マガジンのカバー画像

お坊さんの書いた仏教コラム

82
お坊さんが書いたカルチャーにまつわるコラムや仏教に関するコラムをご紹介します。
運営しているクリエイター

#日本史がすき

お墓の起源は? 仏の弟子にも問題児はいた? 僧侶が読み解く仏の逸話

  お釈迦さまの遺骨・仏舎利を納めた塔を、サンスクリット語(古代インドの言語) でストゥー…

22

お寺にお墓があるのはなぜ? 僧侶が読み解くお墓の起源

地域差はありますが、お寺にお墓があるのは珍しくありません。しかし歴史を見ると、お寺は最初…

38

3代将軍家光の命で、名前が変わったお寺【第19回】梅上山光明寺(東京都港区)

ご旧跡紹介 『光明寺縁起』などによると、1212(建暦2)年、一説によれば1250(建長2)年、武…

16

義経の母が持っていた阿弥陀像がある?【第17回】中戸山西光院 常敬寺(千葉県野田市…

ご旧跡紹介 寺伝によると、開基は親鸞聖人の孫・唯善。唯善の父は小野宮禅念、母は親鸞聖人の…

11

群馬県で「さぬき」の面影を探す【第15回】宝福寺と佐貫庄(群馬県邑楽郡板倉町)

ご旧跡紹介 1214(建保二)年、親鸞聖人が越後国から常陸国に向かう途中のこと。「武蔵の国や…

人間は欲望に駆られると、道をはずれる生き物【多田修の落語寺・黄金餅】

 寺を持たず下谷(台東区)の長屋に住む貧しい僧侶・西念が、重い病気になります。西念は、隣…

親鸞聖人の御歯骨が保管されている?【第14回】高栄山上宮院法得寺(栃木県野木町)

ご旧跡紹介 親鸞聖人は1211(建暦元)年、越後への流罪を赦免され、念仏教化のため関東に入られた。  法得寺縁起などによると、聖人は現在の群馬県とされる佐貫荘を通り、現在の茨城県笠間市に行く途中の1214(建保二)年12月、天台宗薬王山医王寺に立ち寄られた。  聖人らは丁寧に諸堂を参詣するあまり日が傾き、境内の経蔵にお泊まりになられた。当時の住職、潭空はその夜、聖人を論破しようと経蔵に赴くが、専修念仏の真意を聞き、たちどころに入信の念がおこった。潭空の懇願により聖人は翌1

「娑婆」の本当の意味がわかれば、何倍も面白い名作落語【多田修の落語寺・辰巳の辻占…

 ある店の若旦那、お気に入りの芸者に会いに、辰巳にやってきます。店で芸者を待つ間、辻占菓…

「お盆」のルーツについて、お坊さんが真面目に考えてみた

 全国的には8月、一部の地域では7月になると「お盆」という行事が営まれ、多くの人がお寺やお…

土用の丑の日の前に知っておきたい名作落語【多田修の落語寺・後生鰻】

 ある隠居さんは信心深く、殺生を嫌っています。  その隠居さんが鰻屋の前を通ると、主人が…

人は死ぬとどこへ行く? お坊さんが語る「死後の世界」

 言うまでもなく、死は避けたいものです。しかし、永遠に生きることはできません。では、この…

そのとき歴史が動いた? 親鸞聖人、形見のご本尊【第8回】綱引山 豊安寺(茨城県行方…

来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記…

戦国時代で有名な鉄砲撃ち・雑賀孫市の墓も近い! 【第7回】衆宝山 無量光院 浄光寺…

現地ルポ  梅雨が明けた7月下旬、入道雲をかき分けて、私たちは観光地としても知られる茨城県…

あの水戸光圀が見つけた親鸞さまの幻の像【第7回】衆宝山 無量光院 浄光寺(茨城県ひたちなか市)

来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、関東の地に残された宗祖・親鸞聖人の由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。  現地ルポ  梅雨が明けた7月下旬、入道雲をかき分けて、私たちは観光地としても知られる茨城県の那湊漁港から、小高い丘を登ったところにある館山の地を訪れました。館山には浄土真宗本願寺派の寺院が7カ寺集まり、その北側に親鸞聖人の直弟子・二十四輩の21番、