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村人Aは、ときに主人公になりたいと小さく笑う - 181005-

昔、死に様占いというものをしたことがある。まだまだガラケー全盛期で、N503iなんて機種を使っていたころの話だ。今で言う診断メーカーのようなコンテンツのひとつである死に様占いで表示されたのは、"阪神が優勝して道頓堀に飛び込んで死ぬ"という結果だった。野球にそれほど強い関心ないのになー、でも幸せそうだからいいか。たしかそう思った。

阪神が優勝してもきっと死なないけど、災害で死ぬんじゃないかなとなんとなく思ってしまうことがある。17万人がなくなった、というニュースのうちのひとりなんだろうと。理由はいくつかあって、昔から強風が好きだからそのうち風の神様を怒らせそうなこと。それと、自分が村人Aであるという認識が抜けないこと。主人公ではない、大衆の中のひとりでしかないと強く思ってしまっている。

ふと、先日両親のことも大好きで好きな人には好きと伝えることができると話す友人にこの話を振ってみた。「どうやって死ぬと思いますか?」と聞くと、彼女は「えー、そんなこと考えたことないよう。95歳くらいで家族みんなに看取られて死ぬんじゃないかなあ」と答えてくれた。

その友人はきっとベースに自分が愛されている自信があるんだろうなあと、同じ場にいた別の友人とその本人と分析をしていたところだった。それでこの質問をして、この人は自分が自分の人生の主人公だって思っているんだろうなあ、と確信した。

それは別に悪いことじゃないし、だからなんだという話でもなく、そうなんだなあと思っただけ。正直に言うなら、うらやましいとも思った。一方でわたしはやっぱり自分のことを村人A、なんなら村人Dくらいに思ってるんだなあと自覚したから。

わたしの友達には、たっぷりの愛情を両親から受けて育った人も多い。すごくうらやましい。わたしもそんなふうに育ちたかった。愛されている自信がほしかったなあって。そう思う一方で、外面だけは普通の家庭で生きてこれたおかげで彼女たちに出会えている事実もある。だから、悪くはないのかもしれない。

さらにいうと、そんな彼女たちにそれを伝えたときに「何言ってるの! あなたにだっていいところたーーーーくさんあるよ!」なんてためらいもなく言ってくれる彼女たちに、とてもとても救われている。ときにそんなことを思い出して「わたしはしあわせだなあ」と、じんわり泣きたくなる夜があるのだ。例えば、今日がそんな日だったりする。

秋は涼しくなるからちょっとセンチメンタルになっただけかな。

「どうやって死ぬと思いますか?」という質問はあまりに極端だから、その人の主人公力というか人生における立ち位置のようなものを見定める別の質問を考えたいな。こんな話、めったにしないだろうけど。

おやすみなさい。永遠なんて言わないから、明日もあさってもそのまた先まですこやかに過ごせたらいいな。

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