わたしがSNSで「お誕生日おめでとう」と言わない理由
今日もきっとだれかの誕生日ですよね。
お誕生日おめでとうございます。
さて、表題の件について。
わたしはSNS上でだれかの誕生日を祝うコメントは基本しないようにしています。また、お祝いコメントをいただかないように自分の誕生日も伏せています。
理由は、だれかひとりの誕生日を祝うことで、だれかの誕生日は祝わない事象が発生することが嫌だからです。あの人の誕生日にはコメントしたけど、この人にはしない、みたいなことが自分の中で居心地悪く思ってしまうんです。
要するに「あの人の誕生日にはコメントしたのに、わたしにはコメントないのか……」みたいな思いをするのもさせるのも嫌なんですよね。
気にしすぎと笑う人もいるんでしょうけど、そう思う方はどうか「そういう考えの人もいるんだなー」と軽く流してやってください。
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前に中居くんが言っていたことで「なるほどなー」と思うことがあって。
「興味のある人を作らないようにしている。
やりやすい人・好きな人・興味のある人を作ってしまうと、嫌いな人・合わない人・興味の無い人が出てきてしまう。それがしんどい」
一言一句書き写しではないのですがそんなことを言っていて「それそれ、そうなんだよなー」ってひたすらに思っています。
昔から「親友」とか「仲の良い友人」などの表現が苦手なのは、その言葉を使った瞬間から「普通の友達」とか「仲はそんなに良くない友人」という溝が生まれてしまうから。
仲いい友人に「仲いい友達がさー」って話さない気がするんですよね。話したとしても「仲いい地元の友達」とさらにカテゴリが絞られる場合なんじゃないかなあ。ソースはわたしの経験だけなので一概には言えないけれど。
仲いいと思っていた人に「仲いい友達がね」と言われて「あー、わたしはそんなに仲良くない方の友達なんだなー」って10代のときに幾度となく静かにショックを受けてきたので今はもうそんなに気にしないようにはなっていますが、それでも自分はそういう隔たりを作りたくないと思っています。
難しいけどね。
だからせめて、誕生日を祝う人と祝わない人の隔たりくらいは作らないようにしちゃうんだよな。
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以上のことから、わたしはSNS上であなたの誕生日をお祝いすることはないけれど「おめでとー」と心の中では思っているし、直接会う機会があればときにはプレゼントを準備してお祝いします。
これはSNSでお誕生日を祝ったり祝われたりすることをみんなやめたらいいのに、と言いたいのではなく、そんな考え方の人も世の中にはいるんだよと伝えたくて書きました。
だから、あの人からお誕生日にコメントがないからってむやみに悲しまなくてもいいんだよ、ということです。
みんなハッピバースデー。