世界は「依存」でできている、のかな?

最近のGoogleはトレンドを見るだけで気が滅入ることも多いですが、気になったことがありまして

某大学スポーツ団体やら俳優やらが逮捕されて散々危険性が喧伝されているのに何で?と思い少し調べてみたところ、大麻中の成分がてんかんの治療に有効であり、その成分を使用するために医療で使えるようにするとのことです。

一方で「大麻の有害性はタバコより低い」とか「解禁は世界的潮流」といった主張もあり、はて本当かと調べてみたのですが、納得のいくのは群馬県より


合法化論者というのは、どうも「医療目的」ならば嗜好品としての利用もと近藤しているようです。

ADHD対症療法薬の騒動

この件で思い出してしまったのが、注意多動性欠陥障害、通称ADHDの対症療法薬をめぐる騒動です。
かつては「リタリン」と呼ばれる薬が使われていました。この薬は覚醒剤的な作用をするとのことであり、乱用が指摘される一方で当時はADHD初め発達障害への認知度が低く(発達障害の大人はいない、という定説でした)そのような状況下で障害による生きづらさを抱えた人は、数少ない選択肢としてリタリンを使用して何とか社会適応していたんだ、という主張を当事者のHPで読んだことがあります。

一方でこのリタリンの存在が知られてくるにつれて、合法覚醒剤やレクリエーションドラッグとして入手しようと考えたり、またそういった人へ徒に処方してしまうようなWebサイトの記事や医療機関の問題が報道されて、処方に厳しい規制がかかりADHDでは使用できなくなりました

その後、成人向けADHD治療薬は5年ほどおいて依存性の少ないと言われるものが認可され、研究や社会的啓発も進みましたが、その間に手段のなくなった当事者たちはどうやって生きてきたのか、とか考えるとやはりリタリンを乱用目的で入手しようとした人やそれを拡散した関係者への怒りという感情を持たざるを得ません。

今回の大麻の件もまた、そのような乱用を誘発する喧伝によって治療に必要な人に届かないなんてことにならないか、正直不安となります。

ヤッカイ なことに

さて、リタリンが規制されても他の物質に依存先を求める人はいるもので、いわゆる「脱法ドラッグ」の流行とそれを「規制物質」に指定する当局のある意味イタチごっこのような状況は続きます
その結果、獣医師が麻酔に使うケタミンや料理などにも使われる亜酸化窒素も規制され、色々なところで支障が出ていると聞きました。
さらに、学生が研究目的である物質を合成しようとしたところ、規制物質であるためにその研究を諦めざるを得なかった、という話もあったようです。
イタチごっこで撒き散らかされた何やらでどんどん被害が広がっている印象があります。ほんとに何やってんだアホたわけ!と叫びたくもなります。

それでも人生に「依存」は必要

では「依存」は悪であるかといえばそうではなく、たとえば趣味にお金を使うとか、誰かに話を聞いてもらうとか、いつも甘いものを食べるとかお酒を飲むとか、そういったことに自分も「依存」しているよなと思います。
逆にそういったことを無くしてしまえば、人生の質が低下してしまう、そう思います。ある意味「生きがい」ということなんだと思います。

とはいえ、度が過ぎると

しかし、社会生活に影響を与えるようなレベルになってしまうとやはり問題であると思います。周囲に危害を加えるようなことがなくても「鉄道模型を買いまくったから、今月は3日一食」とか「動画編集の方が大事だから仕事には行かない」のように生活がままならなくなるレベルになってしまうと、やはり大きな問題かと思います。さっき話したADHDの人は生活のために対症療法薬を飲んでいたのですが、それを依存目的で利用して生活がままならなくなる人がいた、何というか皮肉といえばいいのかわかりませんが。

依存しないとやっていけない?

そういえば昔独身寮にいた時、毎日のように泥酔して周りに絡んでくるような人がいました。その人に何故か気に入られたのかよく絡まれていていい印象はなく「早く寮を出ていけばいいのに」と思っていました。
その人がふと「しんどい、寂しい」と時折ぼやいていることがありました。ひょっとしたら自分の身の上で相談できる家族も親族もいなかったのか、だから泥酔するまで飲んでいるような行動に走ったのかな、とも今更ながら考えます。ただし、他人に迷惑かけて飲んだくれるのは大人としては何だかなと思います。

他にも鉄道模型に対して毎月買うくらいにお金をかけているのに、それ以外には無頓着無関心で、段々と自己中心的な発言を繰り返して周囲から距離を置かれていった人とか、あるいは宗教やスピリチュアル的、個人崇拝のようなことを言い出してドン引きされていったような人やら、それなりにまあ色々と「ある種の依存症かな」と思う人をあちらこちらで見かけてきました。

そういった人に共通しているのが先ほどの泥酔おっさんのように「寂しい、しんどい」というような本音を抱えながら、吐き出す場所もない、感情の置き場がわからない、だから何かに依存して忘れようとしてしまうのかな?とも思いました。
だからといって他人に迷惑をかけたり、価値観を押し付けたり、公然と侮辱をすることが許されるわけではないですし、側溝程度の心の広さの僕では到底受け入れられませんが。

なんかこういった「依存によって生きづらさを紛らわす」ような生き方しかできなかった人が多くいるのが、現在の日本社会ではないかと思います。
大麻もですがストゼロ系高アルコール飲料、高カフェイン高糖質のエナドリ、あるいは「推しビジネス」のように孤独な人をその気にさせてしまうようなやり方が公然と流通してしまうのを見ると、そう考えてしまうのです

「何故こんなことになってるんだろう」
依存先への規制の前に、何が問題なのか、規制することで本当に困る人が出てくるという「科学的」な見地での議論とか、そういうのがまず必要なんじゃないかと思う最近なのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?