日に動けなくなっている自覚があったから。生後3か月の赤ん坊もいるし、もしインフルエンザだったら大変、という妻の強い説得を受けてのことだった。

医者が神妙な顔つきで言う。

「金津さん。インフルエンザではなかったですがもっと深刻かもしれない。大きな病院の膠原病科を紹介するのでそちらを受診してください」

こうげんびょう? 一瞬「高山病」と一緒くたになって大草原を思い浮かべている無恥で無知な自分。その場ですぐ紹介状を用意された。

三日後。大病院での診断結果は、特定疾患「皮膚筋炎」の可能性アリ。本来なら自分の体を守ってくれるはずの「免疫」が、逆に自身の健康な細胞に対して攻撃してるんだそう。この現代において原因や治療法が確立されていない、国の指定難病の一つだと言う。

即、入院決定。

青天の霹靂だった。突如として見舞われたハンマーパンチ。効いたなんてもんじゃない。一発KOだよ。

   *
 
……意識が戻ったのは、ストレッチャーに乗せられて、CTやレントゲンをしに各部屋を移動している最中。肺炎や癌を併発している可能性が高いので全身をくまなく検査されていた。自分の代わりに、付き添っていた妻が「はい、はい」と気丈に説明を受けている。私は、申し訳なさと、怖さと、まだ夢であってくれという切実な現実逃避で、ずっと眠ったふりをしていた。


明日からはさっそく皮膚筋炎の治療が始まる。エンドキサンパルスという1回2時間ほどかかるステロイドの点滴治療。今後これを2~3週間ごとに最低8回行う。相当強い薬で「子供は今後作れなくなる」との説明も受けた。

どうして。どうして自分だけが。

この期に及んでもまだ抗っている自分。答えなんか出ない自問を繰り返し、絶望し悲嘆にくれる。こんな人生、誰が脚本書きやがった。笑えない。ちっとも面白くないぞ。こんなホンは絶対に認めない。こんなの、俺じゃない。今まで書いた一番乱暴な字で、治療承諾書にサインを書いた。


夜、消灯した病院ベットの上で、生後三ヶ月の息子のことを思う。

涙が次から次へと出て止まらない。



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