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SIX WORDS の楽しみ (5)

 不定期連載「SIX WORDS の楽しみ」第5回です。10年前に書いたものに少し加筆して再構成しています。第1回から第4回まではここにまとまっています。
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  Always robbing Peter to pay Paul.

 いつもピーターから奪ってポールに払うということですが、ピーターもポールも特定の人物をさすわけではなく、これは「だれかから借金をして別の人に借金を返す」という綱渡りのような状態を表す決まり文句です。"All work and no play makes Jack a dull boy."(勉強ばかりして遊ばないとだめな子になる→よく学び、よく遊べ)などと同じく、よくある名前を使ったことわざの仲間ですね。ですから、訳は人名を抜いて「いつも借金を借金で返してる」としておきましょう。
 Peter も Paul も典型的な男性の名前ですが、どちらもキリストの使徒の名前(ペテロとパウロ)がもとになっています。英語の名前は聖書に由来するものが非常に多く、David(ダヴィデ)、Issac(イサク)、John(ヨハネ)などなど、あげていくときりがありません。
 1960年代に一世を風靡した Peter, Paul & Mary というフォークグループがありましたが、これはMary(マリア)も含めて、聖なる名前がみごとにそろったトリオ。でも、若い読者は知らないだろうな……。

  For sale: Tony dress, never worn. 

 この連載の第1回で紹介したヘミングウェイの "For sale: baby shoes, never worn."(赤ちゃんの靴、売ります。未使用)が下敷きとなっています。似た例はほかにも SMITH Magazine のサイトにいくつか寄せられていて、baby shoes のところが wedding ring になっていたり、あれこれありますが、やはりヘミングウェイのものが最高傑作だと思いますね。
 さて、Tony dress にはいろいろな意味が考えられますが、可能性が高いのは以下のふたつです。
 まず、パーティー用のドレスなどを扱う Tony Bowls という有名高級ブランドがあり、そこのドレスだという読み方。つまり、prom などのパーティーに着ていくいわば「勝負ドレス」ですね。
 もうひとつは、演劇界で最も権威ある賞とされるトニー賞の授賞式に着ていくドレスだとする読み方です。
 わたしは最初、前者だと思ったのですが、この作者がトニー賞の主催団体の関係者だとツイッターで教えてくれた人がいたので、考えが変わりました。たぶん、自分自身の話ではないのでしょう
 どちらにせよ、夢破れた女性のほろ苦い過去がテーマで、訳は「極上のドレス、売ります。未使用」としておきます。

  Hearts clubbed by diamonds in spades. 

 トランプの4つの suits(絵柄)をすべて折りこんで作った six words です。heart と diamond は説明不要ですね。club はここでは動詞として使われていて、こん棒で強く殴るということ。spade は農具の鋤のことですが、in spades という熟語で「絶対に」「強烈に」の意味になります。
 訳文にトランプの意味を反映させるのは不可能ですから、とりあえず「ダイヤモンドの衝撃で一発KO」とでも訳しておきましょう。本人のことなのか、たとえば奥さんのことなのかは定かではありませんが。
 ところで、トランプのいくつかのゲームで、4つのsuits の強さが「スペード>ハート>ダイヤ>クラブ」と決まっているのをご存じのかたも多いでしょう。この順に決まった理由としては、元来それぞれのマークが暗に表していた階級に関係するという説が有力です。つまり、

 スペード――剣(王侯騎士)
 ハート――聖杯(聖職者)
 ダイヤ――貨幣(商人)
 クラブ――こん棒(農民)

 だったからということですね。もっとも、これについては諸説あり、わたしが以前訳した『ダ・ヴィンチ・コード』ではやや異なった説明をしています。

  Peter Falk: 'Just one more thing' ....): 

 2011年6月23日、俳優のピーター・フォークが亡くなりましたが、これはその翌日に SMITH Magazine のサイトに投稿されていた作品。〈刑事コロンボ〉のファンならご承知のとおり、'Just one more thing.' というのは、コロンボが容疑者への尋問を終えたあと、立ち去るかに見せかけて振り返り、相手の心の隙を突くように発する質問です。毎回、振り返る瞬間を楽しみにしていた人も多いでしょう。
 ここには、名台詞の引用と同時に、もう一度コロンボの姿が見たい、あと1回だけでいいから、という作者の気持ちもこめられていると思います。「ねえ、ピーター・フォーク、もう1回だけ……」。

  Nervous about his Norman Bates obsession. 

 Norman Bates と聞くと、かなり多くのアメリカ人は背筋が冷たくなるはずです。これはロバート・ブロックの小説に登場する主人公の名前ですが、それよりも、この原作をもとにしたヒッチコック監督の映画〈サイコ〉でアンソニー・パーキンスが演じた男の名前、と言ったほうが、圧倒的に多くのかたにわかってもらえるのではないかと思います。ネタバレになるので深入りはしませんが、シャワールームでの惨殺シーンは映画史に残るあまりにも有名なシーンで、そのみごとなカット割りがさまざまな映画で引用さていますね。
 "Norman Bates obsession" は「ノーマン・ベイツに執着している」と解釈できなくもありませんが、やはり作中でのこの人物の役柄を考えれば、「ノーマン・ベイツのような執着」と見なすほうが自然でしょう。だからこそ nervous になるのです。
 というわけで、わたしの訳は「彼がノーマン・ベイツみたいに執念深くて。不安よ」。ともあれ、ぜひこの映画を観てください。

  Full-time dad by layoff. Loving it.

 これは父の日の少し前にSMITH Magazine のサイトに投稿されたこの作品です。祝祭日や大きなイベントがあると、それにちなんだ six words がずらりと並びます。
 意味は特に問題ありませんね。解雇されたせいで一日じゅう父親業に専念できるようになったが、それも悪くないな、という感じでしょう。ちょっとした「自虐ネタ」と言ってもいいかもしれません。layoff の意味は一時解雇で、原則として雇用関係そのものは継続しますから、完全解雇 (dismissal) と比べればダメージは小さいはずですが、本人からすればどちらも大ショックでしょう。それでも、作者の optimism と心のあたたかさが伝わる楽しい six words です。
 ツイッターで訳文を募ったところ、ほとんどの人が父親の立場から訳していました。実のところ、投稿者はまちがいなく父親だと思います。でも、たとえば「リストラっていいね! ずっとパパがいる」のように、子供の視点から考えた人も少しながらいて、それもおもしろい解釈だと思いました。どちらの視点であれ、心に伝わるものは同じです。
 わたしの訳は「リストラのおかげでフルタイムの父親に。やった!」です。
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 書籍『SIX-WORDS たった6語の物語』は、残念ながら現在では入手困難です。ツイッターでは @sixwordsjp のアカウントで1日ひとつを紹介しているので、よかったらご覧ください。

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