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「ちくまQブックス」伊藤亜紗さん×苫野一徳さんが中高生に伝える「なぜ」との向き合い方

10月16日(土)に代官山 蔦屋書店主催で行われた、「ちくまQブックス 『きみの体は何者か』・『未来のきみを変える読書術』(筑摩書房)刊行記念 伊藤亜紗さん×苫野一徳さんトークイベント〜自分の問いに向き合う〜」に、ch FILESの高校生スタッフを学校総選挙からご招待! 先生方にたくさん質問してみました!

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ちくまQブックスは、9月より刊行スタートした、さまざまな「なぜ」から考える力の大切さを教えてくれる10代のためのノンフィクションシリーズ。「なぜ(Question)」から「探求(Quest)」へとつながり、“知りたい”の好奇心が刺激され、考え続ける力が身につきます。
https://www.chikumashobo.co.jp/special/chikuma-qbooks/


イベント前半は、伊藤先生と苫野先生による対談。中高生時代に自分の問いに向き合ってきた時の体験談などをお話され、イベント後半では、高校生がおふたりの本を読んで生まれた疑問をぶつけていきました。日頃感じていた「あれ?」や「もやもや」が掘り起こされて言葉になる感覚は、皆初めての体験!

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1. まずは、本を読んだ高校生たちの感想から。

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『きみの体は何者か —なぜ思い通りにならないのか?』
伊藤亜紗(いとう・あさ)
美学者/東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

もも(高3) 伊藤先生の本で一番印象的だったのは、「思い通りにならないことが思いがけない出会いを連れてきたんだ」という一文でした。私もこの先の自分の人生の中で、思い通りにならないことがあったとしても、不安になるだけでなく、その状況を楽しめるようになりたいと思いました。

かのん(高1) 伊藤先生の本では吃音 きつおんも私たちの体に住み着いているアイデンティティのひとつだと知り、自分のアイデンティティが少し可愛らしく感じられて、心が温かくなりました。とても新しい感覚で、これから先見える世界が変わるんだなと思うと、ワクワクしました。今の時期に読めて本当に良かったです。

あおい(高1) 本の中から伊藤先生が自分の体を受け入れて愛していることが伝わってきました。中でも驚いたのは「難発は言葉が出ない症状ではなくて、言葉を熟成させる症状であるかもしれない」という一文で、言葉を熟成させるなんてことを初めて考えたので、本当に感動しました。


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『未来のきみを変える 読書術 —なぜ本を読むのか?』
苫野一徳(とまの・いっとく)
哲学者/教育学者・熊本大学教育学部准教授

しお(高3) ノンフィクションの本って今までは敷居が高いなと思っていたのですが、苫野先生の本は「クモの巣電流流し」や「一本釣り漁法」など面白い表現が出てきて、読んでいるうちに「なるほど!」という気づきがたくさんありました。これからも本を読む時の教科書として何度も読み返したいなと思います。

りょうが(高1) 苫野先生の本の中で「知のネットワークを使って言葉をためる」という表現にとても共感しました。自分も読んだ本や観た映画、CMなどで得た言葉を取り入れて、別の場面で使ったりすることがあるので…。この本から、本を読むことの大切さを知りました。


本を読んだ上で浮かんだ疑問を、先生方に質問してみました。


2.研究をしてみて知った“意外”だったことは?

もも(高3) 伊藤先生は、ご自身の体験に基づく「吃音」について書いておられましたが、ご自身の体について研究してみて、“これは意外だったな”ということってありましたか?

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伊藤 最初は吃音について研究すると余計に|吃≪ども≫るんじゃないかなと思って怖かったんです。でも実際に研究をしてみると、その程度では吃音は負けないんです。研究をしてもしなくても吃るものは吃るし、思い通りにならないことは思い通りにならない(笑)

自分以外の吃音の方とお話すると、驚くほど自分と違っていて、私の場合は国語の授業で本読みをさせられるのがすごく嫌で吃っていたのですが、人によっては本読みの時は吃らないという方もいて、私からすると「なにそれ!?」みたいなことがたくさんありました。私は自分の体のことを知ったつもりでいたけれども、まだまだ何もわかっていなかったんだな、という意味では、“わからなさ”を知ったかもしれません。

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もも 自分の体を研究してみようと思われたきっかけはあったんですか?

伊藤 研究者って建前上は、自分を消して客観的に研究対象のことを分析しないといけないとされるんですが、実際それは無理なんですよね。私は目の見えない方の研究をしてきた中でそれをとても感じていて、それなら怖い気持ちはあるけれど、自分の持っている特徴のひとつである吃音のことを研究してみようと思いました。


3.10代にわかりやすく伝えるために意識したことはありますか?

しお(高3) 苫野先生の本は文章から私たちにすごく寄り添ってくれているんだなというのが伝わってきました。今回、中高生向けの本を書かれるにあたって、難しい言葉をわかりやすく言い換えるために何か意識されたことはありますか?

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苫野 すごく面白い質問ですね。同じ筑摩書房で、「はじめての哲学的思考」という本を書いていて、これもほとんど専門用語は使っていないのですが、僕はエッセンスがどこにあるかだと思うんです。例えば先ほど亜紗さんが“客観”という言葉を使われていましたが、“客観ってどういうことだろう?”ということをいつも考えているかもしれません。小学生に向けて授業をすることもあるのですが、わかりやすい言葉で話せば小学2、3年生でもデカルトの話がわかるんですよ。いつもやり取りをする中で、“こういう言葉なら伝わるかな”と感触を確かめながら言葉を見つけているかもしれないですね。


4. “伝えられなかった言葉”との向き合い方とは?

かのん(高1) 伊藤先生の本は言葉の一つひとつが温かくて、本の中でも言葉に関する話をしてくださっていましたが、伊藤先生流の“言葉の温め方”があれば、教えていただきたいです。

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伊藤 “言葉の温め方”という表現がすでにパワーワードですね。さっき一徳さんもおっしゃっていましたが、“感触を確かめながら書く”というのは私もそうで、書いている時は目の前に聞き手はいないんだけれども、自分の中に読者を飼うというか、一人読者を設定して、伝わるかどうかを考えながら書いているかもしれないです。

私が所属しているのは東京工業大学で、理工系の大学なんです。文系とは価値観も興味もまったく違う理系の学生さんに向けて話をするので、どうしたら伝わるだろうとはいつも考えています。何かを問いかけた時に返ってくる答えも想定外で、私自身すごく楽しくて、それが温かさと感じてくださったのかなと思います。

かのん 言葉を心に入れていく、みたいなお話で、吃音が原因でその日言えなかった言葉を夜にもう一度考え直すということも書いておられたのですが、それってどういう感覚なんですか?

伊藤 吃音で言えなかった言葉がずっと自分の中に残り続けていて、言えなかったシーンを思い返しながら、“あの時言えていたら私カッコ良かったのに!”とか思ったりするんですが(笑)、言えなかった言葉は一旦会話の流れから切り離された言葉として自分の中に残りますよね。そうすると、その言葉の意味をよく考えた上で、また違う会話の流れの中で使える出番が必ずきます。それに向けて考え事をする感じでしょうか。それも言葉を温めるということになるのかもしれないですね。


5. 学生は“本”とどう付き合えばいい?

りょうが(高1) 学生だと本を読んでいても、例えばテスト期間で空いてしまうと前の内容を忘れて続きを読まなくなってしまったりすることがあるんですが、そんな中での本との付き合い方などのアドバイスがあればいただきたいです。

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苫野 無理をしなくていいんじゃないかなと思います。人生の中には無理して読むことが必要な時期もあるかもしれないですが、内容が4割くらい「わからない」と思えば、またいつか出会い直すかもしれないから置いておこう、という考えでいいと思うし、自分なりの読書スタイルは経験していく中で見つかると思います。

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苫野 あと、さっき感想で言っていただいた“言葉がたまっていく”ということはとても大事なことです。ただ一方で注意も必要で、哲学などは特にそうなんですが、いろいろ専門用語も多くて、使うとカッコいいんですよ。「世界内存在」とかね(笑)。だけどこうした言葉は多くの人には「なんかこいつカッコいいな」と思われてハッタリにはなるんですが、言葉は丁寧に使うことが大事なので、わからない言葉は意味がわかるまで使わない方がいいですね。高校生の時は、ちょっとくらいカッコつけるのもアリかもしれないですけどね!(笑)


6. 思い通りにならない自分を受け入れる方法を教えてください!

あおい(高1) 私も自分の思うように体を動かせないことがあって、自分の体を受け入れるってとても難しいことだと思うんですが、伊藤先生が自分の体を受け入れられるようになられたきっかけがあれば教えて欲しいです。

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伊藤 これは皆さんにおすすめするつもりはないんですが、私は大学院生の時に出産をしていて、この時に完全に自分の体が自分のコントロールから外れたんです。自分の中で別の生命が育って、想像を超える形で成長して生まれてくるんですが、妊娠中は食べ物の趣味が変わったり、私の場合はなぜかすごくジャズが好きになったり。それくらい乗っ取られる感覚があって、この時に“体は自分が思う以上にすごい能力を持っていて、自分の体は自分のものではないんだな”という感覚が生まれました。

これが自分の体を突き放して、少し冷静に観察したり好きになるきっかけになったかなと思います。私の場合は妊娠・出産でしたが、何か大きな病気をするとか怪我をするとか、とんでもないことが体に起こったりすると、自分の体なんだけどもう一度出会うみたいな経験をすることがあるんじゃないかなと思うんです。だから探していくというより、出会うものなのかもしれないですね。

あおい 例えば友だちと何となく喋っている時に、言うつもりもなかった言葉がポロッと出て、「言ってしまった!」みたいな後悔をすることがあるんです。そんな自分の体と向き合っていくコツってありますか?

伊藤 思ってもないことを言って、“あれ? もしかして実はそんなことを思ってたのかな?”みたいなことって、ありますよね(笑)。まずは人間関係が気になると思うので、言ってしまった相手とうまく和解できればいいなと思うんですが…。

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伊藤 でもそれが何かのきっかけになるのかなとも思います。本の中でも「思いどおりにならないことが思いがけないことを連れてくる」と書いたのですが、人に言ってしまったことが、その人とじっくり話すきっかけを作るかもしれないし、“自分の体が勝手にいろんなことを言ってしまう現象”について友だちと共感し合うきっかけになるかもしれない。何かしら自分が制御できる領域の外に踏み出しちゃったということなので、その一歩をどう使うかは、自分次第で何かのきっかけになるかもしれないということなのかなと思います。

苫野 亜紗さんの回答が予想外というか、なるほど、そう捉えるか! ととても面白いですね。私にもそういう経験はたくさんあります。でもその経験ってとても大事で、僕はなぜそうなっちゃったんだろうと考えて考えて答えを出します。例えば、あの時は自分の中で甘えがあったな、甘えがあって相手が受け止めてくれるんじゃないかと思ったのかもしれないな、とか。それなら次に同じようなシチュエーションがあればそうならないようにしよう、とか。僕もいまだにやりますもん(笑)。いつも反省してます。

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あおい めっちゃわかります!

苫野 でも少しずつ減ってきますよ。たしかに自分の体は思い通りにならないんだけど、そんな体との付き合い方、こういうシチュエーションになったらこうしようという対処法がわかってきます。でも若いうちは恥ずかしい思いとか嫌な思いはしていいと思います。

あおい そうなんですね、ありがとうございます!


“問い”は、「ずっと頭の中をグルグルと巡ってうごめいている。でもそれらを一つひとつ捕まえてちゃんと解いていくことが大切」とおっしゃる苫野先生。「問いは生まれたら変化したり、次にまた生まれたり、生き物みたい」とおっしゃる伊藤先生。自分の中に生まれた「なぜ?」は見逃さず、向き合い続けることが大切なんだということをおふたりから教えていただきました。

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伊藤先生、苫野先生、ありがとうございました!

ちくまQブックスは今後も毎月刊行予定です。ぜひお読みください!
https://www.chikumashobo.co.jp/special/chikuma-qbooks/



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