エッセイ:個人と集団、変化と停滞、コンセンサスコストを考える
現在の社会を見てみたときに、変化が起きているところと停滞しているところがあるのをよく発見します。
それも、個人、企業、社会、国ーー様々な粒度・場所で。
その隔たりを説明する切り口として、コンセンサスコスト(何かをしようと合意するのにかかる労力のこと)があると思います。
個人なら当人さえ納得できて行動できれば、変化は起こりますのでコンセンサスコストは少ないと言えるでしょう。
逆に国や社会となれば、全体最適のための変化すべき方向が見えたとしても、利害関係や既得権益を手放したくないという感情、その他多様な価値観のためにコンセンサスコストが跳ね上がります。
100%一致にはならず、それでもみんなが納得できるように多くのコストを支払わなければ変化はできないでしょう。
集団において、変化は連続的には起こりにくいものです。
前例踏襲をしたほうが、反対されることは少ないため、低いコンセンサスコストで意思決定をすることができます。
言い換えると、意思決定のコストが高いことは集団の力学の中では必然的に避けられる傾向にあると言えます。
まさにこの点が組織変革が自然には進まない原因と言えるでしょう。
様々な組織変革の書籍にかかれていることは単なる仕組み化の話で、あまりこのコンセンサスコストのことは書かれていません。
その理由はおそらく、コンセンサスコストを支払うこと、つまり変革に当たってのコストの高い意思決定をすることは読者である変革者に委ねられているということだと思います。
個人的には、DXなどの数々の革新が頓挫するのは初期のコンセンサスコストの高さなのだと考えていますが、そこには組織ごとに多様なコンテキスト(背景・状況といった文脈)があるためあえてスコープから外して立ち入らないようにしているように思えます。
(ちなみに、経営層からのコンセンサスが得られていることとは別に、変革を具体的に行う現場のコンセンサスコストがあります。ここでは初期のコンセンサスコストとしてそれも含めて論じています)
昔読んだアルビン・トフラー氏の著書”富の未来”の中で、組織ごとの変化に対応する速度の話が書かれていましたが、まさにその速度はコンセンサスコストによって決まっていたということができると感じました(ちなみに、国が速度1に対して、企業は速度100とされていました。個人の速度はその場合、1000以上になりそうです)。
VUCAの時代、コンセンサスコストを如何に下げて、素早く変化に対応できるかが求められているわけですが、その一つの切り口としてコンセンサスコストの少ない個人の動きがより重要になってくるんじゃないかと私は考えています。
生成AI、あるいは近い未来実装されるであろうAGI(汎用AI)によって個人のできることは圧倒的に増え、周囲とコンセンサスを取るべきことは減っていくでしょう。
そんな未来の姿はどのような形になっていくか、楽しみです。
以上
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