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人も企業も「健康」であることを目指したい。

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエ イティブリーダシップ特論 第10回 稲葉 俊郎さん(2021年9月13日)

 クリエイティブリーダシップ特論第10回の講師は、ご本業である医療の世界に止まらず、伝統芸能、芸術、民俗学、農業などの様々な分野で積極的に活動されている、医師・医学博士の稲葉 俊郎さんです。

 昨年4月に軽井沢に拠点を移された稲葉さんは、熊本高校→東大医学部→東大院(医学博士)→東大病院循環器内科で世界最先端のカテーテル治療に携わっておられたという、それはもの凄いご経歴で、これだけを見るとトントン拍子で人生を突き進んでこられた印象です。ところが、その間は「人はなんのために生きるのか」「大事な問いには誰も答えてくれない」「(プロフェッショナルとの道を極めていっても)なにかが違う」と苦悩の連続だったそうで、まるで若き日のガウタマ・シッダールタの語りを聞いているよう。
 その後、東日本大震災後の福島での活動、能や音楽の世界、西洋医学のルーツに触れるなどの様々な経験を経て、
現代の医学は「病気学」になってしまっているが、本来は「健康学」であるべき
という思いに至ったそうです。

 病気を治すというのは手段の一つであって、医療の本来の目的は、人を健康に、元気にすることにあるはず。西洋医学の父であるヒポクラテスが医療を行なっていた場には、なんと円形劇場があったりするそうですが、それも人が元気を取り戻すための施設だからとのことです。
 つまり、病院は必ずしもハコモノである必要はなく、屋根のない病院があってもいいし、街全体が人の元気を取り戻す医療施設の役割を果たすのもいい。そうした思いから軽井沢に拠点を移されたそうですが、稲葉さんが芸術監督を務められた山形ビエンナーレ2020のような芸術祭も、人が元気になれる場として、その本質は同じであるということです。

 今日の話にはめちゃくちゃ共感して、おぉCL特論らしいエモいやつきたなー、という感じでした。稲葉さんが語られる「人」を、自分が日頃向き合っている「企業」に置き換えてみると、全く同じことが言えるように思うからです。

 金融機関に勤めていた若かりし頃は、「うちの銀行は都市開発やってます、ベンチャーやってます」なんて言ってるけど、「やってないやん、横から口出ししてるだけ(お金も出しますが)やん」なんて悶々とした状況から抜け出せず、少しでも企業の近いところで一緒に動きたいという思いで、実践的・専門的なスキルを身につける道に方向転換をしました。
 弁理士として独立して約20年、未だにモヤモヤ感が消えないのは、まだまだ仕事が「病気学」の領域に止まってしまいがちだからだと思います。

 知財の仕事であれば、権利侵害のトラブルを解消したいとか、競合に模倣されないように権利を固めたいとか、それらは企業が抱える個々の問題に対処するための「病気学」の領域であって、企業の本当にありたい姿、好ましい状態の実現を目標に据えた「健康学」の閾には至っていない。
 稲葉さんは、医療によって「人生の全体性を取り戻す」ことを目指していると話されましたが、知財の分野における「健康学」は何を目指していくべきものなのでしょうか。

 そもそも、企業が「健康」であるとはどういう状態なのか。
 ベンチャー投資に携わっていた頃は、時価総額が大きいとか成長率が高いとか、そんな数字に表れる部分に目が行きがちだったりもしましたが、今は、そこに働く人々が自分の仕事にプライドをもって、毎日充実感をもって過ごしている状態であると思っています。
 企業のオリジナリティともいえる知財は、そのプライドを引き出す栄養剤になり得るものであり、自分はそこが本質だと思って取り組んでいるところですが、10年くらい前に、地方でユニークなものづくりを続けている中小企業の社長に「仕事が楽しければ人生が楽しくなる。だから、この地にやりがいのある仕事をできる場を作りたいと思って頑張っているんです。」と言われたことを思い出しました。

 プロフェッショナルであるからには、「病気学」の領域にもしっかり対応するのは当然ですが(稲葉さんもそこは強調されていました)、そうした企業の健康な状態につながるものであれば、それを実現する手段は、知財として定められた領域や、現在のサービスのあり方に囚われる必要はない。というか、囚われていてはいけない。知財という素材を、それだけではなく、デザインの力で様々な素材と融合させ、自在に料理することによって、「健康学」の領域に一歩踏み出せるはず。
 というふうに自分にも気合いが入ってきたことで、人を元気にする稲葉さんの医療行為の力を実感した次第です。

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