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今際の時に後悔するのは何ですか?

どんな人生を送ったとしても「もっとこうしておけばよかったなぁ」と後悔するだろうと思うのです。

著者が毎日寝る前に後悔していることは、「もっと(自主トレで)追い込めたんじゃないだろうか?もっとやれたんじゃないか?」ということです。

これはネガティブ思考というわけではございません。

むしろ自分の可能性を強く信じているからこそ、思っちゃうんですよね。

著者が自主トレの最中に考えるのは大好きな人のことです。

昔は大嫌いな人を考えていた

ちなみに自主トレを開始した初期は大嫌いな人のことを考えて憎しみをパワーに変えてトレーニングをしてました。

でも今はめちゃめちゃ憎たらしいと思える人が存在しておりません。

トレーニングをしているうちに、憎たらしいという気持ちが昇華されていくのです。

というか、昇華されるまで挙げ続けたからでしょうね…苦笑

「もう力が出ないや…」という時は「憎しみも出ない」ということでしたから。

そんなことを繰り返しているうちに憎しみを込めてトレーニングできなくなってしまいました。

憎しみそのものが著者の中から消えてしまったのかもしれません。

その代わり考えるようになったのが、大好きな人のことです。

「大好きな人が悪者にさらわれる、自分がこのダンベル(バーベル)をあげないと、大好きな人が泣いちゃう…。」そのようなシチュエーションを想像するのです。

そうなるとダンベル(バーベル)を上げざるを得ませんよね。

大好きな人の涙なんて見たくありませんから。

そうです、著者にとって「ダンベル(バーベル)をあげる」と言うことはまさしく「愛情表現」になっていったのです。

大好きな人のためなら、自分は精魂尽きるまで挙げ続ける!

「もう挙げられない…無理だ…」からの「挙げないと大好きな人が悪者にさらわれちゃうぞ!?」と自分で自分にハッパをかけるのです。

ヒロイックに酔いしれて自主トレしてました。

でもどうしても最後は力尽きるのです。

そりゃ人間ですから、いつか力は尽きるんですよね。

そうなると夜、寝る前に後悔が訪れます。

「お前は大好きな人のこと、本当に好きなのか?好きだったらもうちょっとやれたんじゃないか?」と。

これは死ぬ前も似たような事になると思うんです。

今際の時に「もっとキミを愛せたんじゃないだろうか…?」と後悔して死ぬ気がします。

しかし、著者はまだ生きているんです。

だからなるべく後悔を減らして生きていきたいです。

著者にとって愛する事は「尽くす事」です。

「尽くす」とは「他人のために精を出す。 全てを表現する。 全部をやりきる。」という意味です。

つまり文字通り「力尽きるまでキミを愛しきる」ことが「尽くす」「愛する」ということなのです。

他人のために全部を出し切ることが「尽くす」ということなので「私はあなたに8割くらい尽くしました〜」「8割くらい愛してます〜」はありえないのです。

100%じゃないとダメなんです!

力尽くまで尽くしてこその我が人生、、、かな、と思っております。

自分の中に眠るキミへの愛情全てを出し尽くしてから死にたいのです。

でも何だか愛情って無限に湧いてくる気もしてます。

(キミのために)無限にダンベルを挙げ続けたい。

いつまでもLOVESONGを作り叫び続けたい。

「無茶な…」と思われるかもしれませんが、出し尽くして死ぬのなら、むしろそれが後悔のない人生ということです。

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