見出し画像

眠れぬ夜に人類の起源を想う:山極寿一「「サル化」する人間社会」

先週、内田樹氏の「サル化する世界」を読み始めたと書いたが、すぐに読み終わり、ついでといってはなんだが、京大総長・山極寿一の「サル化する人間社会」を続けて読んだ。タイトルはよく似ているが、問題意識も視点もまったく異なる。


つい昨日 (2020年4月4日)、30歳ほど年上の人生の先輩と話しをする機会があり、本書を紹介した。しかし、まず、予想どおり、「そんな煽りぎみのタイトルがついたような本など内容はたかが知れている、読む価値なし」という反応であった。

内田樹氏の「サル化する世界」は意図するところは前書きに書いてあるし、著者が確信犯としてつけたタイトルであるから、まぁしょうがない。山極氏の「サル化する人間社会」は、どこまで著者の意図があるかはわからないが、本の趣旨や訴えたい内容の一部を切り取ったものとなっている。どちらも、私は、あまりいいタイトルだとは思わない。


だいたい日本の本のタイトルは気に食わないものが多い。売れれればいいというものではないと思う。洋書の翻訳本も、たいてい、装丁も全然違えば、タイトルも内容とまったく違うと思わざるを得ないものが多い。翻訳者や編集者、出版社などの意向がまるだしだ。いや、この点に関しては、単に私がそう感じているだけかもしれない。検証は他の人にまかせる。

内田樹「サル化する世界」の前書きから引用:
この本は「朝三暮四」の狙公の飼ってるサルの思考回路の特性を考究した話から始まります。ですから、正確に書くと「『朝三暮四』におけるサルの論理形式を内面化した人たちがいつの間にかマジョリティを形成しつつある世界について」ということになります。でも、ちょっと長すぎるので、短くしたわけです。
山極寿一「サル化する人間社会」の「はじめに」から引用:
ゴリラには、群れの仲間の中で序列を作らないという特徴があります。喧嘩をしても、誰かが勝って誰かが負けるという状態になりません。じっと見つめ合って和解します。ゴリラの社会には勝ち負けという概念がありません。
(略)
多くのサルはゴリラとは正反対で、まさに勝ち負けの世界を作り出します。サル社会は純然たる序列社会で、もっとも強いサルを頂点にヒエラルキーを構築しています。弱いものはいつまでも弱く、強いもものは常に強い。いさかいがおきれば、大勢が強いものに加勢して弱いものをやっつけてしまいます。

内田樹のほうは、「荘子」にある故事から、サルを「今さえよければいい、自分さえよければよい」という時間や他人に対する視点の欠けた論理を持って言動をする人たち、として象徴的に使っている。

また、山極寿一のほうは、霊長類研究所でゴリラを研究した第一人者であるその知見から、序列なき小さい家族という単位で暮らすゴリラに対して序列・競争社会を構成するサルを対立させている。

山極寿一の本は、ゴリラの本だ。ゴリラの研究から得られたゴリラの社会の特徴と性質を、ときにサルの社会や人間の社会と比較しながら、家族という単位が人間の根本を担う非常に重要な要素である、と解き明かしている。

山極寿一「サル化する人間社会」上の引用部分の続きを引用:
では、人間社会はどちらに近いでしょうか。現代社会はどちらの部分も備えている、と言うのが正しいでしょう。ゴリラのように勝ち負けをつけない感性は、人間の様々な部分に見受けられます。そして、サルのように序列を好むシステムもまた、現代社会には存在しています。
(略)
タイトルとなった「「サル化」する人間社会」とは、私が憂慮する未来の姿をたとえたものです。

さて、人生の先輩には、この点をなんとか説明し、タイトルがけしからん、という話は突破した。

画像1

さて、私が山極寿一の「「サル化」する人間社会」について面白いと思ったことは次のいくつかの点である。

・ゴリラの社会やゴリラの習性・行動原理、また、それと対比されるサルの社会や習性・行動原理というところについて、権威ある研究者による分かりやすい解説により、新な知識が得られた。
・人間がアフリカの熱帯雨林から草原に出、世界中に広がっていく過程で、生物としての人間が、そして人間社会が、どのように進化したと考えられるのか、興味深い考察だった。
・そしてそれぞれの進化のポイントで、ゴリラ社会の特性・家族、という単位が重要な役割を果たしたと考えられることも、私にとっては新しい視点であった。
・さらに、言葉の獲得という人類にとって最も重要な進化にとって、「家族」という単位が関係していると思われることについても、同様に興味深かった。
・このように、私の関心事である、「私とは何か」「私が放り込まれて生きているこの社会とは何か」「私や人類にとって重要な役割を果たしている言葉や理性というのはどのようにして成立し、そもそも何なのか」というような点について、人類の起源をたどって、霊長類の社会の研究成果という新たな視点で整理された、そこが私にとって斬新と思った。

これらの点を、約30歳年上の人生の先輩に、説明した。が、それでも、

「そう、なるほど、君が言ってることはわかったけど、それならなおさら、そんな本は読む意味ないね。」

と一刀両断、いや一刀殲滅である。

「そういう意味で、「サル化」というならわかったが、そんなの現代社会はすでにサル化しているのであって、新しい見地でもなんでもない。」
「そうかなぁ。」
「だって、そうじゃないか。現代社会の根本的な問題なんて簡単だ。それは人間の欲望を開放してしまったことにある。グローバル経済だ、自由競争だと言って、やっていることは、世界中の人の欲望を広く開放してかきたてそそのかし、それをもって自由市場と言い、市場で優位に立つ欲の皮の突っ張った連中が立場の弱いものから収奪して富を集めて貧富の格差がどんどん大きくなっていく。こんなひどいことはない。それを「サル社会」として理解できる、「ゴリラ社会」であるべきだ、なんて解釈してみせたって、なーんの解決策もないじゃないか。まったく意味がない。」
「でもさ、そういう社会になってしまったのは何故なのか根本をたどって新しい見地でとらえ直すことによって、根本的な原因を探り、そこから考えだされる対策案や処方箋は、より確かで変化に強いものになるんじゃないかな。」
「君の言っていることはなーんにもロジックがないじゃないか。何を言ってるんだね。だいたい、トランプとかアベとか見てみろ、(中略)、こんな世の中は間違っとる。ま、いい。じゃ、その本には、どうすればいいって提言してる?」
「未来を憂慮するって書いてあります。」
「そんなくだらない本を面白がって読んでいるのがけしからん。そんなこと言ってるから世の中おかしくなるんだ。」

画像2

戦中に生まれ戦後を生き抜き、近代の日本の繁栄を築いたのは私だ、と信念のある人生の先輩にかかっては、山極京大総長もけちょんけちょんである。

ただ、私は、一見、すぐには役に立たないと思うようなことであっても、それが例えば人の興味と向学心に刺激を与えて、たくさんの人が新しいことを学び、得られた一見関係ないと思われるような様々な知見が結び付くなかで新しいアイディアや社会の問題の解決策が出てきたりするのだろう、と思っている。それには膨大な無駄なことの蓄積と長い時間がかかる。

内田樹の「サル化する世界」のほうはもっと文学者の香りがする。山極寿一のような人類の起源までさかのぼり霊長類社会といった広い視点ではなく、各国の文化や歴史の単位であり、主に近代を中心に考察しながら、現代の日本社会の問題、あるいは教育の問題を論じている。

その中の一節、「AI時代の英語教育について」はよかった。「なんのために教育をするのか」という根本の概念を大事にする必要があること、市場原理にまかせずにその理念に基づいて教育の仕組みを作る必要があること、そして、教育は共同体による教育でなければならない、という指摘、ひとつひとつに説得力がある。

また、結婚論、高齢者問題、貧困問題、雇用問題、もよい。具体的だったり考え方であったり、現代の日本社会の問題に対する提言は鋭いものがある。

国、共同体、共同体としての大事な単位としての家族、内田樹が持つ社会への捉え方は山極寿一の捉え方と共通するところがあるように思った。・・・ちょっと今はうまく説明できないが。。

画像3

さらには、新井紀子の「AIに負けない子どもを育てる」という本も思い出された。こちらは数学者の香りだ。新井紀子はむしろ、もっと短い時間軸の中で言葉の「論理的に情報を伝える」という側面に注目し、今、まさに必要なのは、正確に論理的に言葉を操り読解する力なのだ、という問題意識から、教育改革を論じていた。解決策は具体的であり、かつ、提言だけでなく実行に移している、まさに、まったなし、すぐに役に立つことを実行しなければ意味がない、という切り口だ。

この本の内容について、約30年年上の人生の先輩と語ってみたいと思ったが、また、タイトルがけしからん、というところから始まるのだろうな、と予想している。

三人の著者とも、やはり感じるのは圧倒的な当事者意識である。本当に私たちは、様々な問題をかかえたこの社会をどうしなければならないのだろうか。


まぁ、昨今、なかなか眠れない夜もあるだろう、だまされたと思って読んでみるとよい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?