買うことと着ること、そのバランスについて 後編


https://x.com/minerva_owl1/status/1765335230435803271?s=46&t=UNy_eD0jVI92XrDpsQ5bjg

前編(上)と中編(中)、今回取り上げるポスト部分(下)はこちらのリンクから。今回は残りの七文目、八文目をまとめて置き換えて、軽く説明とし、そこから自分の服を買うことと着ることとの類似点、相違点をまとめとして書いていきたい。早速始めます。


・七文目、八文目

“やはり書店浴は体に良い。それに気づいてからは健康のために必ず週に1回以上は通い、できれば入浴料として本を1冊買うようにするようにしています。そして、積読タワーの建設が再開されました。”

結局のところ元の生活に戻ってしまったことへの若干の悲哀と、趣味を趣味たるものとして継続する上で必要なことが何かが明確になったことへの晴れやかな気持ちが感じられるので個人的にすごく好きな文章。なるべく要素を変えずに置き換えたい。

“やはりたくさんの服を浴びることは体に良い。それに気づいてからは必ず1日1.5時間のEC、フリマサイトの巡回、実店舗にも月に1度は通い、できれば入浴料としてフリマサイト、ECでは月に2着、実店舗では欲しい服があれば躊躇わず買い、無くても靴下や小物を買うようにしています。そうしてクローゼットにはなかやか着ることがない服が溢れ始めました。”

巡回や訪問、入浴料を支払う頻度は嘘がない範囲で引かれない程度に書き換えております。あらかじめご了承ください。ここに関しては完全に読んでいる方の自分の頻度と置き換えて考えて頂きたい。
さほど説明が必要な部分は他に無いと思うので、改めて置き換えた全文と、まとめに入っていきます。

全文

一時期、買ったものの着ずにクローゼットにしまっている服がある状態を無くすため、クローゼットにある服は全て複数回着用し、今後も着用予定であると言う状態になるまでセレクトショップや古着屋、ECサイトの巡回を停止していました。行けば絶対買っちゃうので。最初はこれでやっと手持ちの服を全て愛せる人間になれると思ったのですが、しばらくすると問題が起き始めました。

服欲がすごい勢いで減退し始め、クローゼットの中の色々な服を着ようとする気力が落ち、新たな合わせで服を着ることを楽しむ気持ちがしぼみ始めました。クローゼットの中の色々な服を着ながら新たな合わせを楽しむ気持ちが、色々な服を着なければ、新たな合わせを考えなければという気持ちになり、みるみるうちに調子を崩していきました。どうもセレクトショップや古着屋、ECサイトなどへ訪れ、様々な服とそのコーディネートに触れることは知らず知らずの内に知的刺激を与え、MPを回復させていたようです。

やはりたくさんの服を浴びることは体に良い。それに気づいてからは必ず1日1.5時間のEC、フリマサイトの巡回、実店舗にも月に1度は通い、できれば入浴料としてフリマサイト、ECでは月に2着、実店舗では欲しい服があれば躊躇わず買い、無くても靴下や小物を買うようにしています。そうしてクローゼットにはなかやか着ることがない服が溢れ始めました。

まとめ

想像以上に自分に当てはまるし、読んでいる方にとっても同意できる部分が少なからずありそう。
なるべく元の投稿の要素を変えずに置き換える努力はしたものの、若干都合が良い置き換えをしてしまったところも無いとは言えないので、これで元の投稿がどんなジャンルでも同じことが言える!とは言い切れないものの、広い範囲を包括する素晴らしい内容だと言っていいはず。

全体の流れとしてはほぼほぼ同意、というか自分の話を書いているだけでは?となるレベルで同じような体験がある。1シーズンではとても着終わらないレベルでクローゼットに服が充満している様子を見ると、これ以上買っても仕方がないし、手持ちの服をたくさん愛すんだ...と1ヶ月に1回は思うものの、結果的にすぐに新しい服を買ってしまうのだ。投稿者のように一種の諦めを抱き、晴れやかな態度で入浴料をはらっている。

しかし「積読(と同等のこと)の解消方法」という点では、書いていて本と服ではちょっと違うかもなと感じる部分があった。
これについて、本と服の異なる性格についての説明することによってある程度簡潔にまとまりそうなので、そちらの観点から話を進めていく。

・積読の解消方法について

これが一つ目であり唯一の理由だか、服はリセールが効く場合が多い。本がまるでリセールが効かないとは言いきれないが、古本として扱われる本の相場は新品と比べると10〜25%の値段がつくケースがほとんどで、リセールバリューに期待して本を購入する人もあまりいないだろう。服の場合は、ある程度の値段帯やクオリティ、人気を持つブランドになれば新品の6〜8割手元に残るような価格で二次流通で販売できる場合も多くあるため、その点を考慮して高級(と言っても良い)衣料を購入する人は過半数に届くと言っていい。
クローゼットの中の着ていない服は二次流通の海に流して、今欲しい服を買う資金に回してという循環が、美しくはないが、合理的に趣味を継続するスマートな解として成り立ってしまうのだ。服が服を買うための贄となるという消極的理由で、本でいうところの積読が解消されるのだ。
もちろんリセールはせずにアイテムを手元に残し続ける人もいるだろうし、私もそちら側に行きたいなと最近は特に思うのだが、服という趣味に回せるお金が限られる以上、致し方ないと思い手放すこともある。どちらの人が素晴らしいとかではなく、それぞれの人の感覚と置かれた立場の違いであり両方の正義が100%正しいので、趣味の品をリセールに回すことの是非を問う議論は不毛としか言えないと私は感じている。

⚪︎まとめのまとめ

説明したい内容とブレが生じるし個人的内容過ぎるのでわざわざ相違点として取り上げなかったが、私は服が好きになってからすごい勢いで服欲が減退したことはなく、多少減退するような時期があったとしても、長い目で見ればほぼ直線的に服が好きな気持ちが増し続けている。
そもそも服は24時間365日(仕事や学校でも少なくともソックス、インナー単位で見れば)、好きなものを選択し続けられるし、中編ではどちらかというとマイナスの意味で捉えた、入浴料を払う以外の方法(SNSなどの媒体でコーディネートのアイディア等を得られること)で楽しむことが出来るというのが好きが増し続ける大きな理由と言えるだろう。

まとめ、まとめのまとめと書いておきながらまるでまとまりが無いような気もするが、最後に一つ。
服は自分にとって最高の趣味であり続けると思う。このような綺麗な言葉で終わらせたく無いが、結局のところ自分がどんな服を着るか、どんな服を買うか、他の人はどんな服を買ってどんなことを語っているのかを見ている時が相当面白いなと感じている。
趣味や好きなもの、人から明日への活力が生まれることは本当に素晴らしいと思うし、それがどんなものでも(傷つく人がいない限りは)相当に尊いことだと考えているが、私にとってそのような趣味の一つにしておそらく1番大きなものが服であるというのはこれからも変わらないと思う。

全体で7000字を超える内容となってしまい自分でちょっと引いております。次の内容は未定ですが軽く1500字くらいで書き終わるものを早めに出したいですね。では。

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