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#006_なにをしたいのか│ロングトレイル

結局、原点回帰

将来の夢?

目標はアウトプットした方が実現しやすいらしい。メジャーリーガーの大谷翔平選手が、高校時代にマンダラチャートというのを使って、「ドラ1、8球団」という目標を達成するための方策を可視化し、それらを実行した、というのを何かの記事で読んで感心した。

彼以外にも、イチローさんや北島康介さん、本田圭佑さんなど一流のアスリートたちが、小学校の卒業文集に「夢」と題し、その年齢に似つかわしくないぐらい具体的に目標を綴っていたというのは有名な話である。

彼らはきっと人一倍の努力と備わった非凡な才能によって、打ち込む競技がそのまま将来の目標に直結し、自身の未来像をクリアに描けたのだろう。周りのサポートや置かれた環境などが与えた影響もあるかもしれない。

翻って12歳の自分はと言うと、大人になった自身の姿を全く想像できずにいた。卒業文集で問われた「なりたい職業」というお題に対し、周りの男子は野球選手やサッカー選手、パイロットといった壮大な夢を記し、中には手堅くサラリーマンという者もいた。女子はお花屋さんや保母さん、お医者さん、お母さん、など。

クラスメイトが次々と原稿に書き込みをする中、最後までコレと言ったものが思い浮かばず、結局、なんとなく当たり障りのないところで「本屋」と書いた(専門学校時代、通学経路上に時給の悪くない本屋があり、そこでしこたまバイトしたのである意味夢は叶ったと言える)。

結果的に転機となった職

時は過ぎ、進学と就職を経ても相変わらず「なりたい職業」は定まらなった。

何度か転職をし、流れ着いた前職。印刷会社の編集部隊に属し、2007年の冬から11年間、自動車や電気製品関連の取扱説明書や整備マニュアルなどを制作した。

周囲の同僚や上司のサポートで人生初のパソコン仕事も何とか板につき、有難いことに担当するクライアントからの評価も付いた。そして人員体制の改善がなされないまま、仕事量だけが次第に増えていく。

じきに地獄の劇ブラック勤務に陥った。長時間残業や休日出勤が常態化し、繁忙期にはカフェイン錠剤をコンビニコーヒーで飲み下しながら徹夜とデスク泊(机に突っ伏したまま熟睡できる特殊能力が身に付いた)を繰り返す。

煮詰まると事務所のすぐ裏にある小さな公園で、ビルに切り取られた狭い空を仰いだ。

心許せる同僚からは過労死レベルと本気で心配されたが、両親からもらったこの健康体のお陰か、幸いにも眠気以外に体調の大きな乱れはあまり無かったように思う。

そうして貯まった基本給の倍以上の残業代と代休の山を元手に、311後の震災復興ボランティアに出掛けたり、地元アウトドアショップの登山教室で方々の山へ連れて行ってもらったりした。

それらがきっかけでロングディスタンスハイキングと加藤則芳さんのことを知り、2016年に80kmの信越トレイルを歩いた。以降、イベントやトレイル整備活動など、なにかと信越トレイルへ通うことが増えた。

付き合う人の変化

すると当然のことながら、事務局員をはじめトレイル界隈の様々な人たちと知り合うようになる。ビジターセンタースタッフ、整備スタッフ、整備ボランティア、ガイドさん、ハイカー、トレイルタウンの住民、地元観光協会の人。

また、整備を経験することでトレイルの維持管理についても意識が向くようになり、別の場所でロングトレイルづくりの講座があるというから興味本位で参加してみたら、他のトレイル運営団体の方々や行政関係者などとも顔を合わせるようになった。

それまでの人付き合いといえばせいぜい同じ会社で気の合った人か仕事関係で縁があった人、それ以外は(かなり数少ないが)同じ学校や地元の友達といった、非常に限定された範囲内で構築されたものがメインだったので、このように人間関係が爆発的に広がるのは初めてのパターンだった。

行く先々で出会う人は皆ことごとくユニークな個性の持ち主で、語られる彼らのバックグラウンドストーリーはまさに十人十色、目からウロコの情報を与えられることも少なくなかった。

皆だいたい何かしらの本業を持ちながら、トレイル運営などにおいてそれぞれの役割を担っているわけだが、その「本業」の在り様がまた実に多様であった。一念発起して個人事業主となった人、会社を作ったor作ろうとしている人、団体を立ち上げた人、Uターン・Iターン移住者、地域おこし協力隊など。

自分と同じように企業に雇用されている人もいるにはいるが、それと比較してとにかく圧倒的に脱サラ経験者が多かった。

文字通り心の声に耳を傾けて

高卒で田舎から上京し、引退するまでサラリーマンとして立派に勤め上げた父親の背中を見続けた自分にとって、働くとは会社に勤めることと同義で、それが王道と信じて疑わなかった。

だからこの期間に受けたインパクトは相当大きく、彼らとのコンタクトを繰り返すうちに、感覚がマヒするというか、自分の中で勝手に設置していた高い高い「労働ハードル」が、じわじわと崩壊していくのを感じずにはいられなかった。

そして、生き生きとトレイル愛を迸らせ、好きなものを好き、やりたいことをやりたい、と躊躇なく表明する彼らの姿を見ていたら、知らぬ間に植え付けられ囚われていた「無言実行」の美徳?が、気付いた時にはどこかへ吹き飛ばされていたのである。

やがて、心の奥底で長らく蓋をしていた思いがドバドバと噴出し始める。社畜でいることが安定なのか。なりふり構わずやりたいことに飛びつくのは馬鹿なのか。この命はあと何年続くだろう。死ぬときに一体何を思うのだろう。

目標にする

…やっぱりAppalachian Trailを歩きたい。

自然と沸き上がる欲求。3500km全部自分の足で歩きたい。そのためには、今の仕事に見切りをつければ良いだけのこと。

一度考え出したら、もはや制御を続けることは不可能だった。脳みそが完全にAT行きモードに切り替わってしまった。跡を濁さず仕事にカタを付けられるのか、両親を説得できるのか、先行きは不透明だが、どちらにせよ行くまでにはそれらをクリアしなければならないし、行けたということはクリアできたということだ。

何しろ、行かないという選択肢はとっくに視界から消えている。

すると不思議なことに、このことを誰かに話してみたいと考えるようになった。自分以外の人に伝えることで、ただ寝かせていただけの妄想にも近い「願望」を、「目標」という既成事実に変換してしまう作戦。そうすれば後に引けなくなって、自分で自分のケツを叩くようになるだろう。

有名アスリートたちの心持ちとはだいぶ掛け離れている気はするが、知ったことではない。

斯くして、延々と脳内ループしていた「ATスルーハイク行きたい」のフレーズを、声に出して高らかに宣言する決心がついたのだった。

(つづく)

※この投稿は「&Green」に2022年9月14日掲載済みの記事を転載・加筆修正したものです。

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