火曜日しばらく雑記帳・2024 CW25
仕事を遂行するうえで大事なのはコンセプチュアルなスキルだと人は言う。直面している特定の問題から、いかにして本質的な問題を見抜くかが大事なのだ。つまり、現に目の前にある問題(具象)をいかに一般的な問題(抽象)に結び付けるか、一般的な問題(抽象)をいかに直面している問題(具象)に結び付けるか、それを行き来して深めることが大事なのだ。
そして見出した本質的な問題を解決するべく、適切な課題設定を行う必要がある。その課題に取り組んでうまく解決できれば、問題の根本的な対処がされるというわけだ。
大事なのは本質的な問題を見出すこと、適切な課題設定をすること。
しかし、それを邪魔するのは「自分かわいさ」。
抽象化するには自己を捨てる必要がある。つまり「今、この場所あるいはこの立場で、この私が、何をすべきか」の具象の世界から、「どんな時であっても、世界のどこであっても、どんな立場の誰が取り組んだとしても、すべきことはなんだろうか」という抽象の世界を考えるには、場所を捨て時間軸を捨て、そして自己を捨てる必要があるのは言うまでもない。問題を客体化するためには主体(問題を解決しようとする私)と客体(問題そのもの)を分離し、誰でもない第三者の視点が必要なのだ。
そうして取り組むべき実行編では、「この私が、この場所・この立場で、今すべきことはなんだろうか」という具象の世界に立ち返らなければならない。
抽象と具象を行き来するとは、自分を捨てたり自分を取り戻したりすることだ。いつまでも「自分がどのような自分であるべきか」に囚われていると、抽象も具象にもうまく対処できない。
では、そんな自分・自己を成り立たせるものは何だろうか。時間と場所である。時間とは記憶と期待(希望あるいは不安)だ。場所は、地理的な場所とともに、社会的な位置(自己と他者たちとの関係性)だ。
自分は相手の中にいる。そして相手は自分の中にいる。鏡の中に映る鏡の連鎖のように自分が成り立っているのではないだろうか。
世界を所せましと自転車で駆け巡っている浅地さんが、氏ならではの記事を書いておられたので、貼っておこう。
「この世は舞台、人はみな役者」
いつだって誰だって、厳しい世の中で、情けない自分との折り合いをなんとかつけながら人生を渡っているのではないだろうか。
■とはいえ、季節は巡る。
今年もヤングコーンの季節がやってきた。
初めて食べたのが2015年だった。そのころは珍しかったが、最近はだいぶん入手しやすくなった。
ヒゲが燃えて火事にならないように、グリルの中で温度が低めの手前側にヒゲが来るように置き、なるべく目を離さないように注意する。
焦げたヒゲが香ばしく、甘みが出て美味しいのだ。
毎週のように日常の食事をアップしていると、似たような写真を似たようなアングルで撮影したものばかりでいい加減飽きている向きも多いとは思う。わかっているなら工夫しろよ、という声も聴こえないでもないが、まぁ、いいだろう。
ビーツが季節に入っている。
深夜0時にようやく一息ついて、ひき肉を捏ねてハンバーグを作っている移動体通信系の技術者は世界広しといえども私くらいかもしれない。
昼食は相変わらずやっつけだ。昼は、ミーティングの連続、そんなミーティングの事前準備もあって、追い立てられて、本当に余裕がない。追い立てられないと仕事をしない私も問題なのだが。
父の日に娘夫婦からプレゼントが届いた。
■先週・今週にひっかかった音楽を少し。
1.ZAZの新曲、"Esta Tarde Vi Llover" ピアノにバイオリン、そしてギターのアコースティックな響き、ゆったりとした演奏で、なかなかいいですぞ。
2.ジョン・ゾーンは、多作すぎでかつ各作品のコンセプトも深すぎなのでとてもついていくことが難しい。ギタリストにジュリアン・ラージを迎えての新曲。"The Enchanted Castle" 聴くべし。
ジュリアン・ラージは、ぞっこん気に入っている。
3.レバノンのタリア・ラフード、"Watani Habibi"
4.まだフランソワーズ・アルディ逝去のショックから抜けることができずにいるが、そんな中 facebook に流れてきた写真でこんなのを見つけた。
なんと、アルディが抱えているのはポール・サイモンのアルバムではないか。
次回の "There Goes Rhymin' Simon" がまだ書けずにいる。「忙しい」が言い訳にならないことは理解しているが、来週にはなんとか。
■先週末は京都に帰っていたので、洛北を走るいつものコースを 13.8km。
■しかし、先週、山本由伸選手に痺れたので、そのことを雑記帳に書いたが、その中の一節はこうだった。
まさかその翌日に故障するとは。。。好事魔多し、一寸先は闇、人生山あり谷あり、ということだろうが、まさか想像もしていなかった。
■それにしても、なぜ止めることができないのだろうか。
何度でも言おう、即時かつ恒久的停戦を求める。