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真剣勝負:宮本武蔵「五輪書」

剣豪の宮本武蔵の書いた「五輪書」、誰もが、その名は聞いたことがあるのではないか。吉川英治の小説、マンガ「バガボンド」や映画、TVなどで知っている人もいるであろう。吉岡一門との京都一乗寺下り松での決闘、佐々木小次郎との巌流島の決闘なども、有名だ。

ときおり、年に2-3度だろうか、五輪書を開いてパラパラと見直す。どこか凄みのある簡潔で質実剛健な内容は、自分に厳しくプロフェッショナルであれ、と、気が引き締まるところがあるからだ。また、兵法というのは、仕事を遂行するにあたって、共通する部分があるものだ。たまに見直すと発見やなるほどと思うところも多い。

ただし、学びを得よう、仕事の役に立てよう、などという目的を最初からもって読むと、ちょっとがっかりするかもしれない。このPHP研究所の版は「人生に克つためのヒント」と副題がついていて、原文とともに、節ごとに現代的な小題、現代語への意訳と、副題の趣旨に沿った気付きや学びの解説とがついている。しかし、この解説は少々こじつけ気味のように私には見える。

どんな本や記事からでも、壁の落書きからだって、なにかしら学びや気付きはあるものだ。だが、本を読んで、人生のヒントとかビジネスに役立つ学び、自己研鑽や気付き、教訓、そういったことを引き出してみて、出典の本や著者、そして発言者の権威や影響力などから切り離してみると、意外に平凡な内容で、巷のビジネス書やノウハウ本に書いてあることと同じ、となってしまい勝ちだ。結局のところ、自分がすでに持っているもの、知っていることを、その文章に投影して、納得しなおしているだけであることが多いのではないだろうか。

とはいえ、和漢混淆の古い文語を読むのは少々荷が重いが、本書は、そんなわけで、誰が手にとっても読みやすいように構成されている。ページ数も少ない。人によってはいろいろ参考になる部分もあるだろう。一度は手にとって読んでみるとよい本だと思う。

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以下、簡単に内容を紹介しておく。

五輪書に記されているところによれば、宮本武蔵は、13歳にして初めて勝負をし、新当流の有馬喜兵衛という兵法者に打勝って以来、諸国諸流の兵法者と60回以上も勝負し、勝って勝って勝ちまくり、30歳をこえたころに、「自分はたまたま才能に恵まれていて、また、他流の兵法が不足しているから、これまで勝ってこれただけなのではないか」と考え、道理を得んと朝鍛夕錬して50歳にて兵法の道を確立し、後はゆうゆうと、絵画や書を含むいくつもの芸を極め、歳月を送ったという。

兵法の利にまかせて、諸芸、諸能の道となせば、万事に於て、我に師匠なし。今この書を作るといへども、仏法、儒道の古語をもからず、軍記、軍法の古きことも用ゐず、この一流の見立、実の心をあらはすこと、天道と観世音とを鏡として、十月十日の夜、寅の一点に、筆を把りて書き初めるものなり。

一芸を極めるものは多芸に通ず、というまさにそのことだ。

その言葉が一般的に通用するかどうかはわからない。支持する例もあれば、反証も枚挙にいとまがないだろう。しかし、私が想像するに、武蔵の場合は、何かを習得するのに必要な集中力や忍耐力、あるいは自らを律する心構えが、自然と身についているのだろう。そして執念である。何事も、すべての面において勝つ、勝ちきる、という真剣勝負の執念を持って学ぶ姿勢が自然と身についたのだろう。

また、剣術の鍛錬を究め、身体を自由自在に操ることができるようになっていれば、様々な道具を自分の一部のように使えるようになるまで速いだろう。さらに、また、生死をかけた決闘につぐ決闘、真剣勝負の中で、相手の動きに対する鋭敏な観察力が鍛えられたのではないか、とも想像する。絵や彫刻の対象物を観察し本質をとらえるために、そして自分の作品の中で表現して仕上げるためにも、また、人から学んで鍛錬するにも、観察力は非常に大事だ。

英語の習得を例にとってみよう。

時間をいくらかけても、なかなか上達しないのは当たり前である。別の言語で、単語も文法も違う。これはおぼえて自然に出てくるまでがんばるしかない。人間の頭はザルのようなもので、次から次へと忘れていく。どうすればよいかというと、忘れる以上に突っ込むしかない。

集中力と忍耐と日ごろの鍛錬を怠らないこと、どんな人にも負けない、という気迫が必要である。

発音もまったくことなる。唇、舌の使い方など、使う筋肉が違えば、呼吸の使い方も違うし、声の共鳴のさせかたも違う。

そして、何をおいても相手が何を言っているのか分からなければ返事もしようがない。そのためには、まったく異なる音の組合わせや音の高低の変化を聞きとれる必要がある。

どのように人がしゃべっているか、口の動きや呼吸、リズム、そしてジェスチュアや表情の動き、相手の発する母音に子音、音の高低、その他、このようなことの観察力があるかないかで、上達はだいぶん変わる。そして、自分の学んだことをしっかり発話して実践できるためには、身体を自由にあやつれることが大事だ。

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さて、ビジネスや仕事へのヒント、というと、五輪書には、いかに敵に打勝つか、武蔵が実(まこと)の道を追及したという「兵法」が記されている。次のような点を心がけることが大事だとする。

・とにかく先制攻撃が大事。先手先手を常に打つこと。
・どのようなことにも拍子がある。リズムをつかみ、崩し、その虚をつくようにすること。
・勝つためにはどんな手段もいとわないこと。卑怯も正々堂々もない。
・声で威嚇する、わざとゆったりと構える、相手をだます、相手の心理の隙をついて焦らせる、考えられるあらゆる手段をとること。
・そのためにも相手をよく知ること。
・大勢の敵を相手にするときは端から順番に追い回すように片付けること。
・完膚なきまでにたたきのめし、一瞬の隙も与えず、とどめをさすこと。
・朝鍛夕鍛、千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする。己を磨くこと。
・練習も、とにかく相手をたたき切る、人を切り殺す、という真剣勝負でのぞむこと。
・敵を切るのはシンプル、初段も秘伝もない。王道あるのみ。

また、兵法を学ぶにあたる法としては、次の9点が重要だとする。

・邪心を持たないこと。
・ひたすら鍛錬すること。
・様々な芸事にもふれること。
・様々な職業も知ること。
・ものごとの損得をわきまえること。
・ものごとの目利きができるようになること。
・目には見えないことも洞察すること。
・細部に気を配ること。
・役にたたないことをしない。

兵法の道に於いて、心の持様は常の心に替ることなかれ。常にも、兵法の時にも、少しも替らずして、心を広く直ぐにして、きつくひっぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬ様に、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなもゆるぎやまぬ様に、よくよく吟味すべし。

とにかく、個人としては、心、技、身体すべてにおいて人に勝つことが大事。組織としては、善き人をもつことにおいて勝ち、人々を使うことにおいても勝ち、身を正しく行うことにおいても勝ち、国を治めることにおいても勝ち、人民を養うことにおいても勝ち、法律の施行においても勝つ。以上のように、すべての道において勝ちきることによって自らを助け、名誉を大事にできる、とする。

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さて、この世界は幻か、それとも現実か。私にとって仕事とは、戦う意味、やる価値はあるのだろうか。剣術とはなんだろうか。世界への貢献度は?戦いとは、敵とは何か、自分とは?


そういう問いは武蔵にとってはまったく問いにならない。真剣勝負とは、文字通りに真剣で勝負をするということで、負けたら、切られたら、即ち、本物の死に至るのだ。生きることは敵に打ち勝つことである。

敵とは何か。私の生存を脅かすものはすべて敵である。敵は、私を侵略しようとする。私が存在していることを認めているのである。私を攻略しようと私のことを研究しているに違いない。身内よりも私のことを理解しているかもしれない。

私が理解できない相手、私を理解できない相手、そういうものたちは敵にはなりえない。

かくして、自己の存在に対立するものとして敵がいることで自己の存在は確かなものになるのだ。敵と自分を区別して自分を敵からも守るためには、敵も自分も認識できなければならない。そのことによって自己と他者との境界をひくことができるのだ。・・・強引に、免疫系の話に通じるところに持ってきたが、別の機会に譲る。

「五輪書」の範囲を大きく超えてしまったかもしれない。今回はこのくらいにしておく。

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