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マジック・タッチ:スタンリー・ジョーダン

1985年ブルーノートからリリースされたこの人のデビュー・アルバム "Magic Touch" を聞いたときは、かなり魂消た。確かに、タッピング奏法ということなら、あのころエディ・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法がマイケル・ジャクソンの "Beat It"でかなり有名にはなっていたし、それまでも一台のギターで伴奏とメロディを両方とも弾いてしまう人もいたけれど、この人はちょっと違う。

あたかも2台のギターを弾いているかのように、ピアノのように、伴奏とメロディが独立してなっているのだ。しかも聴いているとオーバーダブではなく同時に弾いていることがなんとなくわかる。それもそのはず、両手で一本のギターを弾く。

「両手で一本のギターを弾く」と書いたが、「へ?それって普通じゃん?」と思ったかもしれない。この人の奏法は普通ではない。右手と左手それぞれの指でピアノのように指板を叩いて(タッピング)演奏する。自由自在だ。

しかも、実際、この人は、2台のギターを右手と左手でそれぞれ一度に弾くこともできる。1990年のライブ音源が YouTubeで視聴できるが、有名なスタンダード「枯葉」、アップテンポでタイトでスリリング、エネルギッシュで素晴らしい演奏だと思う。

さらには、左手でギター、右手でピアノ、というのもある。


なら、素直にピアノ弾いたらいいんじゃない?というツッコミはさておき、ギターの音色とノリもよくて、ギターはやっぱり自由で奔放な楽器だな、と嬉しくなる。

ただ、こういう人は気の毒で、人気が出てくると、「サーカスじゃないんだから」とか「テクニックはともかく歌心が足りない」とか「誰それと比べて創意と深みがない」とか「演奏そのものはオリジナリティがない」などと評論されがちだ。私が思うに、十分に、いい曲をいい演奏で弾くし、よくギターもよく歌っているし、一度聴いたら忘れないオリジナリティがある、と思うのだが、気の毒としか言いようがない。しかし、凄腕ミュージシャンが背負わなければならない宿命なのだ。

その宿命につぶれてしまう人もいれば、軽々と乗り越えて伝説を作っていく人もいる。

1990年前半以降、私もあまり聴かなくなってしまい、数年前からまた、たまに懐かしくなって、聴くことが増えたのだが、いつの間にか顔つきがガラっと精悍になっていてびっくりした。デビューから数年の若くて華々しい時代から、それほど多くのアルバムを出してはいない。どのようにキャリアを積んできたのか、どのような思いで来たのかは私は、全く知らない。しかし演奏は、昔と比べて少しリラックスして力が抜けた感じになったように思う。

2011年リリースのアルバムが一番最新のものだろうか。これも彼らしいなかなか良い演奏が揃っている。ジョン・コルトレーンの Giant Step もいい感じだ。


私はつい最近まで知らなかったのだけど、変則チューニングらしい。通常の EADGBE ではなく、EADGCFと各弦の間がすべて4度になっている。この点について、Nelson Fariaの動画で経緯も含めて話をしているのが聴ける。

ちなみにこの人も(*1)、アル・ディメオラが発掘したということだ。冒頭に紹介した Magic Touchもプロデューサがアル・ディメオラだ。ストリートで演奏しているスタンリー・ジョーダンに偶然会い、聴いた瞬間にこいつは凄いと、デビューさせた、と、どこかで読んだか、聞いた覚えがあるのだが、これはウラがとれなかった。ガセネタかもしれない。

英雄、英雄を知る。一流の人は一流の人を見る目があるのだ。



■注記

(*1) 私はアル・ディメオラの大ファン(地上にいる神様の位置づけ)なのだけど、特に狙ったわけでもなくても、こうして関連があることを後から見つけることがあり、たびたび、アル・ディメオラが登場することだろう。だから、「この人も」と「も」をつけた表現になっている。





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