『オペラ座の怪人』長い感想文ー3ー
映画『オペラ座の怪人』でじたるりますたー版を観ていたく感動したので感想文を書きます。
前回の続きで、怪人の書いたオペラ「ドン・ファンの勝利」のシーンから最後までです。
The Point of No Return
オペラ座の面々はついに、怪人をおびき出すために怪人作のオペラ「ドン・ファンの勝利」を要望通り公演することに決めます。
その舞台のおどろおどろしいこと。舞台全体が赤く燃え上がっていて、役者たちの動きも炎のよう、そして歌の詞にも、"fire" とか "blood" とか "flame" とかいった赤い言葉が散りばめられ統一感があります。
モノクロのような墓場シーンや黄金のマスカレードシーン、そして炎のドン・ファンシーンと、場面ごとに内容にマッチした色調で統一されているのも、この映画の芸術性を高めている一つの要因なんだなあと書いていて気がつきました。
怪人がドン・ファン役として舞台へ上がると、その歌声にクリスティーヌはまたも恍惚とした表情を浮かべます。エクスタシーと理性とを行き来するクリスティーヌの表情と、二人の並々ならぬ結びつきを見せつけられつつ正義を捨てないラウルの表情から、それぞれの感情の機微を読み取るのもまた一興。
妖しく不穏なメロディーに、最後に取ってつけたように、ドン・ファン役の怪人はかの月並みなラブソング "All I Ask of You" を歌います。「ドン・ファンの勝利」とかいう禍々しいオペラを書いておきながら、やっぱりラウルとクリスティーヌとの間に育まれたような爽やかな愛が欲しかったんですかね。
ここで目を醒ましたクリスティーヌが怪人の仮面をはがす!観客の悲鳴!怪人激おこでシャンデリアのロープを切る!そしてクリスティーヌとともに奈落へ消える!クライマックス!シャンデリア落下!観客の悲鳴!オペラ座大火事!クリスティーヌは怪人に引かれ再び地下へ…!
Down Once More
荒ぶる怪人と、地下に連れ去られたクリスティーヌ、救出に向かうラウルが織りなす物語の終章です。
クリスティーヌの口づけをもらい、初めて人の愛情に触れた怪人の描写が泣けます。初めて涙を頬に伝わせる怪人。猿のオルゴールをまるで幼い子どものように見つめ、"Masquerade" を口ずさむ怪人。謝るように、哀れむように佇むクリスティーヌへ初めて "I love you" と告げる怪人。そしてラウルと舟で去るその際に振り返るクリスティーヌ。
いやあーいい話だったーと強制的に思わせてくるラストです。
怪人だけでなく、クリスティーヌというヒロインの成長のようなものもこのシーンで感じられます。
それまで、周囲に流され、自分を庇護し導いてくれる二人の存在の間で揺れるばかりだったクリスティーヌが初めて見せる強い意志が怪人への口づけに表れているのかなと。
"Angel of music, guide and guardian, grant to me your glory"(Angel of Music)
(音楽の天使よ、私を導き守護する天使よ、あなたの栄光を授けてください)
の詞や、
"you, always beside me to hold me and hide me"(All I Ask of You)
(あなた、いつも私のそばにいて、私を支え匿って)
の詞に表れているように、クリスティーヌはずっと、亡き父親の代わりの庇護者を相手に求める子どもでした。しかしここで、
"God, give me courage to show you you are not alone"
(神よ、私に勇気をお与えください。独りではないとあなたに示すために)
と、誰かを支えるという一人の自立した大人としての役割を自覚したような詞を歌っています。
原作でも、これに該当するシーンのクリスティーヌは「そのときまでずっと、彼女の目の奥にあるのは死んだ女だった。けれども初めてそこに、生きた女を見ることができた。彼女は永遠の命にかけて誠実だった」(平岡敦訳)と語られています。
ラウルを救うために偽りの愛情を見せたとかいうシンプルな構造では決してなく、怪人への想いも正真正銘そう、一種の愛だったのです!!!熱い!
そして映画最後の詞、
"It’s over now the music of the night"
(夜の調べはもう終わった)
これは、物語を締めるナレーション的な役割をも担っているようです。クリスティーヌと怪人を巡る物語全体を "music of the night” に喩えているみたい。
続く。次は全体を通しての考察をします。
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