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能力主義社会の功罪:Michael J. Sandel "The Tyranny of Merit"

12月に2021年の洋書10冊目、スタンフォード大学白熱教室で有名な、マイケル・サンデル教授の "The Tyranny of Merit" を読んだ。

日本語の訳本のタイトルは「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(*1)となっていて本の内容や著者の紹介は、Amazonで検索すればコンパクトにうまくまとまっているので、そちらを見ればよいと思う。(Amazon: 実力も運のうち 能力主義は正義か

去年に引き続きPandemicの困難な状況下、そして、アメリカやヨーロッパの状況を茫然と見聞きしながらだった今年を締めくくるにはちょうどいいテーマの本だと思い、大晦日の今日、底冷えのする雪がちらつく京都から、考えたところを書いて投稿して2021年を締めくくろうと、おととい29日の「2021年の振り返り」でそのように書いた。とはいえ、いろいろ追加で調べたり考えたりするところも多いし、その価値があると思ったので、今回は年末の挨拶のみ、また来週に改めて投稿しようと思う。

本書を読んでみて掘り下げたいと感じた視点はいくつもある。

・カトリックとプロテスタントの教義と歴史
・アメリカで土着化したキリスト教・とくに福音派とカトリック左派
・合衆国憲法
・自身の幸福と利益を各々追求する個人の権利
・競争原理と機会の平等と結果の平等
・民主主義と自由主義経済・新自由主義
・福祉のありかた
・民主主義国家と社会主義国家と福祉国家、大きな政府と小さな政府
・個人と社会の幸福と進歩
・権利と義務
・大学入試制度や学校教育のありかた
・組織の目的と戦略、評価と人事
・社会の分断とポピュリズム
・事実、信念、科学、宗教、虚偽、認識の枠組み、情報..
・専門家の社会における役割
・権威とパワーの分散と集中
・共通善とは何か
・善と正義、公平・不公平
・人生や歴史における偶然の役割

としてみると、来週に思うところを投稿、どころか来週再来週でもまとめきれないように思い始めて来た。まだまだ、わからなければならないことや知らなければいけないことが多い。

2021年は、コンスタントに note に記事を投稿できたと思うが、なぜそのように考えたのか、なぜそのように感じたのか、そのあたりをうまく書けなかったように思う。

2022年も引き続き教養課程の1年、引き続き note をうまく活用して深めていきたいと思っている。上記の反省点をふまえ、新たなアイディアを獲得しながら、短時間にまとめて出力できるように努力していこうと思う。


■注記
(*1) いつもながら、日本語訳本のタイトルや帯のコピーなどにはかなり批判的なのだけれども、このスマートなタイトルは確かに訳しにくい。

Tyrannyは、専制国家とか独裁政治などの意味のほか、(専制国家の権力による)残酷さとか冷酷さ、という意味がある。

Merit は、1. 長所や利点、価値などの意味と、2. 能力や実力、と大きく分けて二つの意味がある。日本語でカタカナでメリットといえば、1 の意味となるが、この Merit は 2 の意味だ。

つまり「能力の専制国家」とか「能力の専制政治の過酷さ」。内容を鑑みてもう少しかみ砕いてみると「能力のみによって支配される社会の過酷さ」縮めてみると「能力主義社会の過酷」とか「ツライ能力主義社会」とかになるのだろうけど、そうなると、タイトルを "The Tyranny of Meritocracy" としなかったのがなぜなのか理由がよくわからない。わからないまま推察すると、"The Tyranny of Merit" ≒ "Meritocracy" ということなのだろうか。

"The Tyranny of Merit" このタイトルでずばりと一つの概念をはっきりと指しているのだとしたら、一言で表せる単語が日本語にないだけなのかもしれない。あるいは、曖昧で多義的な、本書の内容をあれこれ想起させる重層的な言葉の使い方なのだろうか。

私なら「能力主義社会の功罪」という感じにしてしまうかもしれないが、正直、売れないタイトルだと思う。英語のスマートな語感はなかなか表現しきれない。

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