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【第1回】筑波山立身石/山頂からのぞむ常陸国 ~2人の僧侶が、ぶらぶら歩いて、ゆるゆる楽しむ~ ご旧跡 歩いて記た

来たる2023(令和5)年は本山の京都・西本願寺で「親鸞聖人(しんらんしょうにん)御誕生850年・立教開宗(りっきょうかいしゅう)800年慶讃法要(きょうさんほうよう)」が勤められる記念の年。関東の地には宗祖・親鸞聖人が42歳ごろから約20年間ご滞在され、由緒を伝える場所も多くあります。そうしたご旧跡を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が改めて巡ってみました。

現地ルポ

 筑波山(山頂877m)は日本百名山のひとつ。ケーブルカーの筑波山頂駅(男体山側)近くに「立身石(りっしんいし)」と呼ばれる高さ20mほどの巨岩があり、その前に親鸞聖人ゆかりの碑が建っています。

 今回我々が筑波山頂に向かったのは2月17日。山頂付近は4日前に降った雪が50㎝ほど残り、通路も低温で凍っていたため、立身石まで行くのは断念。また、立身石に向かう自然研究路も3月末までの工期で、落石対策工事が行われており通行止めでした。

 4月に工事が終わっていれば、中旬まで紫色のカタクリの花が見ごろ。また5月31日まで、山のスタンプラリーアプリ「YAMASTA」でスマホを使ったスタンプラリーを実施しています。問い合わせは筑波山観光案内所(029-866-1616)まで。

ご旧跡紹介

 親鸞聖人54歳の頃、筑波山に参ったある夜、箱根権現(ごんげん)の使いが夢に出て、山中の窟(いわや)に行くよう聖人に告げた。

 翌日窟に行ってみると、餓鬼たちが出てきて、自分たちは欲を張って勝手気ままに振る舞い餓鬼道に落ちた。一日一滴の水しか与えられなくて苦しい、と親鸞聖人に泣きついた。

 親鸞聖人は極重(ごくじゅう)悪人が救われる道はただ念仏を称えるのみと説き、ともに二昼夜念仏を称え、餓鬼たちに釜の水をすべて飲ませた。そこに大鬼が来て、水のない釜を見て咎めるが、聖人が念ずるとたちまちに水が湧いた。

 大鬼は自分も餓鬼の統率役で苦しいと親鸞聖人に訴え、親鸞聖人が「光明遍照(こうみょうへんじょう)」の文を誦(じゅ)して念仏すると、五色瑞雲(ずいうん)が現れ、餓鬼たちはみな瑞雲に乗り、西方の雲間に入っていった(『親鸞聖人正明伝(しょうみょうでん)』より)。

 なお、立身石と呼ばれているのは、後に樺太を探検することになる間宮林蔵が13歳の時に、この石の前で立身出世を願ったとされるため。

旅ある記

藤「年を取ると早め早めの行動になるけど、星さん、2月に筑波山に来なくても良かったかもねえ」
星「そうですね……。でもやっぱり連載第1回にあたっては、親鸞聖人がご滞在になられた常陸国がどんな所だったのかを見たかったので、展望台からの眺めだけでも十分です」
藤「しかし星さん、麓のケーブルカーの駅に行くまでの石段で息が上がってたね」
星「あの石段は急でした」
藤「今回は、親鸞聖人がなぜ筑波山を登られたか、というところに興味が湧いたな。もちろん餓鬼済度(さいど)のためもあったんだろうけど、山頂から眺める霞ヶ浦の風景が、比叡山から見る琵琶湖の景色に似てたからじゃないかと思うんだよね」
星「なるほど。山のない関東平野で、若い頃に親しんだ光景を思い出したかったのかも知れませんね」
藤「餓鬼済度のお話も、単なる伝説のように言われることもあるけど、親鸞聖人の伝承が大切に受け継がれてきたことは、お念仏のみ教えが大切にされてきたことの証でもあるからね。それは我々も大切にしたいと思いますよ」
星「耳が痛いです」
藤「別に星さんのこと責めてないよ?」
星「風が冷たくて……」
(藤本真教・星顕雄)

220224筑波山イラスト(仮2) (1)

アクセス


築地→(東京メトロ日比谷線・200円)→北千住→(つくばエクスプレス・1050円)→つくば→(徒歩5分)→つくばセンター→(関東鉄道バス・つつじヶ丘行き・740円)→筑波山神社入口→(徒歩15分)→宮脇→(筑波山ケーブルカー・590円)→筑波山頂

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