『オペラ座の怪人』長い感想文ー4ー
映画『オペラ座の怪人』でじたるりますたー版を観ていたく感動したので、感想文を書きます。これまでの記事では、ストーリーを追って場面ごとに書いてきたので、最後に全体を通しての考察をします。
柱は三つ。音楽の天使とは誰か、猿のオルゴールが象徴するもの、そしてモノクロ演出の意味です。
本当の音楽の天使
まずは、クリスティーヌパパが語った「音楽の天使」について。
ヴァイオリニストであったクリスティーヌパパは、天国に行ったら音楽の天使を贈ることを一人娘に約束して亡くなりました。怪人はその天使の名を語り、クリスティーヌの心に入り込みました。
怪人は、偽の「音楽の天使」です。だから「音楽の天使」は名前が登場するだけで、実態を得ないまま完結した、、のではないと思います。
画面の中でやけに存在感を放っているのに、不思議なほど誰も触れようとしないものがあります。蝋燭の火が灯る暗い空間に、瑠璃色の柔らかい光を注ぐ存在。それが、チャペルのステンドグラスにいる天使です。クリスティーヌが度々祈りを捧げに来るこの暗い部屋で、パパが贈ってくれた本当の「音楽の天使」として、静かに佇んでいるような気がしてならないのです。
なので、"The Angel of Music" で、
"Here, in this room, he calls me softly"
(この部屋で彼は私に優しく呼びかけるの)
"Somewhere inside hiding"
(この部屋のどこかに隠れたまま)
と歌うのに対して、「そこに思いきりおるやん!」とつっこまずにはいられません。「勝利のドン・ファン」の公演前は、チャペルにこもって怯えるクリスティーヌを見守り、加護を与えています。マダム・ジリーの回想では、見世物小屋の主人(?)を殺めた幼い日の怪人がこのチャペルに逃げ込みますが、ステンドグラスのある壁面は果たして画角外。
おや?この考察かなりいい線いってるのでは?と思った次第です。
猿のオルゴール
次に、誰もが気になる猿のオルゴールの存在。序章のオークションで、ラウル翁が手に入れる怪人の遺物です。本編中も所々で意味深に焦点を当てられますが、特に言及されることはありません。原作には登場しない、ミュージカル版オリジナルキャラです。
このオルゴールが象徴するのはズバリ、怪人そのものと原作に登場するペルシャ人ではないかなと!
うーん実にシンプル。
「怪人そのもの」というのをもう少し具体的に言えば、見世物にされていた過去と、愛情を知らないまま大人になった故の幼児性です。欧米文化の文脈で猿やオルゴールがどんな風に扱われているのかあまり分からないですが、猿には道化っぽい印象が、オルゴールには子どもの娯楽っぽい印象が、私にはあるので。見世物にされていたのは過去ですが、怪人はオペラ座でも縄を操ったり隠し扉を出入りしたりして、奇術師のように生きています。得意技を振りかざし、お気に入りへの独占欲のままに振る舞う身勝手さは、まるで力を持ちすぎた子どもです。
オルゴールから流れるのが、
"Masquerade, paper faces on parade"
(マスカレード、偽りの顔々がパレードに)
"Masquerade, hide your face so the world will never find you"
(マスカレード、世間に見つからないように顔を隠そう)
と、怪人の宿命を歌っているかのような "Masquerade" であることからも、オルゴールが怪人の象徴であることは明らかです。
原作のペルシャ人とは、オペラ座に出入りする謎の人物です。どんな用があってそこにいるのか分かりませんが、原作にはそういうオペラ座に息づく怪しい生き物がたくさん描かれています。怪人は過去にこのペルシャ人に命を救われたことがあり、恩を感じそして多少なりとも心を開いていたようです。クリスティーヌを巡る一連の事件の後、死期を悟った怪人は彼の家を訪れ、クリスティーヌのことを真実に愛していたことを語り、そして彼女に自分の死を知らせるよう頼みました。
オルゴールの猿にペルシャ服を着せたのは、舞台化に伴い抹消されたペルシャ人への哀悼の意かしら。怪人がオルゴールを前に涙を流し、クリスティーヌに愛の言葉を伝える描写からも、原作のペルシャ人が担っていた役割の一端を猿が負ったのだろうなと思わされます。
モノクロシーンの効果
ストーリーの時系列では、おじいちゃんになったラウルがオークションに現れる日が現在で、モノクロで撮られています。怪人を巡る一連の事件はラウル翁が回想する過去として描かれ、こちらはカラー。なぜ過去がカラーで、現在がモノクロなのでしょうか。
静謐な曲と一本の蝋燭とともに映画が始まるや、木の葉は寂しく舞い、オークション会場のオペラ座は荒れ果て、主役は老いさらばえたラウル。派手なBGMもなく、残酷なくらい現実的です。モノクロであることで、実際の古い映像のようにも感じられます。
それ故に際立つのが、本編のド派手さ華々しさです。やりすぎなくらい大仰な音楽と、個性豊かなキャラクターたちと、壮大なラブストーリー、そしてミュージカルという「演出」。これらを、現実を生きるラウル翁の脚色された回想として扱うことで、調和のとれたひとつの作品として完成されているように感じました。
短く言えば、あまりにもストーリーがロマン主義的で俗っぽいので写実的な要素を加えてバランスがいい感じ、みたいな。ロマン主義的の認識が正しいのかは分かりませんが。
さらに短く言えば効果絶大ってことです。私も『オペラ座の怪人』の凄さにあまりにも熱くなってしまっているので、後で振り返った時に恥ずかしくならないように時々メタ視点を取り入れているつもりだけれど効果はあるかしら。
YouTubeおすすめ解説動画
最後にひとつ、この感想文をあらかた書き終えた後に見つけたYouTube動画を、備忘がてら紹介します。
声楽家の方がオペラの魅力を発信されている「オペラマガジン♪」というチャンネルです。『オペラ座の怪人』について話されている動画は、本記事公開時点で嬉しいことに7本もあります。
これらの動画では、『オペラ座の怪人』(舞台に限らず映画、原作にも及んでいます)を、音楽や舞台の観点から考察されています。怪人とクリスティーヌがユニゾンを歌うことの意味や、劇中劇への元ネタオペラの取り入れ方、ずらし方などを解説されていて、蒙が啓かれる思いでした。激オモロです。音楽や舞台の知識なしには分からないことをたくさん知ることができて、これが欲しかったんだ私は!って思いました。
あまりにも気づきが多くて影響されまくってしまうので、感想文を書き終えた後かつ投稿する前に観ることができて良かったです。
さてさて、好きな映画について存分に語り切りました。こんな個人的な長い感想文の需要が世界のいったいどこにあるのだろうかと思いながら。でも、数年後に読み返して「あの時はここに感動してたのか」とか「まだまだ解釈が浅いなあ」とかって思うのが楽しみです。
需要は未来の私にある。
次回、終章を設けて長い感想文を締めます。
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