雑談:がんばらない努力🌈✨
我々、生きとし生けるもの、全員生きているだけでもけっこう頑張っていますよね。
例えば、朝起きて、仕事や学業のために準備して、出かけていく…って当たり前のことかもしれませんが、まず「朝起きる」時、心地良いふとんの中、完全にリラックス状態の身体と脳を覚醒させて、重力に逆らって起き上がっているだけでもめちゃくちゃ頑張っていると思います。
「がんばる」って、さまざまな場面で日常的に使いますし、意識的にも無意識的にもある意味便利な言葉です。
がんばろう!
がんばったね。
がんばれ!
がんばるよ!
がんばらなくていいよ。
がんばろうよ。
ほどほどにがんばるよ。
がんばりすぎだよ。
がんばりたいよ。
基本的には鼓舞する言葉なので力になるものですけど、一方で圧や足枷のように人を追い詰めたりする場合がありますね。
ここまで「頑張る」を並べると若干胸やけがしそうですが、同じように感じる人は、これ以上頑張る余地がないくらい、今まさに頑張っている方なのかもしれません。
「がんばる」もいろいろ分類できます。
例えば、その「がんばり」を制御できるか、できないのか。
制御できるのは、頑張っている途中で、頑張っている自分に「まだ、できるのかい?できないのかい?どっちなんだい?」と尋ねることができる、という意味。
もっと言えば、その問いかけをした時に、自らのバッテリー残量などを確認でき、必要に応じてペースを落としたり、立ち止まれる、というような選択ができることでもありますね。
制御ができないのは、その問いかけがないので、選択の余地なく、何らかの支障が出たり、最悪、突然の停止を迎えるまで駆け抜けていってしまうという意味。
さらには、後者の場合、「そもそも何をがんばるんだっけ?」、「なんでがんばるんだっけ?」という目的や理由も見失いがちです。
頑張るために、頑張らない努力をすることも大切なのかもしれません。
発達に課題のある子を育てていると、頑張る努力よりも、頑張らない努力の方が難しい場合がある気がします。
…発達に課題のないお子さんでもそうかもしれませんが、成長があまりにゆっくりだったり、まだそれでもゆっくりとでも成長を感じれば良いかもしれませんが、大きくなるにつれて問題や課題が膨らんでいくことがあるので、「努力」に対する成果がなかなか見えなかったりするんですよね。
努力がなかなか報われない、とも言えるかもしれません。
それでも、報われようが、報われなかろうが、愛しい我が子のために、あれやこれやと調べたり、駆け回って、何かせずにはおれない…という保護者の方々に多く会ってきました。
「愛」だな、と思います。
でもね、やっぱり、無意識で駆け抜ける頑張りは危険だと思うんです。
結果的には子どもにも悪影響。
やっぱり、親が健康でハッピーでないと、子もそうならないな、と。
そう思うきっかけになった大反省の出来事は、BTSを語る別のアカウントで、自身の戒めとして記事にしておりますので、もしよろしければご覧くださいませ。
ちょっとくらい家事をおろそかにしたって良いじゃないですか。
デリバリーさんありがとう!
仕事して、送迎して、一ミリも料理したくないことあるので本当に助かります!
冷凍食品さんありがとう!
この時期、給食がないので、お弁当にたいへん重宝しております。
できればルンバさんも欲しいです。
家事代行サービスさんも利用してみたいです。
全自動洗濯機ありがとう!
夜に洗濯物をポイって入れて、ピッてしたら、翌朝には乾燥までできるって、ここ7-8年の間にどれほどの時間と労力を節約できたかわかりません。
AI検索さん、ありがとう!
地道にいろいろなワードで手を変え品を変え、検索エンジンで調べていた自分には戻れないほど、頭の中の整理+情報をいただいています。
頑張らない努力って何かな…と考えた時に浮かんだ事柄をいくつか述べてみました。
頑張らない努力の素晴らしさって、目に見えて成果があることです。
手抜きとか、怠惰とかいう思考は捨てます。
手抜きとか、怠惰とか指摘してくる人との関係性も捨てます。
頑張らない努力をすることで、頑張る努力を制御する力も生まれる気がします。
まずは大事なことなので、何度でも言うと、とにかく健康でハッピーであること。
じゃないと、良い頑張りもできないんじゃないかなって思います。
無理しないとできないこともあります。
大丈夫じゃなくても大丈夫だって言って明るく振る舞う場面もあります。
悲しい思いや悔しい思いも両手両足の本数じゃ足りないくらいにあります。
だからこそ、頑張らない努力を意識して、小躍りしながらハッピーに生きていきたいと思うこの頃です。
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