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TiktokはSNSにおけるPRにどのような影響を与えうるのか
Twitter、Instagram、Facebook、Youtubeから流れてくるPRを見ている時と、TiktokのPRを見ている時の受け取り方が異なることに気がついた。
前者のPRはあくまでプロダクトやサービスが主役で、それがメインに押し出されている印象が強かった。フォローしていたり、興味をもっているアカウント、また有名なアカウントであっても、その人の独自性がハイジャックされ、没個性的になっているように感じる。普段の投稿は面白いのに、商品のプロモをしている投稿やストーリーは徹底的にスルーするよう頭がマインドセットされているかのようだ。
あからさまなPRの場合、「自分のニーズにマッチするか」と「発信者自身をどこまで気に入っているか」の2つのフレーミングで捉えているように感じた。
よほどのファンでない限り興味深く見てもらいにくい上に、PR対象が主軸であるため、発信者そのものの魅力が発揮されにくいなと。場合によっては、印象を下げてしまっているのかもしれない。(ここでの"あからさま"、というのはPRの対象が中心という意味であり、#PR タグの有無やステマ云々は関係ないです。)
一言でいうと、PRはSNSに発生するノイズで、スワイプされるべき対象として脳が学習してしまっているように感じる。
一方、Tiktokに出てくるPR(#PR としてタグ付される)の場合、そうはならなかった。この違いはなんなのか。
違和感のなさ
見てきたPRは多くはないものの、Tiktokの場合、常に以下のように捉えていることに気がついた。
1. 「フォローしている発信者のいつもの動画」
2. 「シンプルに面白いかどうか」
言い換えれば、PRを見ていて違和感がない。1はフォローしている場合、2はフォロー問わずPR動画全般にあたる。ここには、先ほどあげた自分のニーズにマッチしているかという機能面は登場していない。
なぜ違和感がないのか
その謎を明らかにすべくTiktokの仕組みへ向かった
仕組み1 Contentism
コンテンツを軸に見てみるといくつか要素があるようだ。
A. フォローフォロワー中心ではなく、コンテンツがベース
例えばTwitterやInstagramでは、フォローフォロワーの関係をベースにおいている。アカウント作成後、誰をフォローするかが最初に出てくるはずで、Facebookやメールアドレス、電話番号などの身近な関係の延長線を要求してくる。
一方、初めてTiktokを開いた際、誰をフォローするかの画面は表示されず、おすすめ動画がいきなり出てくる。また、起動時のデフォルトフィードは「おすすめ」(”For You”)であり、「フォロー中」("Following")ではない。
また、「おすすめ」("For You")と「フォロー中」("Following")フィードを見比べてみると、「フォロー中」には投稿時間/日が表示され、「おすすめ」には表示されていない。(それぞれ、左と真ん中の画像の赤囲み)
「おすすめ」においては、動画のコメント欄をみることではじめて投稿日が分かるが、その動画が数ヶ月前のものであることがしょっちゅうある。(右の画像)
一方、「フォロー中」の動画は投稿時間が表示されており、尚且つ最近の動画であることが多い。
想像にはなるが、「フォロー」は、コンテンツだけでなくその発信者自体をフォローしていることになるため、「発信者との近さ」が重視されていると考えられる。例えば、ファンの多いアカウントのコメントには1コメ争奪戦(その動画に最初にコメントしたかどうか)が繰り広げられていることがあり、1コメには発信者から返信がもらえていたりする。また、毎日投稿して、ファンとの関係性を築くようにしている発信者も多い。これを考えると、最新の動画をトップにし、投稿時間を表示させるのは理にかなっている。
「おすすめ」に関しては、コンテンツをより純粋に楽しんでもらうという考えがあるのであろう。過去の動画がタイムリープしてきて、今になってバズるということも時々起きたりしている。
B. レコメンドがWhoではなく、What(コンテンツ)
以下のTweetでは、どんなVideoでも最低100人に見られ、Viralの雛壇に上がるれる土壌があることを示している。
Tiktok is the most meritocratic media network.
— Ada Yeo (@adayeoyh) September 7, 2020
Talked to a PM at Tiktok who said every video gets 100 views. The early engagement on those determines how quickly it accelerates to the next threshold.
So every video starts off on an equal footing, and has a chance to go viral.
また、これのもつ意味はtoricagoさんの記事が詳しい
つまり、新規の動画を強制的に数百名に見てもらって、面白い動画が埋もれてしまわずに、すくい上げるようなプロセスが確立しているのがTikTok。
だからこそ、無名の人でもしょっちゅうバズっているし、底辺YouTuberが登録数を稼ぐために1〜2年と下積みの修行をしているうちに、あっという間に有名TikTokerになってしまうのである。
(『誰も気付いていないTikTokの本当のイノベーションを語る』より)
この土壌のおかげで、投稿1発目でもコンテンツが良ければバズっていたりするのをよく見る。私の観測範囲だと、修一朗さんや茶碗洗碗さんなどがここ数ヶ月で一気に駆け上がった印象で、彼/彼女を真似をする動画も出てきていた。また、最もフォローされている日本人は有名人でもなんでもない一般人のじゅんやさんだったりする。
ついにですが、、、
— ほりこす🐥😈🔥 (@horikosu) July 3, 2020
日本で初1000万フォロワー超え
国内TOP
TikTok じゅんや 1000万フォロワー数
Instagram 渡辺直美 939万フォロワー数
Twitter 前澤 友作 799万フォロワー数
YouTube はじめしゃちょー 872万登録者数数 pic.twitter.com/G7ZTvcsWRi
まさに、現代のアメリカンドリームのように感じるが、実はこれは意図的に設計されていたようだ。その根本思想については石ころさんの記事が詳しい。
もし、フォロワー数や有名人というある種の年功序列をベースにしていたり、もしくは負担をシェアリングする仕組みがなかったら、このような現象は起きていなかったであろう。
仕組み2 テレビの極限化による時間の下での平等
テレビが主流だった時代は、番組表から面白そうな番組を調べたり、限られたチャンネルをグルグル回して、面白いかどうかを判断していた。好きな番組が、2時間の特番をやるものならワクワクしていた。ある意味、長く時間を確保できるということ一種の成功事例だったのかもしれない。24時間テレビはThe more, the betterの極限だ。
一方、Vineはその真逆を行き、1動画6秒にまで短縮した。Musical.ly、そして現Tiktokはそれを継承し15〜30秒にした。1つの番組を極限まで短くしてチャンネルを無数にし、レコメンドAIによってサーチコストを抑えることでテレビの概念を拡張したと解釈できる。では、PRの文脈ではどのような意味が生まれるのか?
1つ目は、テレビやYoutubeにあるような番組とPR(CM)の明確な区別が消滅したことである。番組とPRの長さに差がないため、番組とも取れるし、PRとも取れる、混沌さん状態である。
2つ目は、番組表も動画タイトルも存在せず、己の「面白いかどうか」という羅針盤を頼りに能動的にスワイプさせることで、全てをコンテンツとして喰らう体制を醸成させたことである。
以上によって、番組であろうがPRであろうが同じ基準で平等に評価され、平等にスワイプされうる対象となっている。
仕組み3:SimplicityとStorytellingのバランス
他のSNSでもPRのやりようによるし、TiktokでもあからさまなPRをしたら、流石に違和感は出てくるのでは?と書きながら実は思っていた。
違いは、仕組み1で述べたコンテンツベースであることに加え、本を書いたり音楽を作るほど難しくはなく、表現の幅を高めるポテンシャルが他のSNSより大きいことなのだろうと以下をもって解釈した。(元の記事はこちら)
5) ただ、SimplicityとStorytellingは反比例する。Storytellingを増やすとコンテンツ作成は複雑になり、コンテンツ作成が容易な時はStorytellingが限定されてしまう。このトレードオフをうまく扱い、容易な制作or強いストーリー性を有する組み合わせを提供できれば、価値があるフォーマットになる。 pic.twitter.com/4R7R6cP6Io
— 石ころ (@ishicorodayo) October 9, 2020
x軸がSimplicityで、これが高いほど作成にあたるフォーマット上の制約が大きいことをさす。例えば、Twitterのテキスト投稿やインスタで写真投稿するといったものだ。その逆は、音楽やアート、ダンス、映画、本の作成など多大な労力がかかるものにあたる。
y軸はStorytellingで、見る側に訴えかけることができる表現の幅と捉えて良いかもしれない。Simplicityと負の相関関係にあり、労力がかかる物ほどStorytellingが高い傾向にある。本で言えば、例えば聖書などが思い当たる。聖書が生きる上での指針となったり、解釈の違いで争いが生まれたりしている。
Tiktokは動画であるため、テキストや画像投稿と比較すると、Simplicityは低めだが、その分Storytellingが高めにある。これに加え、ムービーの時間を15秒以上にすることで、Vineにはなかった音楽を味方につけた。例えば、BLMの動画にはThis is Americaがよく用いられていた印象がある。音楽を用いることで、運動をよりEmpowermentする側面があったのではないかと自分なりに解釈している。そして、短文や画像と比較すると、Storytellingを生み出しやすいフォーマットなのだろうなと思う。
上記を踏まえると、短文や画像はフォーマットの性質上、自然なPRを作るハードルが高くなる。無理ではないがその分工夫していかないと、あからさまなPR(→広告)に見えてしまうのだと思われる。
(Simplicityをフォーマット上の制約としているが、発信者の労力も含んでいるように感じる。発信者の労力(Effortness)をz軸として分割することで、もう少し深めることができそう。例えば、俳句やスピーチ、もちろんTweetなども既存の制約(Simplicity)を所与とし、そこからEffortnessを高めることでStorytellingを高めることはできる。)
TiktokにおけるPRの一例
長くなってしまったが、上記の仕組みをPRに話を繋げると、、
視聴側をコンテンツのマインドにし、発信側にはコンテンツに昇華しやすい環境を提供することで、PRもコンテンツの1つとして認識/提供しやすくなる。そのおかげで、PRを違和感なくフラットにみることができているのだと思い至った。
例として動画を挙げてみる。(ただ、ここに紹介する時点でTiktokのコンテクストに乗った状態ではないため、違和感が生じてきてしまうかもしれないが。。)
@tuckinshuichiro 『英語をクールに学ぶ方法9選』(学生必見)#PR
♬ オリジナル楽曲 - 修一朗 - 修一朗
@tuckinshuichiro 一人暮らし大学生は『半額』が命(一人暮らし必見)#ドミノピザ #PR
♬ Hang Out (feat. Nogi) - ALL BGM CHANNEL
修一朗さんの動画は、普段の日常を一連のストーリーにするTiktoker。その文脈や個性を潰すことなく、PR対象を日常の一部にして、コンテンツとして昇華させている。ドミノピザ動画のコメントを見てみるとネガティブな印象がないことがわかる。
別の投稿者(伊吹とよへさん)もみてみると、
@ibukidayo8484 腹立つけど、いいとこつくよな。24 #pr
♬ オリジナル楽曲 - 伊吹 - 伊吹とよへ
伊吹とよへさんは、いろいろなイタズラ動画を発信しているが、このPRはただのイタズラだけに終わっていない。絵具だと思わせておいてパックで剥がれるというオチを持ち、尚且つ肌が「モチモチ」になるという印象を与えている。
ここからわかることは、投稿者の色やコンテクストにうまく調和させることができれば、投稿者の魅力を損ねず、むしろ独自性をEmpowerできる。さらに、商品の1つのあり方、使われ方を提示することもできるのではないかと思う。
TiktokのPRがもたらす意味
ただ、これらの例を見てみると、テレビCMとちょっと似ているなと思った。では、Tiktokがどのように異なり、このようなPR方法を提供することに、どのような意味があるのかを考えたい。
まずテレビとSNSの違いを考えてみると、
今までのテレビCMやYoutubeに挟まれるPRは受動かつ強制イベントで、一定時間が経たないと終わってくれないものだった。すなわち厄介ではあるが、享受は一応するというものである。しかし、SNSにおけるPRは主導権が視聴者にあり、興味がなければ即座にスワイプできる。そのため、発信側からすれば非常にシビアな環境である。また、テレビに関しては長い歴史があるため、厄介だがそれとして受け入れられている一方、歴史が比較的浅いSNSにおいては受け入れる文化的土壌がもしかしたらあまりないのかもしれない。(ステマという言葉があることからもあからさまなものは気に入られない傾向がある。)
ここから、テレビとSNSの環境は異なり、SNSの方がハードモードであることがわかる。
次に、PRの定義(米国のRPSA)をみてみると、
“Public relations is a strategic communication process that builds mutually beneficial relationships between organizations and their publics.”
PR対象をもつ組織と、それに関わる人々との一方的(広告)ではない双方向のWin-Winなコミュニケーションを築いていくことがPRであると述べられている。
そのためには、ファンがその動画を受け入れ、自然なコミュニケーションをとるための「いつもの文脈」を保っている必要がある。その1つの手法としてTiktokは「PRを投稿者独自のコンテンツに昇華すること」を暗に指し示している。
まとめると、PRの条件を満たし、発信者の独自性もEmpowerする環境/方法を提供することは、テレビとは異なるSNSというシビアな環境を踏まえると打開策として一定の意味があるのではないかと思う。
これを前提にした上で、PR対象をもつ組織は投稿者の独自性や世界観を深く理解し、PRしたいものがうまく調和するかどうかを見極める必要がある。一方、発信者はPR対象をどれだけ自分の世界観に乗せていけるか、もしくは仮に独自性から少し離れていたとしても、シンプルにどこまで興味深いコンテンツに落とし込めるか、というクリエイティブさが求められてくるであろう。
以上になります。お読みいただきありがとうございました。
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(書いている途中まで気付きませんでしたが、結局のところPRと広告の違いで一掃される話かな、と自己完結してしまいました。。また、観測しているPRのサンプル数が少ないこともありアプリによる区分は適切ではないかもしれません。。そのため、「TiktokはどのようなPRを提供しうるか」という観点で受け入れていただけると幸いです。)
(また、本来PRを目的に発信していない発信者(俗にいうYoutuber/Tiktokerなど)がPRを行うという前提が間接的にあります。初めから、ある対象や特定分野のPRを目的とする発信であれば話は別になってくるかと思います。)
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追記
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