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もしも命が描けたら

※配信を見たあとの感想です。下手なりに書いてみました!ネタバレもありますがご容赦ください。

冒頭の座談会にて、圭さんが語っていた「おさむさんとの舞台を重ねる毎、登場人物と自分が離れている気がする」というお話や、その後の「自分が脚本を書く時、圭くんの言葉としてどんどん溢れてくる」と話していた鈴木おさむさん。
舞台を見終わったあと、もう一度振り返るとどちらの気持ちも分かる気がしました。


物語の感想やらいろいろ


圭さんの喉の枯れ具合から見ても、相当過酷だったんだろうな、というものは安易に想像できた。
声を荒げれば荒らげるほど、キーが高くなれば高くなるほど、圭さんの声は掠れていて、でもそれがより「月人の魂の叫び」のように思えて、胸にじんと染みた。
星子さんの話を振り返る月人は、本当に楽しそうだったし、本当に悲しそうだったし、三日月に時々見せる表情は寂しそうだった。
「なんでこうなってしまったのか」
「どうしてあの時あんなことを言ってしまったのか」
「どうして僕の隣に星子さんはいないんだろう」
「寂しい。大切な人はもう失いたくなかったのに」
そんな心の声が聞こえてくるようで、幸せそうな風景を見ていても涙が溢れた。

星子さんと出会って、初めて呑みに行った日のことを思い出していた月人。
「子供のフリがフリではなくなった」
そう話した星子さんを見る月人の表情や態度は、まるで置いていかれた迷子の子供のようで心が痛かった。
彼もきっといつからか「子供のフリがそうでなくなった瞬間」があったと思う。けれど、それに気付くことが出来なかったんじゃないだろうか。そんな気がした。

その後、プロポーズをして結婚をして、初めて「愛している」と言葉にした時の月人の幸せそうな表情。
舞台の上で物語が始まって、初めて見た表情だと思った。幸せをかみ締めている、まさにそんな表情だった。

結婚した彼らは共に時を過ごして、月人はいつかの日に星子さんにお願いされた「星子さん」を書こうと決意する。
そして書くと決めていたその日に、月人は大切な人を失った。
どちらも三日月が見守っていて、病院の屋上で三日月に祈り続ける月人の痛ましさ、切なさは見るのも辛くなるほどだった。ずっと涙が止まらなくて、どうしていいのか分からなくなるくらい、胸が痛かった。

大切なものを、三日月が出ている夜にまた失った月人が向かったのは森。
これまた三日月が出ている夜に、一番大切なはずの命を捨てるために月人は首をくくろうとする。
そして冒頭のシーンに戻る。

前半から鈴木おさむさんの鬼台本の力を発揮しているくらい、一人で喋らないといけない時間が多かったなあ、という印象。
月人の人生を、月人の視点で語りながら、彼の人生の登場人物たちに起きたことを、まるで他人事のように話していく月人。
彼からは「自分は今から死ぬ」という気持ちをすごく強く感じた。生きることが目に入っていないくらいの決意の強さ。
見ていて悲しさが溢れるほど、生に執着していない月人は本当に怖かった。

死を決意していて、今にもまた死のうとしている月人に三日月が言った「それじゃあ会えないよ」は、嘘だったのだろうか?と見終えた後に感じた。月人を死へと導かないように三日月がついた優しい嘘。
それとも本当に別なのだろうか?
三日月に「命を描けるスケッチブック」を渡された月人。そのスケッチブックは、これからの月人の人生分(55年)の命を、誰かに分け与えられるスケッチブックだった。
この時「星子さんに会えるのか?」という月人に三日月が答えを渋り、その場からいなくなった理由があとから分かるけれど、それが分かっていて見ると、三日月の表情が苦しいし、きっとあの時彼はもっともっと辛かっただろうなと思った。

スケッチブックを貰って、試しに描いたのは死にかけていた鳥。それからさまざまな生き物に命を分け与えながら、久々に上を向いて歩いた月人。
彼がたどり着いた先は、ひとつの水族館だった。今思えばこれは導かれていたのかもしれない。
そこで月人が出会ったのは虹子さん。
サバサバっとしていて少しやさぐれた雰囲気の虹子が応援するのは、一頭の幼いあしか。
もうすぐ寿命だというそのあしかに命を分けた月人は、その大きさに応じて心臓に走る痛みが違うことを知るわけで、それまではチクッと痛かったのがグサッと刺さるような痛さに変わる。胸を抑えて蹲る月人。それでも動き出したあしかを見て嬉しそうだったのが、どうしようもなく切なかった。

それから色んな出来事が重なって、月人は虹子が営むスナックで働き始めて色んな人と出会い、虹子と触れ合って虹子の気持ちを聞いて、生きたいと思い始める。
本当に素敵な事だと思った。あしかにあげた命は大きかったし、きっとそこまで長くは生きられないけど、これから虹子さんという新しいパートナーと一緒に月人はようやく幸せを掴めるんだって見ている私も嬉しかった。

けれどそこに、虹子を捨てていなくなったと思われていた陽介が現れる。
チャラいけど憎めない。距離感の詰め方も上手くて、気付けば懐に入り込んでくる陽介。
明るくて、名前の通り太陽のような人だなあと思った。

陽介が現れてから数分後から、きっとここはアドリブコーナーだな?!というシーンが始まった。
笑いをこらえきれていない聖さんと圭さん、それからアドリブコーナーを任されている麻璃央くんが一気に観客の緊張を解したと思う。
いい意味で息抜きができる時間。画面越しの私ですら肩に力が入ってしまうお話だったから、きっと実際に見に行った方からすればありがたい時間だったんじゃないかな?と思った。

何かを伝えに陽介が戻ってきたことに勘づいていた虹子さんは出ていき、陽介と月人しかいないスナックフルムーン。
水族館のシーンから色々と思うことがあり(月人さんのお母さんの件)、二人がいるシーンは少しハラハラとした気持ちでいた。
けれどそこで語られたのは、月人さんが知らなかった母親の苦悩と、母親を失ったと思っていた日に起きた悲劇。母親は自分を捨てたんじゃない!自分を守ったんだ!そう気付けた時の歓喜の表情が忘れられない。

「月人に虹子さんを任せたい」とお願いする陽介はどれだけ辛かっただろう。
本当はそばでずっと虹子さんを笑顔にしていたかっただろうし、一緒に笑いたかったはずだ。彼女から息子を奪ってしまったという罪悪感に苛まれながら、それでも彼女のために彼女の前から姿を消して、今回もまた、彼女のために警察に行こうとしている。
陽介は何も考えていないようで一番に虹子さんを思い、虹子さんのために動いていた。自分がそんなこと出来るかと問われれば、多分私はまだそこまで大切に思えるほどの人に出会えていない。答えはノーだからだ。
「本当は自分がそばにいたかった」と伝わってくるほど歪んだ笑顔は、見ていて本当に辛かった。

陽介は病を患っていた。
余命一年あるかないか。
だからどの道ずっと傍にはいられない。
それならば。「自分が人を殺めた」と証言できる今のうちに警察に行って、虹子が捕まる可能性を消してしまおう。
本当なら最後は虹子に看取って欲しかったはずの陽介が選んだのは、最後まで虹子に命を捧げること。
胸が痛いほどチクチクとした。悲しかった。

今思うと、月人にとって陽介に命を分けたことは、母親(虹子)を幸せしたいという思いはもちろん、母親を苦しみから救ってくれた陽介への感謝の証だったのかもしれない。
父親に捨てられて、無表情になってしまった母親が喜怒哀楽をあんなにも表現出来る人間になったのは陽介のおかげだと、そう思ったからかもしれない。
生に執着を覚え始めたばかりだった月人が、母親のために、母親の大切な人のために、自分の大切な命を削って最後に描いた命は、笑顔の人の絵だった。
苦手だと思っていた、人の絵だった。
それだけでどれだけ心が痛いか。苦しいか。良かったと思えばいいのか、どうして死ぬことを選んでしまったのかと怒ればいいのか、私はよく分からない感情のまま月人を見ていた。
だって彼は幸せそうだった。
最後に、自分を守るため目の前からいなくなった母の愛情を感じて、「星子さんに会えるんだ」という三日月が明言しなかった幻想にも似た願いを信じて、陽介の笑顔の絵を描き終えた瞬間、月人は苦しそうだけど幸せそうだった。
不幸には幸せが必ずついてくる。
それがこんなにもやるせないものだったのかと脱力した。

命を分けてもらった陽介はその後警察に出頭し、刑期を終えて虹子の元に帰ってきた。
一度裏切られた事で疑心暗鬼になっていた虹子を奮い立たせたのもまた、今思えば月人だったと思う。
陽介に命を分け、虹子に待つ勇気を与えた月人は、二人の間で死んだことにはなっていなかった。
突然消えたことになっていた。

月人は陽介に命を分けたあと、消えた。
いなくなった訳じゃない。身体ごと消えてしまった。
心地のいい暖かい何かに包まれて、母親のお腹の中のような安心感に包まれて、たどり着いた先には今から古ぼけた画材の入ったカバンを開こうとしている少年の姿が。

月人はそう、三日月になった。
今までずっと、大切な場面(殊更悲しい出来事が起こる日)を見届けてくれていた、あの三日月に。
そして彼は、画材を今まさに見つけようとする自分に向かって声をかけた。
「これから面白い人生が待っているぞ」と。

月人は自分の人生を「面白い」と思えたんだ。悲しいだけじゃないと、そう思えたんだと感じると、涙が溢れて止まらなかったし、今、こうして文字にしている瞬間も涙が止まらない。
それくらい、彼は自分の人生を「死んでも誰も悲しんでくれない人生」だと思っていたし、面白いなんて思っていなかったと思う。
だからこそ嬉しかった。
あれは結局死だったのか、それとも違う何かなのかは分からないけれど、消えることを選んだ彼が最後に「面白い」と思える人生に昇華されたのだと思うと、胸が熱くなった。

演技中、何度も圭さんの顔から滴り落ちる汗を見た。感情的に、声が掠れることも厭わないでセリフを吐き出していた。
それを見ているだけで、圭さん自体も月人と同じく「命を削って」このお芝居を届けてくれているんだと感じた。
けしてハッピーエンドではなく、ジャンルとしてメリーバッドエンド。
月人にとってのハッピーエンドが、まさにこの物語なんだろうと思う。
けれどこんなにも清々しい、スッキリとした気持ちで見終わることのできたメリバ作品は初めてだ。
本当にいい作品だった。素晴らしかった。
何度でも見たくなる作品だと感じた。


ちょっと色々


ここからは見ていて個人的に気になったところをいくつか。

まず麻璃央くんが「三日月」で出てきた時、思わず笑ってしまったのはほんと、あの、ごめんなさい。
いやだって、えっ?鈴木おさむさん、確信犯ですよね???
あっ、でも、月人(圭さん)があそこで三日月宗近と出会って審神者始めたらそれはそれでかなり私的には美味しいです!

圭さんのお芝居の気迫が本当に凄かった。
役者・田中圭、本当にすごい。
私が思っている100倍はすごいんだ、と改めて感じた。
声色や喋るスピード、トーンまで変えて演じあげるし、切り替えがすごい。一度崩れてもすぐ立て直す。職人技だよ、正に。
そして、セリフ量もさることながら、歩く位置や喋るタイミング調整しないと上手くいかないところが多かったように思うので、相当神経張り巡らせてたんでは?と思いました。

聖さんの一人二役、本当に凄かった。
三人しかいないから当然袖に戻るなんてことも無いし、きっと自分自身で変えたりしていたんだろうけど、早替え凄かった。
それから星子としての月人への向き合い方、虹子としての月人への向き合い方がハッキリくっきりしていたし、表情ひとつで場の空気がパッと明るくなって一気に星子さんの性格がわかる感じとか、逆に少し空気が荒んだ感じになって虹子さんの性格が出てくる感じとか、肌にピリッとくる凄さを感じました。

麻璃央くんのストーリーテラーとしての立ち回りやセット変更、陽介として出てきた時の雰囲気の違い、すごい!
同じ服、同じ髪型なのに、喋りの調子が変わるだけで一気に「あ!陽介」とわかるくらい変化が出ていてとても見やすかったし、入りやすかった。
それからアドリブコーナーの癖!
圭さんが顔を逸らして笑った時も、それに触れてさらに笑いに変えてる姿、本当に頼れるわあ!って再確認した。
頼もしい背中すぎるんよ。ほんと素敵な役者さん。
出来れば歌も聞きたかった!!

YOASOBIさんの楽曲と「もしも命が描けたら」のリンク具合に驚きました。
しかもかかるタイミングによって受け取り方がまた違ってくるのが凄いな、と。
歌声がまた切なさやもどかしさを増長させているようで、この楽曲じゃないと表現出来ない「もしも命が描けたら」があったように思います。
普通に聴きながらドライブとかしたい。絶対号泣するけど。

清川あさみさんの舞台演出が本当に素敵だった。
満月にも三日月にもなる仕組みだったり、ライティングもそうだけど、あれだけシンプルなセットなのに、場面の情景が浮かび上がってくる感じにただただ感動した。
素敵な演出をありがとうございます!!!

個人的に円盤欲しいなって気持ちが強すぎるし、なによりシナリオブックか小説が欲しくなった。
絶対に号泣するし、胸がズキズキ痛くてたまらないのはわかるけど、これは文字としてみながらも俳優さんたちの芝居を感じたい作品だと思いました。

そして最後に運営様。
配信をしてくれてありがとうございます。
この作品を見ることが出来て、本当に本当に良かったです。

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