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姜 在彦「朝鮮半島史」

去年は、社会人として最低限の常識を身に着けようと、苦手な政治・歴史・経済・安全保障の分野について入門を期し、アメリカ、中国、中東、中央アジアと、入口を叩いて来た。今年も教養課程の2年目のつもりで本をあたっていこうと思っている。まずはお隣の朝鮮半島の歴史を勉強しようと本書を手に取った(*1)。やはり読んでよかった。

日本史や世界史を勉強しても、朝鮮半島の扱いはいつも小さく、半島の歴史を半島の視点で眺めることができずにいたが、本書は日本による韓国併合の1910年までではあるが、300ページ余りにわたって朝鮮半島の歴史を紀元前数百年の古朝鮮から概観することができる。300ページでは少し窮屈だったかもしれない。近代にもう少しページを割いて2割増しでも構わなかったのに、と思った。

また、各章冒頭に、日本史と対照できる年表があり、朝鮮半島から見た日本との関係も本文に丁寧にわかりやすく記述されている。欲を言えば、年表にはもう一列、中国史も加えてほしかった。しかし、それは読者が自分で付け加えればよいことだ。より理解も深まるはずである。来月にしてみようと思う。

と書いたところで、「ひょっとしたら」と手元にある1983年発行の帝国書院「新世界史図説」三訂版を、今、再度見てみたらちゃんと年表があった。

世界全体を時代にそって横並びに概観できる年表・高校のときに勉強したはずだ。
帝国書院「新世界史図説」三訂版(1983年発行)

迂闊であった。図説の本文では朝鮮半島は独立した地図・図表はなく、中国のトピックのついでくらいに小さい扱いしかなかったので、ほとんど参照しなかったのだが、ちゃんと年表があったのだった。

一つだけ不満があるとすれば、フリガナだ。馴染みがない人名や地名が多いうえ、現代日本の漢字と同じ漢字でも読み方が大きく違っているし、見慣れない漢字も多い。初出の単語に丁寧にフリガナがふられているものの、その後はフリガナが省略される。これ何と読むんだっけとたびたび前に戻る必要があるし、探すのに往生するときもあった。また、メモを取ろうにも漢字変換に時間がかかる。IME Pad を使うことが度々だった。

ただし、これも学習が進み慣れれば問題なくなるのだろう。韓国語・ハングルを覚えるのもいいかもしれない。

さて、本書「朝鮮半島史」の構成は次のようになっている。

序章「半島的風土」によって山岳・河川と平野などの地理、そして気候といった環境と、領域と行政区分について解説される。第一章は古代(B.C.数百年~A.C. 371年)の建国神話から衛満朝鮮、楽浪郡と馬・弁・辰の三韓の時代を扱う。第二章は372年から645年、高句麗・百済・新羅の三国時代、第三章が654年から936年の統一新羅、第四章が936年から1392年の高麗、第五章は1392年から1598年までの朝鮮王朝の前期、第六章が1598年から1876年の江華島条約までの後期、そして第七章が近代で1876年から1910年の日本による併合まで、となる。

序章だけでも読む価値がある。ついている地図をぼんやり眺めているだけでも様々な勢力の興亡が見えるようだ。

まず、朝鮮半島の東側に海岸線に沿って骨のように走る山脈が印象的だ。西側に向かって半島を横断するように数本の山脈がある。ソウルを通る漢江、ピョンヤンを通る大同江。北部の縦横の山脈を越えた北方に、大陸との境界を形作る鴨緑江と豆満江がある。そして、東側の日本海(東海)、南の玄界灘・対馬と西の黄海(西海)から南西の東シナ海を望むと、地政学で非常に重要な半島であることがよくわかる。

大陸から海に出ようとするとき、反対に海から大陸に入ろうとするとき、どちらの力にとっても、半島は足がかりとなる重要な拠点になるのだ。

古くから様々な北方民族の興亡や移動、中国の勢力拡大と混乱による、そして寄せては引くような日本の勢力拡大の波、それらがぶつかり合う地帯となる。そして、近年から現代にかけては中国とロシア(あるいはソ連)のランドパワーが海へ出ようと南下、それを米英・日本のシーパワーが阻止しようとする構図だ。

その地に住む朝鮮民族の困難さは想像に余りある。

それにしても、こうして朝鮮半島の歴史を朝鮮半島を中心とした視点で辿っていくと、日本が彼らにとってどれほど危険で脅威の国に見えるかかなんとなくわかる。海の向こうで何を考えているかわからない。野蛮な辺境だと思っているといつの間にか圧倒的で組織的な兵力を組織し、古代から現代まで、何度も何度も仕掛けてくる(*2)。

そのような荒波の中で自らのアイデンティティを守るために、保守的な姿勢にならざるを得なかったのだろうな、と、李氏朝鮮以降の改革派と守旧派の血みどろの争いや、仏教やキリスト教の排斥と激しい弾圧の歴史を読むにつけ考えた。また、それが絶え間のない政権内の権力争いにつながり犠牲となった民衆による度々の反乱もあった。

このようなことが西洋の技術や制度を取り入れて近代化していく動きの妨げになったことは想像に難くない。

また、日本は海を隔てて直接シーパワーの欧米の外圧に接した。そして、ランドパワーの中国とは陸続きではなかった。朝鮮半島は欧米の外圧に対しては、中国と日本が間に入っていた。また、中国とは陸続きだ。この地理的要因が19世紀半ば以降の近代化のスピードの差となって表れたのだろうと、本書を読んで理解できたように思う。

さて、今の韓国は儒教の国ではない。外務省の大韓民国基礎データによれば、「仏教(約762万人)、プロテスタント(約968万人)、カトリック(約389万人)等(出典:2015年、韓国統計庁)」だということだ。2015年の大韓民国の人口は5101万人なので、仏教が総人口の15%弱、キリスト教が27%弱、といったところだ。「無宗教」を除くと43%強なので、儒教は1%をかなり下回るはずである。

このあたりの経緯は、本書で扱っている年代よりだいぶん後の話なので詳しくない。19世紀も終わりのころのアメリカが韓国に進出するにあたって、宣教師を送り込みミッションスクールを開き「医療と教育」を進めようとし中でも女子教育に力を入れた、そういったキリスト教が民衆に根をおろしはじめるところまでだ。

アメリカとの関係を考えるうえでも、宗教、とくに土着のキリスト教の理解は欠かせない。今後、韓国の近現代史を探るなかで、押さえておきたいと思う。

2014年12月:ソウル

さて、これまで何社か、韓国の会社とつきあいがあった。一度だけだが韓国には出張で行ったことがある。ソウルと郊外の田舎の町工場を訪問した。12月だったと思う。雪がうっすら積もっていて寒かった。昼食と夕食は、毎日、先方が美味いところに連れて行ってくれた。高級店から街中の食堂や山の中の名店など、毎日違う店に行き、楽しめた(*3)。

2014年12月:ソウル郊外の田んぼ

高級店の焼肉はあまり感心しなかったが、2階建てのバラック小屋のような食堂のウナギが美味かった。店に子供用のプールみたいな桶にウナギがたくさん泳いでいて、それを食べさせてくれる。おろしたウナギを長いまま炭火でじっくりと粗い塩を振りながら両面よく焼き、焼きあがればはさみで切り分けて食べるのだ。韓国でウナギを食べるというのを知らなかったし、ウナギといえば蒲焼、うな丼しか知らなかったので、物珍しかったし、なにより香ばしくて実にうまかった。

2014年12月:ウナギ

また、先方の会社で一日缶詰となった日、「昼食に何が食べたいか?」と聞かれて「トッポギ」と答えたら、それはおやつですよ、と笑われ、私の願いはかなわず、たしか参鶏湯だったか、白濁した牛骨スープが名物の食堂かだったか忘れたが、車を走らせてしっかりとした昼食となった。しかし、その日の午後遅く、ヒートアップした会議の合間の休憩時間、私の目の前に現れたのはプラスチックの容器に入ったトッポギだった。これは美味かった。

町中、看板も何もかもハングルで、さっぱりわからず、また英語がほとんど通じず、往生した。先方の会社には代理店の商社がつけた通訳がいた。通訳の力量がイマイチだったせいかコミュニケーションに膨大な時間と労力がかかった。しかし、技術力は確かなものだったし、自らリスクをとって先回りして進めるスタイルで、関連する小さな会社が連携して仕事を回し、基本的には Say Yes 、納期と約束を守るためには連日の徹夜も辞さない、だから仕事のスピードはとても速かった。

そういったことに感心するばかりだったし、会う人会う人、みな一生懸命でいい人ばかりで反日感情などはまったく感じなかった。ただ単に私がお客さんだったからかもしれない。

仕事は上手くいった。

漢江は川幅が広く、金浦空港からソウルに向かう道は川に沿って上流に向かって行き、細長く都市が伸びているのが印象的だった。今回、本書を読みながら地図をたどりつつ、河口にある江華島も地図で確認しながら、そんなことを思い出していた。


■注記

(*1)本書を購入し勉強しようと思った動機はもう一つある。

妻が韓国ドラマが好きでよくTVで見ているが、年末年始に単身赴任先から自宅に帰ったときに「イ・サン」というドラマを見ていた。第22代朝鮮の国王「正祖」の生涯を描いたものだ。私は普段はテレビも映画も見ないのだが、筋書も役者もいい、知らず知らずのうちにぐっと引き込まれて、思わずじっくりと見てしまった。

Wikipedia イ・サン

高句麗建国の朱蒙(チュモン)も妻が見ていたドラマを横から見ているうちに引き込まれて知ったことも思い出した。

朱蒙〔チュモン〕オフィシャルサイト (jumong.jp)

Wikipedia 朱蒙(テレビドラマ)

韓国ドラマは楽しめるようによく出来ている。

(*2) 倭寇や文禄・慶長の役、さらに19世紀後半から日本が勢力を拡大して進出・「併合」するまでの過程など、読んでいて少々バツが悪く居心地がよくなく感じられるだろう。韓国併合の日で本書が終わっているのも少し後味が悪く感じられる。しかし、そこにいた人々にとっては、それどころの話ではない。都合の悪いことには目も耳もふさぐような姿勢はやめにしなければならない。リアリズムが大事。

(*3) このへんは代理店が全部面倒見てくれる。先方の会社の人もお客が来れば一緒に美味しいお店に行けるので楽しみにしているのだ。念のためだが、もちろん仕事は厳しい。日本からは「どうなっている?結論は出たのか?・・ん、何?何を約束しとるんだ、ドアホ!!」と、ひっきりなしにメールと電話の攻撃だ。海外出張に出て成果の一つもなく帰国したらつるし上げだ。地元の美味しい食事で少し息を抜くくらいは許されてもよいのではないだろうか。

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