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麗しき毒蛇の復讐 中間章

中間章 純子  

集中治療室の外から仲間の学生刑事を見舞ったあと、尾行に気を付けながら重い足取りのまま自分の部屋へ帰り着き、玄関のドアを開けた瞬間、青山純子は異変に気付いた。
何だ? 何かが……部屋にいる!
咄嗟にヨーヨーを構え、電気も点けずに叫ぶ。
「誰だ! そこにいるのは!」
「待っていたよ、青山純子君」と言いながら、自分で部屋の灯りを点ける一人の男。
「R機関の者か!」
「そうだ」
男が返した言葉を聞くや否や、純子がヨーヨーを男に投げ放つ寸前。
「弟さんは預かっている。妙なまねはしない方がいい」
一瞬、純子は我が耳を疑った。
「何だと……」
「私は一人だ。武器も持っていない。ただし、私の身に何かあった場合、弟さんの命は保証しない」
「卑怯者! 恥を知れ!」
「ついでにもうひとつ、言っておくことがある。暗闇機関における君の担当エージェント、工藤一真(くどうかずま)は死んだ」
男の言葉に、更にショックを受けた純子は、しばし言葉を失う。
工藤一真は、ほとんどのエージェントが殺害されてきたなかでも、R機関からの襲撃を幾度も切り抜け、様々な情報を純子に提供し、助けてくれた。純子がこの世で最も、と言っていいほど信頼してきたエージェントだ。
「まさか……。まさかあの工藤さんが……。貴様! 許さない!」
純子が再びヨーヨーを構える。
「おっと、弟さんがどうなってもいいのかね」
男の言葉に、死にそうなほど悔しそうな顔をしながら、純子はヨーヨーを投げ放つことをなんとか思いとどまった。
「私が今日、ここに来た目的はね、もうこのような君達との抗争を終わらせることなのだよ。青山君」
「嘘を言え! 誰がそんな言葉、信用するか!」
「嘘ではない。我々はボスから命令を受けている。我々には次の仕事が控えている。そのために今の君達との抗争を、一日も早く終わらせろとのことだ。ちなみに次の仕事の場所は君には言えないが、日本とは限らないとだけ言っておこう。この抗争が終わり次第、弟さんは解放する」
「お前達の言うことは信用できない」
「理由はもうひとつ。学生刑事とはいえ、君達高校生を殺害することに、内部から少なからず反発が起きているのだ」
「嘘もたいがいにしろ!」
「昨日も一人、そういう理由で任務に難色を示した者がいた。当然処刑されたがね」
「腐ってやがる……」
「正直なところ我々も早く終わらせたいのだ。信じる、信じないは君の自由。ただ、君の弟さんの命がかかっていることだけは忘れないでくれ」
「……」
「我々の要求は四つ。ひとつ目は、このメモに書いてある、我々が指定する場所に残りの学生刑事全員を連れてくること。理由は、まあそうだな。我々のボスがそこに住んでいる、とでもしてくれ。そこで我々からある提案をして君達を説得する。日時は君達が決定してかまわない。ただし、その日は遅くとも今日を含めた七日以内だ。決まり次第、君が我々に連絡すること。電話番号はこのメモに書いてある。
それと二つ目。指定する場所に君らが着いたあと、我々が現れる前に、雨宮優子から彼女のヨーヨーを奪い去ること。なぜなら、雨宮優子のヨーヨーテクニックは非常に厄介だからだ。特に彼女を怒らせたら手が付けられない。恐らくきちんとした交渉の場ではなくなる可能性が高いと、我々は危惧している。
三つ目。弟さんが人質に取られていることを、仲間の学生刑事または暗闇機関のエージェント、もちろん警察にも誰にも話してはならない。もし話せば弟さんの命はないと思ってくれ。
四つ目。今回の要求に対する受け入れの可否を、〇月×日午後十一時五十九分五十九秒までにこのメモにも書いてある電話番号まで連絡すること。当然拒否した場合、弟さんの命はない。連絡がない場合は拒否したとみなす。その場合も弟さんの命はない。以上だ。」
「お前達の言う提案とは何だ」
「それはこの場では言えない。ただ君達にとって決して悪い話ではない。それに我々には、君らを説得する自信がある、とだけは言っておこう」
「……」
「我々と君達との交渉の場での条件は三つ。ひとつは、交渉の場で我々が君達に危害を加えるようなことはしない。二つ目は、交渉のために、我々は銃を始めとしたいかなる武器も持参しない。三つ目。我々の提案を君らが受け入れ、交渉がまとまれば、弟さんは解放する。ただし、交渉決裂の際は、弟さんの命は保証しない。その場合は二時間後、抗争を再開する。以上だ。よく考えてくれたまえ、青山純子君。 その間、君の弟さんは丁重に預からせていただく。心配しないでくれ。では。」
そう言い残すと、男はあっという間に、ここ三階のベランダから飛び降り、立ち去っていった。

部屋に残された一枚のメモ。
純子の頭はまだ混乱したままだ。
やがて純子は弟がいるはずの親戚の家に、おそるおそる電話をかけた。
「もしもし、純子です。義男……いますか?」
「あら、純子ちゃん。義男君あなたのうちへ行くって午前中に電話あったけど、まだ着いてないの?」
「あ、そうですか。……じゃあ、もし、まだ時間が経っても着かないようでしたら、また電話します。ごめんなさい」

義男がうちに来るって電話を? 元々うちに来るつもりで、途中に連れ去られたか。
そんな話は聞いていない。それとも、連れ去った後で、義男に電話をさせたのか?
多分、こっちだ。
義男がいなくなって親戚が騒ぎ出すのを防ぐために、上手く口車に乗せて電話をさせたのだろう。
親戚の家から私の住む部屋まで、鉄道でもかなりの時間がかかる距離にある。とはいえ、R機関にとって弟の居場所を探し出すのは、それほど難しいことではないのはわかる。
ただ、R機関が学生刑事の身内に手を出したことは、今まで一度もなかったのだが。
いずれにせよ、義男が人質に取られてしまったことは、まず間違いない。

「義男……」
頭から血の気がサーッと引いていく。さっきから指先の震えが止まらない。この現実を認めたくない……。
「義男、ごめん、ごめんなさい。こんな姉ちゃんのせいで、あんたがこんなことになってしまって……」
しばらくの間、ベッドの上に顔を伏せたまま、純子は声を押し殺して泣き続けた。
父親が突然警察に逮捕され、同時に母親が姿を消してからずっと、半分親代わりとして面倒を見てきた弟の、幼いころからの姿を思い出す。

転んでひざをすりむいて、大したケガでもないのにワンワン泣いていた弟。
三日間高熱を出して、ホントに死んじゃうんじゃないかと思うほど、苦しそうな顔をしていた弟。
苦手だったはずの算数のテストで初めて百点を取って、自慢げな、でもちょっぴり照れくさそうな顔で帰って来た弟……。

どのくらいの時間が経ったのか、いつしか泣き疲れ、少し落ち着きを取り戻したところで、純子は改めてあの男が言ったことを思い起こした。

R機関の言うことは信用できない。特に高校生を殺害することに、内部から反発が起きているなどという理由は、完全に嘘だ。
今まで何人ものR機関の工作員の目を見てきた。全員、人殺しを楽しんでいる目をした奴らだった。
だけど、わざわざ人質まで取って、交渉のため接触してくることは今までとは違う。
向こう側の言う、次の任務というのが気になる。
敵の真の目的は何か。恐らくは我々を完全に潰すこと。しかし、早く抗争を終わらせたいという理由は多少あるかもしれない。
今回のことを仲間に伝え一旦要求を吞んだふりをして、仮に敵のリーダーを捕らえたとしても、弟の居場所について、あのR機関が口を割ることはあり得ない。もちろんその場合、弟は助からない。
敵が言う提案の内容とは何か。全く想像がつかない。だが、やけに説得に自信があるとは言っていた。いったい何を提案するというのか?

もし、敵の要求を拒否すれば、確実に弟の命はない、だが、仲間の命は当面は助かる。
でもそこから先はわからない。このままでは、私達がいずれ全滅する可能性はそれなりにある。いや、冷静に判断すれば、可能性はかなり高いと言わざるを得ない。
もちろん学生刑事としての職務を全うする覚悟は、みんな持っている。だけど……。

私はどうなってもいい、弟の命は私の命より大切。
でも、仲間の命も大切……。

敵の要求を吞めば、弟の命が助かる「可能性」が生じる。仲間の命も助かる「可能性」が生じる。
けれど、それはあくまで論理上の可能性に過ぎない。何より相手はあのR機関だ。
可能性……。

ダメ、わからない。私にはわからない。どうすれば……私はいったいどうすればいいの?
ねえ、教えて、工藤さん、工藤さん……。
工藤さん…………。


R機関のボスが住むといわれる邸宅、それは東京から比較的近いある半島の海岸沿いにある、二階建てコンクリート造りの、ちょっとしたビルのような建物だという。
近くの民家からは、やや距離がある。
ボスは普段、工作員達には直接会わず、指示はこの建物に同居する側近に、もしくは電話で行っているという話だった。
建物の海側には、小さな船着き場があり、二艘のモーターボートが係留されている。モーターボートはボスの趣味だと聞いた。
情報では一階の大部分はモーターボートの整備や部品などの保管用の部屋で、ボスは二階の大きな部屋に三人の部下と四人で住んでいるという。ボスは警備も凄腕の部下三人に全面的に任せていて、他に人はいないとの情報だった。
これだけの情報を得るには相当の苦労があったことだろう。だがその情報が純子担当のエージェント、工藤一真によるものだというのなら優子にもわかる話だった。
純子の計画では、突入時に由美が建物の裏に回り、ガラスを割って敵の注意を引き付け、残りが部屋へ突入した後、まず寝ずに起きて番をしているであろう部下を、ヨーヨー技術が特に優れた優子が倒す。残りの二人はみずきと佳代子で倒し、純子がボスの身柄を確保する。
そうしてボスを拉致し、モーターボートで運んでエージェントの工藤に引き渡す予定だった。
モーターボートの鍵は整備室にあるはずとのことだった。その整備室へ入るための暗証番号も、ボスの邸宅の暗証番号も入手した。モーターボート操縦のための免許は暗闇機関の支援もあり五人全員が持っていたが、操縦は最も経験の多い優子が行うことになっていた。
作戦の鍵は、由美の行動とその他のメンバーの突入のタイミングを、いかに合わせられるかだ。
窓側と突入側、相手がどちらと先に対峙するか判断を迷っているうちに、最初の一撃を放ちたい。
そこは文字通り阿吽の呼吸という奴に頼るしかないが、何度も作戦を共にして来た五人なら上手くいくという、何やら確信にも似たものが優子にはあった。いくつかの苦い教訓を経て。
だが作戦に絶対はない。予想もしないことは起こるもの。それだけは忘れてはならない。

東の空が薄く白み始めた頃、五人は半島の海辺にひっそりと建つ、二階建ての建物に静かに潜入した。
入口を事前に手に入れた暗証番号で突破し、由美が裏の船着き場へ回り、残りは二階の大部屋へ向かう。
部屋のドアの前。優子の持つ無線機から、イヤホンを通してカチッ、カチッと二回小さな音がする。由美が持つ無線機で送った準備完了のサインだ。
カウントダウン五秒前になったところで、純子がドアのそばの機械にもうひとつの暗証番号の数字を押し、カウントダウン0に合わせ、確認ボタンを押す。
小さなランプが赤から緑へと色を変えドアが開いた瞬間、「ガシャン」と窓ガラスが割れる音がし、同時に四人が部屋の中に一気に突入した。

何だ?
おかしい……。
真っ暗な部屋に響く足音の反響具合。何より、そこに人のいる気配が……ない!

佳代子が手探りですぐにスイッチを探し出し、部屋の電気を点けた。
窓際にガラス片が散らばった、だだっ広い部屋の中には人どころか、荷物さえ何もなかった。白いカーテンだけが、ひらひらと潮風に揺れている。
開け放たれたドアから見える他の小部屋にも、何ひとつ荷物は見えなかった。
ガセだった? まさか。それとも敵の罠?
敵の待ち伏せがあるかと、優子達はしばらく沈黙して様子を見るが、外の波の音以外、物音ひとつしない。
その時、廊下から足音がし、四人が身構える。そこに由美が戻ってきて、一気に緊張の糸がほぐれた。
由美が部屋の様子に驚く。
「えっ、どういうこと?」
「いったい、どういうことなんだよ!」
佳代子が純子に詰め寄った。
「わからない。ごめん。後で工藤さんに確認してみる」と、純子が首を振りながら謝った。
「まったくよー」
「割っちまったガラスどうすんだよー」
みんな不満たらたらである。
「でも暗証番号は合っていた訳だし、ひょっとして、何らかの理由で暗証番号が外に漏れたことに気付いて立ち去ったのかも」と、あごに手を当てながら優子が言うと、「それは考えられるね。実際私達も知ってる訳だし」と、みずきが腕組みをしながら答えた。
「でも、モーターボートはあったぜ」と、由美の声が加わる。
優子がガラスの割れた窓のカーテンを開き、外を見てみると、二艘のモーターボートが薄暗い海の上で、波に合わせ小刻みに揺れていた。
「急いでいて、モーターボートどころではなかったのかも。係留するにはそれなりの場所が必要だろうし。由美、下に誰かいそうな気配、あった?」
「ううん。かなり注意して見たけど、全く」
由美は肩を落とし怪訝な顔付きで、優子に対しそう答えるしかなかった。
想定外のことは起こり得るものとはいえ、さすがに部屋の中がもぬけのからだとまでは、優子も予想していなかった。
だがいずれにせよ、もうこの場所に用はない。さっさとこの場から立ち去ろうと、優子が皆に呼びかけようとした時、さっきからもぞもぞしていた純子が、側面が開いたままのヨーヨーを持って、優子に話しかけてきた。

「ヨーヨーの側面が閉まらなくなっちゃった。優子のヨーヨー、参考にちょっと見せて」
自分も学生刑事になり立ての頃、一度だけそんな経験をしたことがあった優子は、「えーっ、こんな時に何やってんのよ」と言いながらも素直に、純子に自分のヨーヨーを手渡した。
第一、他人のヨーヨーを見て原因がわかるのかとも思ったが、これまで自分が想像もしない意外な着眼点を度々見せていた純子だったので、彼女がどうヨーヨーを直すのかを、どこか面白がる気持ちも優子にはあった。
優子と自分のヨーヨー、二つのヨーヨーを持って純子が窓際へ歩いていく。
優子のヨーヨーの側面をパカッと開き、じっと見つめていた純子が突然、ガラスが割れた窓から優子のヨーヨーを、目をつぶったまま海へ放り投げた。
「何をするの!」
優子が大声で叫ぶ。外でポチャンと小さな音がした。
すると優子の大声を合図とするかのように、黒ずくめの男達がどっと部屋へ入ってきた。
「何だ! 貴様ら!」
由美が叫び、優子と純子以外、すかさずヨーヨーを構える。
(こいつら、今までどこに潜んでいた? しかしどういうことだ。純子のさっきの行動と何か関係があるのか?)
優子が戸惑いながら男達を睨みつける。
「雨宮君」
一人だけグレーのスーツを着た、敵のリーダーと思われる男が穏やかな声で優子に呼びかけた。
「私はR機関の竹中というものだ。我々は君達と話し合いがしたい。もう、これ以上無益な殺生はしたくないのだ。それと我々は武器を持っていない」と両手を上げる。
「何を言ってやがる!」と、優子がいきり立った声を上げた。その時。
「一度、話だけでも聞いてみようよ」
意外な言葉を優子達は耳にした。口にしたのは純子だった。
「純子! お前何を言ってる!」
佳代子が叫んだ。
(純子、いったいどうしちゃったの?)
優子はますます困惑した。またあの不安が甦る。
「君らのヨーヨーを我々に渡してほしい。そうして、君らは学生刑事をやめ、それぞれの学園に帰る。我々も君らとの戦いをやめ、次の任務地へ移る。それでもうこの争いは終わりだ。君らを任命した暗闇指令はもういない。幹部も全て死んだ。よって、君らが学生刑事をやめることを咎める者は誰もいない。それに我々はボスから命令を受けている。早く学生刑事との抗争を終わらせ、次の任務に移れと。もちろん任務の内容を君達に教える訳にはいかないが、場所は必ずしもここ日本とは限らない」
「ふざけんな! 誰がてめえらの話、信用するか!」
みずきが叫んだ。
「もうやめて!」
またしても、純子の声だ。
「私! もう仲間が死ぬとこ、見たくないの!」
純子の悲痛な叫び声が、広いがらんどうの部屋に響いた。
明らかにおかしい純子の態度を見て、優子の脳裏に、嫌な黒い予感が頭をもたげてくる。
(まさか純子に限って……そんなこと……ないよね……)
「純子、お前の気持ちはわからなくもない。だがな、この桜の代紋は、うちらの魂だ。誇りだ! それをそう簡単に奴らに譲り渡すことはできない!」と佳代子が声高に叫ぶ
「佳代子の言う通りだ! それに死んでいった、ゆかり、綾香、それに安奈、彼女達がどんな殺され方をしたか……」
由美の悔しそうな声が、他の学生刑事達の心をえぐった。
「ああ、そう言えば、そんな女もいたね」
竹中が微笑みながら口を開いた言葉が、優子達の神経を逆なでした。
「テメー!」
すかさずヨーヨーを構えた佳代子が、そのまま投げ放つ姿勢を見せる。
一斉に身構える黒ずくめの男達。
「待て!」
竹中が厳しい声で男達を制すると、目を優子に向け、静かに問いかけた。
「雨宮君。君はどう思う?」
「…………」
「返事を聞かせてもらおう」
「確かに、我々を任命した暗闇指令は、もういない……」
「……」
「だが、然るべき処から任を解かれない限り、我々は学生刑事の任務を全うするまで。それを、暗闇指令を殺した張本人であるお前らの指図に、はいそうですかと易々と従うほど、甘っちょろい覚悟で! 私達は学生刑事を続けてきた訳じゃない!」
「なるほど。では四対一。反対多数で交渉決裂、かな?」
「ちょっと待って!」と、またしても純子の叫ぶ声がした。
「純子、お前どうしちまったんだよ!」
みずきが戸惑い、悲しげな声で純子に問いかける。
「お願い、もう一度よく考えて。お願い! もう誰も……誰も死なせたくないの!」
悲愴な表情をした純子が、皆に呼びかけた。
「何を考える必要がある。お前はそう簡単に桜の代紋を……」とみずきが言いかけた、その時。
一発の銃声が、がらんとした部屋に鳴り響いた。
胸と左肩の間を撃ち抜かれ、みずきがその場に崩れ落ちる。
とっさに、優子の左手はポケットに行く、だが当然ポケットの中にヨーヨーはない。
「クッ!」

「もういいだろう。結論は変わりそうにないしね」
いつの間にか右手に銃を構え、みずきを撃った竹中が、さっきまでと打って変わった気だるい口調で面倒くさそうに言う。
「みずき!」「みずきいいい!」
由美と優子が慌ててみずきに駆け寄った。
真っ赤な血が、みるみるうちにみずきのセーラー服を染めていく。
優子はすぐに自分のハンカチをみずきの傷口に押し当てるが、血はそう簡単には止まらず、みずきの口から苦痛の呻きが漏れた。
「てめええ!」と激しく叫ぶ佳代子がヨーヨーを構え、(次はこいつ……)と竹中が佳代子に目を向けた時。

「話が違うじゃないのおおおお!」

竹中に向け純子が絶叫した。
その声に思わずギョッとした顔で純子を見る、佳代子と由美、そして優子。
(え? 話が違う? 噓……。そんな……、噓……だよね……)
「危害は加えない、武器は使わないって約束したじゃない!」
純子の問いかけに気を削がれてしまった竹中が、銃を脇のホルスターに収めながら言う。
「もちろん私はそのつもりではいたのだが。けど結局ボスの命令でね。自己防衛のため武装させてもらった。君らのヨーヨーは結構厄介なのでね。特に雨宮優子君、君のものはね」
「だから純子をたぶらかして私のヨーヨーを!」
純子の肩を掴み揺さぶりながら、優子が詰問する。
「なぜなの純子! どうして? どうしてあなたが!」
すると、純子が涙を浮かべながら口にしたのは、衝撃的な言葉だった。
「ごめん。でもこうしないと弟が……義男が!」
「弟……」と言ったきり、優子は絶句した。
(ずっと付きまとっていた不安の正体はこれか!)
「そういうことか」
由美が汚いものを見たといった表情で、言葉を吐き捨てた。
「どこまでも性根の腐りきった卑怯者どもめ!」
佳代子の叫ぶ声が聞こえた、直後。
再び竹中がホルスターから銃を取り出す。
その時、一瞬で由美がヨーヨーで竹中の銃を弾き飛ばし、ほぼ同時に竹中の後ろに回り込んだ佳代子が、すかさず竹中の腕を後ろ手にする。
黒ずくめの男達が一斉に銃を構えた。
「待て!」と言う竹中の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「ゆかりや、綾香、安奈を殺したのもテメーだな!」
渾身の怒りを込めて佳代子が叫んだ。
「あれはいい女達だった。もったいなかったな」
「! テメー!」
佳代子の絶叫が部屋にこだました、その直後。
「弟を! 義男を返して!」
純子が竹中の襟元を掴み、悲痛な叫び声を上げた。
「それにちゃんとみんなを説得するって言ったじゃない! 自信があるって!」
「我々はどちらでもよかったのだよ。君達を『武装解除』さえすればね。もっとも私の好みは今の状況だがね。ハハハ」と竹中が笑う。
「そんな……」
「言え! 純子の弟は今どこだ!」と佳代子の大声。
「……」
「黙ってんじゃねえ! 言え!」
「逃げ出そうとさえしなければ、今でも生きていただろうに」
「なにい!」
「あるクルーザーの中で丁重にお預かりしていたのだがね、自分の立場を薄々感づいていたのだろう。隙を見て自分から海へ飛び込んでいったよ。だが陸地からは相当離れた海上のど真ん中だ。今頃は海の藻屑だろうね」
「……」
純子は呆然としたまま、言葉を失ってしまった。
「まあ、もっとも顔を見られた時点で無事に返すはずないのだけどね。ハハハハハ!」
可笑しさを堪えきれずに笑う竹中の声が、がらんとした部屋の中に響き渡る。
「きっさまああああああああ!」
「グアッ!」
佳代子が竹中の腕を思いっきりねじり上げた。
「みんな! こんなところからは、とっとと脱出するよ!」
腕を後ろ手にした竹中を盾にして佳代子が叫んだ。
由美が放心状態の純子の手を引き、佳代子の後ろへ回る。すぐにみずきを抱えた優子がそれに続く。
五人はじりじりと後ずさりをしていった。
今度は一斉に複数の銃声が鳴り響いた。
敵は自分達のリーダーごと佳代子を撃った!
佳代子と竹中がその場に崩れ落ちる。
「佳代子!」「佳代子おっ!」
「優子! 純子! 逃げろ!」由美が叫び、ヨーヨーを敵に投げ放った。
一人、二人と由美が敵工作員をなぎ倒していく。
「優子、早く純子を連れて逃げな」と、みずきがささやいた。
「何言ってんの! あなたも一緒よ!」
「あたしは、もう駄目だ」
「弱気になっちゃダメ!」
「早く逃げろ!」
敵工作員を睨みつけながら由美が叫んだ。
その時、敵の銃弾を受け、由美が仰向けのまま倒れてゆく。
「由美いい!」
「優子。純子を恨まないで。あの子は弟思いの……」と言ったあと、みずきが優子を突き放した。よろめく足を踏みとどめた優子が必死に叫ぶ。
「だめ! みずき!」
「お前ら! ここから先は一歩も通させないよ!」
セーラー服を自らの血で真っ赤に染めながら、おぼつかない足どりのまま敵のいる方へ進み出し、みずきが最後の力を振り絞りヨーヨーを敵に投げ放つ。
だが、すぐに複数の敵の銃弾を浴び、ゆっくりとその場に倒れてゆく。
「みずきいいい!」
優子の悲しい絶叫が、みずきの耳に届くことはなかった。

突然、自分の足元に複数の銃弾が着弾し、優子が慌てて飛びのく。が、なおも銃撃は止まない。床の上を転がりながら、優子は必死に銃弾をかわし続けた。銃弾が風を切る音が優子のすぐそばで鳴り続ける。
ふと、発砲音が収まった。見ると、短髪で見るからに人の血が好きそうな顔の工作員が、スライドが後退した拳銃から空の弾倉を取り外し、予備の弾倉を取り出そうと慌ててポケットをまさぐっている。銃弾が尽きたか。
だが気が付くと純子の姿が見えない。純子、どこへ?
「優子! 早く逃げて!」
純子の声がした方向に、優子は急いで目を向けた。
いた! 一人の工作員に腕を掴まれている。
「純子!」

どうにかして工作員の腕から逃れようと、必死に純子がもがく。しかし、いやらしい目付きで純子の顔を見てニタニタと笑う工作員の腕力は強く、そう簡単には離してくれそうにない。だが、純子は信じていた。
必ずチャンスは来る。
こうなってしまったのは全て私の責任だ。自分の命に代えても、少なくとも必ず優子は助ける。
必ず。

「死ね!」
弾倉を交換し終えた工作員が銃撃を再開し、優子をもてあそぶかのように、わざと優子の体ギリギリを狙って撃ってくる。優子が逃げ惑う姿を見て喜ぶ目は、狂気そのものだ。
他の工作員達はニヤニヤしながらそれを見ている。
優子は必死で銃弾をかわし、逃げ回るが、佳代子、由美、みずきの倒れている姿が嫌でも目に入る。
(だめ、ここで死ぬ訳にはいかない。急いで病院へ運べば、まだ彼女達は助かるかもしれない。それにあんな卑怯者どもは絶対に許してはおけない。何より純子を助けなければ。畜生、ヨーヨーさえあれば……)
だが執拗に追い回され、仲間が流す血に足を乗せ、つい自分の足を滑らせてしまった。
とうとう、優子は部屋の隅に追い詰められた。
優子はその場に、ただ力なく座り込むことしかできなかった。
優子の目の前に突き出されるベレッタの銃口。黒い死の穴が優子の目を覗き込む。
その時、純子を羽交い絞めにしていた工作員が恐怖におびえる優子の様子を見ながら興奮し、さらにじっくり見ようと前のめりになり、腕の力がわずかに緩んだ。
その瞬間、純子は自分を掴む男の向こう脛を、靴の踵で思い切り蹴り上げた。

「お遊びはここまでだ。お前の踊り、面白かったぞ。さあ、貴様も死ね!」
優子の目に、引き金にかかる敵の指が動くのが見えた。
同時に、いつの間にか敵の腕を振りほどいた純子が突然優子の目の前に飛び出し、轟く銃声の後、ゆっくりと崩れ落ちてゆく。
純子を撃った工作員は、思ってもみなかった事態に戸惑っていた。
「やべえ……、あいつのお気に入りを、やっちまった……」
恐る恐る、純子を捕まえていた男の顔色を怯えた様子でうかがう。

「純子! 純子おお!」
優子はただ泣き叫ぶことしかできなかった。
優子の膝元に横たわる純子が優子の顔を見つめ、微笑みながらささやいた。
「ごめんね優子……。わたし……、やっぱり……」
純子の胸がみるみる真っ赤な血で染まっていく。
「純子! 死なないで! お願い! 純子! 純子おおお!」
その時、ガラスが割れた窓から朝日が差し込み始め、純子の顔を優しく静かに覆ってゆく。
「純子おおおお!」

そしてまた鳴り響く、銃声。




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