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『オペラ座の怪人』長い感想文ー2ー

 映画『オペラ座の怪人』でじたるりますたー版を観ていたく感動したので感想文を書きます。
 前回の続きで、カルロッタご機嫌取りの「プリマ・ドンナ」シーンから、雪の墓地のシーンまでです。


Prima Donna

 「ぷりまどんな」をしばらく「ぷり・まどんな」だと思ってました。よく分からんがマドンナなんだな、と。ちがった。「プリマ・ドンナ」だった。オペラの主役女優をそう呼ぶのか。

 怪人のクリスティーヌ贔屓に拗ねて出て行くカルロッタの後を、よく見ると巨大な額縁が追っています。
 絵の内容は、オスカー・ワイルドの戯曲でも有名な新約聖書の登場人物、サロメのパロディです。踊りの報酬に聖人の首を求めたトンデモ娘・サロメの姿がカルロッタに差し代わっています。皿に乗った首のモデルは誰なんだろう。

『オペラ座の怪人』(2004年)


 原作者からも映画監督からも怪人からもとんだ扱いをされるカルロッタですが、差し出されたピカピカジュエリーよりも愛犬を選び取るシーンがあったりしてなんだか憎めないキャラです。

All I Ask of You

 ラウルとクリスティーヌが二人で屋上にエスケープして愛を確かめ合う曲です。当然のように怪人もついて来ているので二人きりではないですが。
 怪人とラウルとの対比がよく際立っているシーンだなあと感じます。

 例えば歌詞に、

"Let day light dry your tear"
(昼の光で君の涙を乾かそう)

"Let me be your light"
(僕を君の光にして)

などとあるように、「夜」「闇」に生きる怪人に対して、ラウルは「day (昼間)」「光」を肯定しその象徴でもあります。この曲がオペラ座の屋上で歌われるのも、地下に住む怪人との対比が感じられます。

 愛と希望に溢れたきれいな曲ですが、そのメロディーと歌詞の退屈なこと(個人の感想です)。でもそんな陳腐な(個人の感想です)曲が、この後何度も怪人の脳に蘇ります。トキントキンに尖っている怪人ですが、内心では王道の恋が羨ましかったんでしょうね。

 屋上シーンの最後、二人が去った屋上で怪人は嫉妬のあまり石像に駆け上り雄叫びをあげています。この描写でふと頭をよぎるのが、地下でクリスティーヌに素顔を暴かれた時に、怪人が自分のことこう歌ったことです。

"This loathsome gargoyle who burns in hell"
(この忌まわしいガーゴイル、地獄で火に焼かれ)
"But secretly yearns for heaven, secretly… secretly"
(しかし密かに天国に憧れる、密かに、密かに…)

屋上の隅で石像の翼を背に口を大きく開けて恨みを歌う怪人がガーゴイルに見えて、これはもしや意図的か!?と思ったのはさすがに深読みかしら。

 もう一つ深読むとしたら前奏の部分です。
 歌に入る直前、"The Music of the Night" のラストの旋律が挟まるのです。地下で気を失ったクリスティーヌに、「私が夜の調べを作る力になって」と怪人が歌いかけた時の旋律です。この旋律が流れる時、映像では怪人から貰った赤いバラがクリスティーヌの手から落ちて雪の上に転がります。怪人の歌に酔いしれた記憶が、ラウルとの愛によって上書きされることを表しているのでしょうか。
 "The Music of the Night" を気に入って何度も聴いたから偶然気がついたけれど、他にもいろんな楽譜レベルの仕掛けが隠れているんだろうなと思います。音楽の造詣が浅いことが悔やまれる~。

Masquerade

 四旬節(?)の派手派手仮面舞踏会。画面全体が真っ金金で、歌にもたくさんの人が参加して重厚感があり、まさに豪華絢爛を体現したようなシーンです。

 この曲は、ストーリー全体のテーマでもあるように思います。派手で優雅で愉快なメロディーや目が回るような間奏、色鮮やか煌びやかな歌詞の中に紛れる狂乱は、豪勢を極めるオペラ座とその裏の闇を描いた作品全体を象徴しているようです。猿のオルゴールから流れるのがこの曲であることがそれを説明しているのかもしれません。
 光文社古典新訳文庫版『オペラ座の怪人』の訳者解説に、私の言いたいことが全部書いてあったので引用します。

そもそも劇場には怪談がつきものだ。明るく華やかな舞台と、その下に広がる暗い奈落。おおぜいの観客でにぎわう客席も、いったん芝居がはねれば人っ子ひとりいなくなる。そんな光と闇のコントラストが、人々の頭にありもしない幻影を生み出す。そして何よりも劇場とは、愛と憎しみ、栄光と挫折が交じり合い、人間の欲望が渦巻く場所だ。そこに幾多の因縁話が生まれたとしても不思議はない。

平岡敦訳『オペラ座の怪人』解説より

 ここに言われている劇場の二面性やカオスさを詰め込んだのがこの "Masquerade" という曲ではないでしょうか。
 サビの、

"Masquerade, paper faces on parade"
(マスカレード、偽りの顔々がパレードに)
"Masquerade, hide your face so the world will never find you"
(マスカレード、世間に見つからないように顔を隠そう)

の詞が怪人の宿命を表しているのは、はた言うべきにもあらずです。

 仮面舞踏会に現れる怪人が赤い衣装をまとっているのは、『赤死病の仮面』という1842年のホラー小説を下敷きにしているのではないかというコメントを、またもやYouTubeで見つけました。
 あらすじは、「国内に「赤死病」が蔓延する中、病を逃れて臣下とともに城砦に閉じこもり饗宴に耽る王に、不意に現れた謎めいた仮面の人物によって死がもたらされる(Wikipedia)」というものらしいです。
 原作でも、舞踏会での怪人を「真紅の服に身を包んだ赤き死」と呼んでいます。ちょっと気になるけれどホラーは絶対読みたくない。。でもやっぱりちょっと気になる。ホラー小説は読んだことないけれど、文字なら怖くないかしら。

Wishing You Were Somehow Here Again

 クリスティーヌがパパのお墓まいりに行きます。雪の早朝の、モノクロの世界に浮かび上がる怪人の黒い出で立ちや、血とバラの文字通りの紅一点。冷たい石像や墓石とその間を練り歩くクリスティーヌという、静と動(死と生)との対比。諸々が芸術的で印象深かったです。
 このシーンでは、クリスティーヌの胸元が寒そうなこととラウルが意外と強いことにびっくりしました。


続く。

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