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伝えたくない思いを書きなぐる日

普段、ライターという仕事をしています。発信したい何かを、だれかに伝えるお仕事です。

昔から、なぜだか書くことが好きでした。だれが読んでいるかわからないようなブログをずっと書いていたし、同じ趣味の友達とだけわかりあえるような小説のようなものも書いていました。10代のころの話です。

大学でレポートを書くことも全然苦ではありませんでした。答えが決まりきっているマークシートより、それまでの講義の内容をわかりやすくまとめることがとても楽しかったから。ただ、2000字でまとまる内容を10000字書かないと受け取ってもらえないシステムだけはどうも解せませんでした。(2000字で提出して単位もらったけど。)

社会人になってからのメールのやりとりも、面倒だけれど嫌いではありませんでした。説明文が長くなるのが嫌だから電話をして話をまとめてエビデンスとしてメールするほうが楽だと思うタイプだけれど、メールを書くことは嫌いではありません。相手が読んで誤解しないように注意を払いながら言葉を選ぶことが、人より得意だとさえ思っています。

書くことが好きでした。ずっと書いて生きてきたから。

でも、わたしはいわゆるライターという職業を始めてから、大事なことが根本から欠けていたと気づきました。それは「伝えたい」という思いが、わたしにはなかったことです。

ずっと書いて生きてきました。でも、だれかに何かを伝えたいなんて、これっぽっちも思ってなかった。そんなのおこがましいとさえ思っていました。

わたしは人に伝えるよりも、自分の中から湧き出るいろんなものを開放するために書いていたんだと気づいたのはライターになってからです。自分のことばかり書くこんな文章、人が読んでも面白くないなんて百も承知。でもこうして書いては公開しています。

もちろん、ライターとしてお仕事をしているときはクライアントの伝えたいことを伝えたい相手に伝えられるようにと考えて書いています。それが自分の考えと大方合っているなら苦じゃないし、だれかの力になれることはうれしいから。届け、と思うことも増えました。

でも、今こうして書いている文章は、お仕事として書いているそれとは根本の意義が違っているんです。わたしは、わたしの中のどうしようもなくてどうでもいい思いを、まるでメッセージボトルを海に流すかのごとく、インターネットという大海に放っているんです。

「じゃあ非公開にしなよ」とか「部屋でノートに書けよ」と思う人もいるかもしれません。そうだよね。わかる。そんなメッセージボトルだらけの海、もはや海洋汚染だもんね。

わたしはたぶん、まだ世間に見つかりきってないころのインターネットの海の浅瀬でちゃぷちゃぷしていた人間だからこんなことをしてしまっているのかもしれません。

でも、だれかに伝えたいことなんてなくても、書いていいとわたしは思う。思いたい。


と、書いているように、ここにはあなたに強く伝えたいことなんてありません。わたしの日々の感想です。

ただ書きたいから書いています。だれのためでもなく自分のために。自慰行為と笑われるかもしれないけど、まあそのとおりだと思う。でも何度考えてもこうして書いてしまいたくなるから、もうそういうものなんだとまずは自分で受け入れるフェーズが今です。

いいんだよ、メッセージボトルが永遠に漂流していても。いつか、ふと自分のところに戻ってきて開けたときに楽しければ、それはそれで。



という、今日の感想。

とりとめのない思いを読んでくださった方、ありがとうございます。


ちなみに、伝えることを考えて書いているアカウントはこちらです↓

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読んでもらえてうれしいです!とにかくありがとうと伝えたい!