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22.2.25 群盲象を評す

こんばんは、多部栄次です。
毎日日記やっていきましょう。

群盲象を評す(the six blind men and the elephant)という言葉をご存知でしょうか。

数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話で、世界的に良く知られる話です。
言ってしまえば「木を見て森を見ず」と同義でして、物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう例えを指しています。

ダイバーシティとエコロジーに関する講義でそれを聞き、最近読書で同じ言葉を見つけたので思い出しました。その程度の記憶ですので直接的な馴染はあまりないにしろ、僕たち人間は日ごろ深くかかわっているかもしれないと思います。研究に触れる人は勿論、日常生活で知るニュースとか、会話の面でも似たことは言えそうです。

例えばある物に対して、
化学者は「分子量一万を越える、かつ熱可塑性を有するもの」
生物学者は「海洋生物に影響を与えるもの、あるいはそれが生物より生み出される原料によって生み出される、ないし生物そのものがそれを為しているもの」
数学者は「x^3=x+1の実数解ρ」
社会学者は「高度経済成長に伴い発展した製造物であると同時、環境問題に深く根付いているもの」
一般的には「生活に欠かせないもの、ごみ問題としてよく取り上げられるもの」

といった感じでいろんな見方が…なんかそれでも偏ってるな。偏見に満ち溢れている例えだなこれ。
まぁプラスチックなんですけども、人によって見方や捉え方、あるいは関心も含むでしょうが差異はあるとおもいます。

ただ、それには正解も不正解もなく、あくまで一面を見ているに過ぎなく、その一面だけで捉えて考えたり発言するのは早計だと僕は
思います。やりがちですけどね。僕もあんまり関心ないものだと特にやりがちですし。

まぁ何が言いたいかまとめるとするなら以下の通りですが、
・俯瞰すること、ないしはある事象に対して多面的に見る大切さは研究や仕事、人間関係、時事で必要とされること
・それは鍛えられること

まぁビジネス書とか読めば誰もが言っていることだと思うのでここで語る意味はないかもわかりませんが、書きたいだけなので見逃してください(誰にいってるのか)

何事にも理由・原因・根拠はあります。人の数だけ、それに対する見方や価値観、真実があります。ですが、その無数にある真実に囚われることなく、あくまで解釈の一つだと自覚し、事実を見極める。それができれば、少しだけ生きやすくなると思います。そうでもないときもありますが。

いろんなニュースや噂、情報が飛び交う時代となり、何が正しいのかわからなくなることは多々あると思います。ただ、それにも必ずルーツや歴史があり、裏側や底側、中身もあります。表面の、それも一面だけを信じてあれこれ言うのは危ない行いです。せめて思うまでに踏みとどまらないと、と自分は気を付けています。

あと、自分が携わっている研究やサイエンスも、これまで正しいとされてきていることを鵜呑みにするのは危ないとされています。その根拠や事実となるものを知って、理解して、自身の肉になってはじめて、信じることができるとされます。専門書や教科書、論文に対しても科学的・論理的に疑うことを忘れてはならないと教わったことがあります。

この考えが正しいかはわかりませんが、少なくとも自分の理解できないことに対して否定的に受け取らず、多様性ある性格を養うことのできる一歩だと考えています。

そういえば俯瞰すること、多角的に物事を見ることは鍛えられると言っていましたね(すぐ忘れるやつ)。大学院行けば身に着けられますよ、っていったらなんか燃えそうなので半分冗談として…アートに触れることが今のところ最適だと考えます。

例えば、一枚の絵に対してしっかりと時間をかけて見つめ続ける、できるだけ情報を絞り出す。そこで気付いたことや推測をする。それに対して自分はどう思うか、何故そう感じたのか、したがってこの絵をどう受け取るのか、それを構造化する、いわば抽象的なものに対して具体的な考えを並べて結論や考察を組み立てることが、あらゆる分野において必要とされているのではないでしょうか。知りませんけど(無責任)

美術に触れることで審美眼や多面的な思考、俯瞰力を鍛えることについては以下の本より学びました。ご参考になれば幸いです。

それではおやすみなさい。明日も良い1日を。

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