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23.2.11 ためらうことの先に求めるものがある

こんにちは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

修士学生の修論発表が無事に終わりました。ほぼ全員の評価も高かったとものことでよかったと思います。公聴会も僕と一緒に受けた先輩も成績優秀者の候補になるくらい評価よかったですし。あれ、僕は…?

博士にしてはほんとうにひどい自分だとは思いますが、そのたびに「贅沢を言うな」と言われます。鬱病の最中というハンデを背負って修了できただけでも奇跡に近いんだぞと何回も言われました。

いや僕の話は良いんですよ別に。とにかく、みんな無事に修了できそうでよかったです。送別会もやりましたし。ただ酔いすぎて帰れず、後輩の家で寝泊まりしました。中国のお酒は後から来るものが多いですね。

話は変わりますが、なんといいますか、自分があれこれ動くほど、信用というものが落ちる気がしています。かといって何もしなければしないで信用を徐々に削っていきますが。なので、他者にとって良いと思える行動を重ねていくほかないと僕は思います。それ以外のやり方もあるでしょうけど。でもどうやったらそういうのができるんでしょう。

勉強するしかないんですよね。本を読んで実践してみて。自分の中に落とし込んで。いろんな経験を重ねていくうち、見えてくるものがあるかもしれません。まだまだ、自分は見えていないものが多すぎる。まだまだ失敗が足りない。まだまだ成功が足りない。

それらを得て自分を変えていくためには、まず動くこと、それも躊躇うようなことを取り組む必要があるんだろうなと。楽な方より、どうなるかわからない、怖くて不安で嫌だなぁって思う方へと進むことも、長期的には良かったりします。もちろんそれがすべて正解ではないので、適切な判断は求められますが。

これからは嫌なことの連続でしょう。苦しいことの連続でしょう。これからも劣等感や焦燥感に襲われる日々でしょう。でも、それを選んだ先に何があるのかは気になります。それに、平々凡々な生活は好きではありますけどそれは老後でいいかなと思っていますし、仮に老後安定しなくてもまぁ生きていけるかという気概もあればいいなと思っています。

波乱万丈な日々も、悪くないのないかもしれません。劣等感に苛まれやすい自分にとっては向いているかもしれ…いや穏やかな生活が良いですねやっぱり。まぁバランスよくあればいいなと。偏りすぎるのはあんまり好きじゃないですから。

修了はまだですが、公聴会を乗り越えたこと、鬱のきっかけだった人たちとの和解と克服。これが自分にとっての大きな自信となっていると思います。

だからもう、不安はあっても自信がないとは言わないようにしたいです。卑下しないように生きたいです。幼稚でも現実見えてなくてもいいんです。自信があればなんとかなりますから。なんとかならなくても、自分の中は爽やかでしょうから。

素敵な画像をお借りしました。t0m0y0様、ありがとうございます。

それでは、良い一日を。

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