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「せっかく撮ってもらうから」が私を救う

せっかく撮ってもらうから、美容院行ってきました

せっかく撮ってもらうから、ネイル新しくしてきました

せっかく撮ってもらうから、新しい服着てみました

この言葉は、私を救う魔法の言葉です。

撮影への期待度は見えにくい

私はネガティブ思考が強い人間でして。
まぁ大体は認知の歪みから来ているのですが。
ポートレートを撮る約束を付けたとしても、(自分だけが楽しみなんじゃなかろうか…)と不安になることもしばしば。

役者さんとはチャットで連絡を取っていまして。
当日の流れとか概要が決まった段階で「楽しみにしてますね!」と言っていただくことがあります。
ここに嘘はないと思うのですが、どこか社交辞令のように捉えてしまう自分がいたりします。

そんな認知歪み太郎(もしくは花子)な私を救うのが冒頭の言葉。

被写体に期待しないスタンス

なぜ救われるかといえば、被写体に期待しないというスタンスで取り組んでいるから。

別に「こいつじゃロクな写真撮れやしないから」と蔑んでいるのではなく。
基本的には自分の準備や姿勢以外に期待しても仕方ない、と考えているのです。
さらに言えば自分のセンスも疑っているので、不得意な知識ジャンル、たとえばメイクやファッションなど、そういった領域に関しては自分自身にも期待していません。

なので役者さんには服装のリクエストはしません。
着たい服を着て、したいネイルをして、好きな髪型にしてもらう。
体よく言えば”おまかせ”、悪く言えば責任放棄ですから、そんなポイントは期待したところで無駄だと割り切っています。

そこがです。
「せっかく撮ってもらうから」と言ってくれるんですよ。
頼んでもいないのに。
決して安い金額ではないのに。

「やって当たり前」を見直すキッカケに

先ほど「自分の準備や姿勢」と述べました。
私の認識では、こんなのやって当たり前です。

少なくとも1度はロケハン。
多い時は複数回。
必要な場合は×複数個所。

最近は機材が増えて、バックパック+キャリーバッグ満杯に詰め込むことも。
大荷物抱えながら、当日は1時間前には現地到着して状況確認。
不安材料があったりお昼をまたぐ場合は、3時間前到着というケースもあります。

半ば義務的に。
これくらいやって当然ですのでね。
でも私が期待していないことを、役者さんがしてきてくれるのですから。
逆に役者さんも私に完璧を求めてはいないと思わされるのです。

自分が当たり前としていることは、長所として認めてあげることも必要なのかもしれない。
そんなふうに。

「髪を切るから撮影も予約する」も実現したい

以前書いた記事。

まぁなかなか実現しません。
ご依頼いただく文面を見るに、「一世一代の決心をして依頼する」くらいのスタンスでお話しいただくケースが多いです。
お気持ち分かるんですけどね。

でもそれくらい気軽に誘ってもらえる人間になりたい。
なにかいい手段はないかなと模索しているところです。

「せっかく撮ってもらうから」で髪を切りに行くでも素敵です。
「髪を切りに行くから」で撮影予約するのも素敵だと思うのです。
要するにたくさん撮りたい。
なので実現に向けて取り組む所存でございます。

おわり:みんなにありがとう

いつもお世話になっている役者さんには感謝の限りです。
あなた方の言葉があるから日々生きていけます。

これを書いている今も(自分の写真下手過ぎんか辞めたろかな…)ってなってる真っ最中ですが。
最近撮った方とか、これまで撮ってきて直近で撮る予定の方とか、その写真見て元気もらってます。

さて、今年も残り12日。
来年1月のご依頼もお待ちしておりますので、お気軽にお問い合わせください。

それでは。

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