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フィアスコプレイヤーはなぜセックスを求めるのか

先日、自作のフィアスコプレイセットを仲間内で公開したときに、(これはやや冗談やからかいが含まれるが)セックスの項目が存在しないことを指摘された。

セックス

フィアスコはTRPGの一種である。簡単に説明すると、プレイセットと呼ばれるお題表に基づいて即興劇を行うゲームで、例えば『前者と後者は恋人同士である』などの関係性をダイスでチョイスし、プレイヤー同士の間に貼り付ける。プレイヤーはその付与された要素に従ってリレー形式で物語を紡ぐ。

要するに縛りやお題のあるエチュードなわけだが、これが実に奥深く、いわばTRPGというゲームの原液のみお出しされたもの。オンザロックだと言えるだろう。

自分の使うキャラクターを作成する自由は、あるときはあるがない部分は容赦なくない。もしフィアスコで「君のキャラクターはギターを持って世界の秘密を握る人間に惚れられた/惚れた人物だ」と指名されれば、基本的にはそのさだめから逃れることはできない。ただし、それ以外は自由だ。

フィアスコは道徳/政治である。

僕が入り浸っているTRPGスラムでよく交わされる言葉だ。発案者はほぼ僕だが。

フィアスコの重要なところは、システム上自分のキャラクターに付随する要素は『他者』によって決定されることがほとんどだ。そして、これは『お互いがそうなる』。

重要なのは距離感と、空気を読むことと、『空気を読まないことができる関係』だと肌で実感できる。

これは完全にTRPGの本質をついている。

TRPGは他者が存在しなくてはプレイできない。他者を重んじることは最重要なスキルだ。いわゆる野良卓とよばれるオープンな募集で集う卓にも何度か参加したが、概ね楽しいと思える体験ができたのは、プレイヤー同士の距離の測り方がうまかった時だ。

誰もが自分のキャラクターを活躍させたいかもしれないが、それは『許容できる相手』がいるから実現できることを忘れてはいけない。これがTRPGの道徳だ。

ややセックスの話に戻そう

TRPGは政治だと言ったが、フィアスコにおいては『誰に、どのような要素を与えるかの交渉や駆け引き』に、そのような点が見られると思っている。円熟したコミュニティで行うTRPGでは、ある種の慣れ親しんだからこそ可能になる悪ふざけ、というものがある。もちろん、これは前述した道徳/思いやり/リスペクトが欠かせない。

だが……そこでフィアスコプレイヤーに悪魔の囁きが発生する。


あのヤバい要素をあいつに付与したいとは思わないか?

そもそもフィアスコは公式のプレイセットからすでにセックスやらドラッグの要素が存在する。何故なのか?

フィアスコの本質は、『自分では取りたくない要素を相手にプレゼントすること』

よほどの熟練プレイヤーでなければ、もしくは他者に臆しない人物でなければ『セックスする』の要素は受け入れがたい。だが、フィアスコはシステムからこのようなボムを用意されているゲームなのだ。

思いやりのある、信頼できる相手にクソ要素をぶつける/もしくはぶつけられる。

これがフィアスコで『セックス』が求められる本質だと僕は考えている。あくまで自論でしかないが、フィアスコの公式プレイセットを見ると実に『自分に付与されたらどうするかなー』といった要素がかなり多いので、製作者も狙ってるのだと思う。

フィアスコは楽しいTRPGだが、同時に苦しいTRPGだ。TRPG筋トレとも呼称されている。

フィアスコのプレイセットは二作目を製作中だが、そういった点を考慮しつつ最終微調整を行なっている。

フィアスコのプレイセットを作るのであればアドバイスを。とかく要素をまずはひたすら埋めることから始めるべきだ。特に場所の項目は厄介で似たり寄ったりになりがちだろう。そしてフィアスコのテーマを頭に入れて要素を調整する。

そして最終的に、どうせプレイヤーが滅茶苦茶に要素を破壊するのだと思い一部をそっと諦めることだ。

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