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22.10.22 語る側と聴く側

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

博士論文書いてます。実験もしてます。間に合う気がしない。でもみんな寝ないでやってぎりぎりで完成させていると聞いたので、まぁ自分も同じ道をたどって、審査員らに可愛がられて()、本当の博論完成にむけてまた頑張って、そんでディフェンスですね。

うつ病からだいぶ回復してきた感じがします。実験器具をもつ手が震えることはなくなりましたし、人に見られたり、話すこともある程度は耐えられるようになりました。やっぱり実験するのも好きなんだなって。深夜や早朝に実験するのいいですね。てっきり実験するの嫌いなのかと思ってましたが、少しの間休めばよかったみたいです(少しとは)

さて、先輩や後輩、大人の人たちと話していて、自分に語れるものがないんじゃないかとふと思う瞬間がありまして。

いや博士課程で専門研究してるなら語れることあるだろって思いますけども、なんというか、それは仕事のジャンルで語れるというもので、趣味的なものはどうなんだろうって話で。

いや小説書いてたり運動してたり美術鑑賞してたり配信・実況プレイ好きなら語れるだろって思いますけども、好きなだけで人に語れるほどじゃないんですよね。小説に関して語れる人は自分の知ってる中でかなりいます。語れるの羨ましいんですよね。

まぁ語れるようになりたいという自分の気持ちの根本に、他人から評価されたいというマインドにたどり着くので、別に自分の好きなことだけに目を向けて探求と勉学を続ければいいんじゃないかと思ったりする自分もいますけども。

それと、語れる人になるより、それを聴いて質問する人になった方がよっぽどいいのではないかと考えてます。もちろん、誰かに何かを推したりお勧めして提案したりする能力は時に求められたりしますが、それ以上に人の話を聴く人の方が重宝されます(こうやってすぐ実用できないかと考える自分が嫌になってきますが)。その方が学べますし、関係を良好にできる機会を掴みやすくなります。

まぁそれでも語りたい時はとにかくニュースを見て、本を読めってことですね(投げやり)。そんで手足動かしてひとつのことを深く学び続けること。これに尽きるかと思います。自分も読書(論文や書籍等)と経験を通じて、いつかのために語れるようになれたらと思います。ただ年とるほど物を語る時に煙たがれたりするので、やっぱり語れるようになることを目指す必要はないかもしれませんね。人間、歳食うほど話したがるようになりますから。

それではおやすみなさい。明日も良い一日を。



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