雑感:タイパと労働

こちらのポストで雑記として書いていたが、あまりに関係なくなってきたので別でポスト

ノベルゲーについて

タイパ時代には流行らないんだろうけど、ノベルゲーの良さは(再度)認知されてもいい気はする。タイパが悪い、つまり時間がかかることで、結果的には濃密さが増したり、心に残ったりするものが多い。
ギャルゲっぽい作風やノリのものが多いんだけど、それだけじゃなく、ヒラヒラヒヒルのような比較的万人受けしそうな作品ももっと増えて欲しいところ。

audibleで目を閉じながら聴く小説もとても好きなのだが、倍速で聴くのもあって数時間で終わってしまう。かといって、ノベルゲーや長編の海外ドラマを見るのは結構根気が必要。
海外ドラマのGame of Thronesも今見ているが、かなり長いので労働の合間に見るのは厳しいものがある。

それはそうとして、本も小説も(海外)ドラマもアニメも漫画も映画もエッセイもaudibleもノベルゲーも何でも喰らっていけると楽しいよね、と。演劇や能、歌舞伎、美術館、音楽コンサートもきっと地続きだ。

ビジネス書と労働への憤り

腰を据えてじっくり楽しむ時間そのものと、それに加え心のゆとりや余裕を持つのは贅沢なんだろう。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に通ずる。

あらゆる潜在的な好奇心が芽生えても、週5の8時間が労働に独占されている場合、興味関心がUターンして去っていくことが多い。その成れ果てが「仕事辞めたらどうするの?」という発想だと思う。興味関心がもはや降りてこないので、そういう発想が出てきてしまう。

労働コミットして仕事が上手になればなるほど、暇な時間の扱いが下手になるのかもしれない。もしそうであれば、それは貧相で悲しいことだと思う。

生産性や時短効率化、イシュー、ビジネス課題への挑戦などの文言をビジネス書でよく目にする。疑問かつ面白いのは、労働(もしくは週5で8時間)そのものを問題視し、それに挑戦しようとしないのか、というところである。週5の8時間という仕組みをダラダラ続けるのではなく、まずは例えば週3の4時間労働に挑戦して、徐々に労働そのものを終わらせる挑戦を試みても良いはずなのである。これは、生産性や時短効率化という話にも直結する挑戦だ。でも、あまりそうなってはいない。欺瞞のように思える。そのように動かない自分含めて。

だからこそ、AIで労働を駆逐することを夢想してしまう。
進撃の終盤の話をAIと労働に置き換えると、エレンに共感してしまう。

エレン = AGI or ASI

AIと自動化によって、自分自身の仕事的価値やスキルをなくしていき、自身を廃業に追い込むこと。言い換えれば、ギアス終盤でいうところのゼロレクイエムしていくマインドを持っていかねばならないんだろう。または、武士道の切腹というかなんというか。葉隠を読んでみたくなった。


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