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平手さんが欅坂46を離れると聞いて

『サイレントマジョリティー』を初めて聞いた時から、欅坂46が気になっていた。

(↓過去のブログ)

センターの平手友梨奈ちゃんは当時14歳で、それを知ったわたしは「お願いだからすこやかに育ってくれ……!」とどこかに書いたけれどソースが見つからない。でも、たしかにそう思っていた。

わたしはお茶の間ファンだけど、キャロいてちが大好きだった。いつからか彼女が滅多にテレビで笑わなくなっても、「いや、でも彼女はキャロさがある子なんや……」と思っていたし、ちょっとでも笑えば「笑った!」と喜んだりもした。

若さゆえの物足りなさ、葛藤、無力感、反抗心、孤独、そういうネガティブとも取られる感情をすべて背負ったような欅坂46の楽曲を好きだと思う反面で、「そんなにすべて背負わなくていいのに」とたびたび思っている。わかるから、もう苦しまないで、『二人セゾン』のような爽やかな曲をシングルで見せてほしい、と何度も願った。

2019年の紅白歌合戦の『不協和音』で平手さんが放った「僕は嫌だ」を聞いたわたしは「うん、もういいよ。嫌ならやめていいよ、もういいから」とテレビの前で呼びかけていた。

それが現実になったのが今日。

納得しながら、でも選抜が発表されていた9thシングルはどうなるのかとか、なんかもうそういうのごちゃごちゃ考えちゃう。けど、これが現実でしかない。

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わたしは、アイドルを応援することとは、ある種の偶像崇拝だと思っていて。

どんなにたくさんの情報を掴んで応援していても、メディアというフィルターを通して見るアイドルには多少なり印象操作がされているもの。それに、自分が応援しているアイドルは自分が生み出した虚像であって、アイドル本人の人間性とは違うかもしれない。人間としてのその人自身がどうかというより、自分にとってどんなシンボルであるかを感じ取り、信じる。アイドルを応援することにはそういう側面が(比較的強めに)あると、わたしは思っている。

平手ちゃんが欅坂46を離れる理由とは別として、10代の若者が背負うことができる以上の何かを彼女に背負わせてしまっていたのかもしれないなあ、と発表を聞いてさらに思った次第です。

『残酷な観客達』なんだよな、わたしも。



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