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#009_ATを半年間歩くために必要なアレ│ロングトレイル

B-2ビザを取る

3500kmという規模感

人間が平地を歩く速度は一般的に4km/hだそう。アップダウンのある登山での平均速度は1.5~2km/h程度と言われている。もちろん個人差はあるが、例えばだいたい8時間の日帰り山行ならば、10kmとか15kmぐらいは歩ける計算だ。

ロングディスタンスハイキングにおいても、同じ人間がやることなので基本はあまり変わらない。

ただし毎日歩くが故に、だんだんと脚の筋力が増していき、自分なりに歩きやすい歩行スタイルを掴んだり、担ぐザックが身体に馴染んだり、一緒に歩くハイカーのペースにつられたりするうちに、自然と速く歩くことができるようになる。

自分の場合ATから帰ってきた直後、脚が完全に出来上がった状態で信越トレイルをもう一度スルーハイクしてみたら、2泊3日で80kmを歩き終えた。2年前、1回目のなんと4割増しのスピードが出ていたことになる。

人間の身体に備わった適応能力というのはいやはやスゴいものである。

とはいえ、どんなに速く歩く人でも何千キロにおよぶトレイルをスルーハイクするにはそれなりの時間を要する。

3500kmで累積標高がエベレスト登頂16回分に匹敵するらしいATだと、4~6カ月ぐらいがスタンダード。そうなると、普通の海外旅行のようにパスポート一つ持っただけでは出掛けられない。

どういうことか? ―そう、長期滞在のためのビザが必要なのだ。

不法滞在目的ではないことを証明せよ

日本からアメリカの渡航であれば、ビザ免除プログラムにより認められるビザ無し滞在可能期間は90日以下。それを超えて国内に一定期間のみ留まる場合、ビジネス、娯楽、治療などの目的では、「B-2」と呼ばれる観光ビザを取得しなければならない(一度取得すると10年間有効となる)(2023年4月15日現在)。

B-2ビザの申請は基本オンラインで行うが、その後アメリカ大使館でリアルな面接を受け、領事により審査される。

アメリカの移民国籍法では、B-2申請者は全員が移民希望者であると仮定されているので、面接ではそれを覆すために、「自国に経済的、社会的、家族的な強いつながりがあり、目的が終了したら速やかに自国へ帰る意思がある」ことを証明するものの提出が求められる。

ロングディスタンスハイカーは、ここで「歩くトレイルの概要説明」「ハイキング行程の計画」と「銀行の残高証明」、そして「お手紙」を用意するのが定石だ。

粛々と書類を揃えて

提出書類は英語必須、決まったフォーマットは特に無いとのことで、WikipediaでATのページをそのままプリントアウトし、超ザックリの予定表を作る(行ったこともないトレイルで、歩いたこともない距離の行程を綿密に組むなどハナから無理に決まっていた)。残高証明は銀行ですぐに発行してくれた。

残る「お手紙」は、家族や友人、職場の上司など第三者が自筆の署名を添えて「この人には●●の理由があるからハイキングの後にちゃんと日本に戻ってくるよ」という主旨の文を書く。

ただし、“自分が遊びに行きたいから、慣れない英語で手紙を書いて”と他人に頼むのはなかなか気が引けるので、自身で手紙を作成し、相手にサインだけをもらうというスタイルをとるハイカーが多いかもしれない(そのサインすら自分で代筆するという力技も聞いたことがある)。

ちなみにこのお手紙、より信頼性を高めるために複数あったほうが良いという話を聞く。実際のところはわからないが、エビデンスは多いに越したことはないはずだ。

頼めそうな人と言ったら両親(、というか母親)と、他に誰かいないものか…仕事を辞めて歩くに行くのだからもちろん職場の上司はあり得ないし、脈絡もなくいきなりこんなことを頼める友達など近くに思い当たらない(今にしてみれば結構いたのかも)。

戻ってきてからのことは文字通りノープランだから何かでっち上げるしかなく、熟慮の末、AT行きの件についておそらく一番理解してくれるであろう、当時の信越トレイルクラブ事務局長Tさんにお願いすることにした。

手紙の内容はとりあえず「佐藤さんは帰国したら飯山へ引っ越してきて、トレイルガイドとして働く意思があると言ってます、それを確と聞きました」としておこう。

サインください

Tさん用と併せ、両親用も用意。「私たちはこの子の肉親で日本に住んでいます、この子も日本以外に戻る場所はありません」とシンプルに書く。それぞれA4ペラ1枚、徹夜明けの眠い目をこすりながら職場の複合機でシレっとプリントアウト。そしてサインの依頼。

案の定心配性の父親は、これにサインしたら俺がAT行きに賛成することになる、と拒否し母親にスルーパス。母親は心得たもので「はいはい、仕方ないから私が書くでいいのよね」とあっさり署名。

病院全体が臨戦態勢になるほどの危篤状態に陥りながら、帝王切開で我が子を腹からこの世に送り出した母親。

当時父親は医師から「母子共々危ういので覚悟してください」と言われたそうだが、私もあんたも大丈夫だと確信していて、先生たちが何故大騒ぎしているのか不思議でたまらなかった、と彼女は宣う。

いつの時も母は強し、である。

Tさんは快く引き受けてくれた(感謝してもしきれない)。おまけに出まかせで書いた“帰国後のプラン”について、移住するにしろまぁ選り好みしなければ何かしら仕事はあるだろうから、戻ってきてから改めてよく検討するで良いんじゃない? とアドバイスもくれた。

Tさんが言うのだからそういうことなんだろうなぁ、と妙に納得したのを覚えている。

アメリカ大使館の門をくぐる

斯くしてすべての書類が整った。ネットで面接の予約をし、緊張の当日を迎える。

初めて訪れたアメリカ大使館は見たことのない厳重な警備体制。玄関先にホンモノの銃を携帯した屈強そうなポリスメンがウヨウヨいて、建物の中に入るのに徹底的な荷物チェックやボディチェック等、3重か4重ぐらいの関門を通過した。

その頃のアメリカはトランプ氏が大統領で、メキシコ国境に壁を立てると発表があったり、キューバへの禁輸・制裁措置を再強化するだとか、国内で頻発する銃乱射事件が発生したりと、なにかと物騒なニュースが多く、大使館全体に物々しい雰囲気が漂っているように感じた。

もしトランプさんが外国人に対するビザ発給を停止するとか言い始めたらどうしようと、実は内心ひやひやしていた。

大使館1階のロビーには様々な人種の人たちが大勢いて、それぞれの手続きをするために列ができていたが、事前予約済ということもあり、意外とスムーズに面接の順番が回ってきた。

いざ面接

ハイキング好きの領事官に当たると「OH! お前ロングディスタンストレイル歩きに行くのか! HAHA! そりゃすげーや、グッドラック!!」と、何も聞かずにOKを出してくれることもあるそうだという噂を耳にしていた。

そんな人なら面倒な説明をしなくて済むからラッキーだなと思ったが、担当してくれたのは実にお堅い感じの領事官だった。

提出書類がちゃんと揃っているかの確認と、渡米の目的+滞在期間の予定を聞かれた。コレコレと端的に回答、彼はフムフムと聞きながら手元の書類を一瞥する。

無駄なリアクションはせず淡々と仕事をこなす感じで、アタマのオカシいハイカーにいちいち取り合っている暇はなさそう。模範的に合理的なアメリカ人である。

結局、半年間ハイキングで国内を徒歩移動しますというクレイジーなプラン自体に対する疑問も、そもそも何でATなのか?みたいな質問も特に出なかった。

そのまま5分ぐらいでサラッと面接終了、B-2ビザは無事に発給された。

大使館を出るとき、始めにボディチェックを担当したポリスマンがサッと軽く手を振ってくれたのが見えた。

ようこそ自由の国アメリカへ。Hike your own hike.

そんな声が聞こえた気がした。

(つづく)

※この投稿は「&Green」に2023年2月22日掲載済みの記事を転載・加筆修正したものです。

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