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特養の看取りー利用者の死をどう考える?

看取りの経験

特別養護老人ホームで働いていると、利用者の死に立ち会うことが必ずあります。人の死に向き合うことは、初めは戸惑いや不安だらけ。気持ちがしんどくなることもあると思います。

お亡くなりになるのは、12月・1月・2月が多い印象です。冬の寒さが体にこたえて、冬を越せない方が出てくるためです。平均して3か月に1人ぐらいでしょうか、自分の担当部署で、利用者が亡くなっていたように思います。特養全体だと、1か月に1人の割合でお亡くなりになっていたでしょうか。

亡くなる時間帯は深夜帯や明け方が多かったです。(なぜかはわからないのですが)昼間に亡くなるケースはあまりありませんでした。一人の利用者が亡くなると、つられてほかの利用者も亡くなるケースも何回かありました。重なるときは重なる印象で、誘われるのか、つられるのか、手を引かれるのかなと思っていました。

夜勤帯、ユニット型特養は、一人夜勤です。一人で死の瞬間に立ち会うことは、不安だらけですし、心細いです。連絡すると看護師さんが来てくれますが。

亡くなった後、エンゼルケアをします。看護師メインで、棺に入れる準備をします。仏衣、顔の化粧をします。夜間や朝亡くなると、その日の14時・15時には出棺、最後のお別れです。


利用者が亡くなると、次の利用者が入居されるわけですが、次の利用者が入居されるまで、時間はありません。早くて2日後に新しい利用者が入居されるからです。遅くても4日後には入居します。特養の入居待ちの方が多数おられるためです。

なかなか死をゆっくり偲ぶ時間はなく、次の入居に向けて、部屋の片づけと清掃など受け入れ準備をしないといけません。ケアプランやアセスメント表の確認、新しい利用者の情報から、施設でのケア方法やケアスケージュールを作らないといけません。そのため、利用者が亡くなるとけっこう忙しくて、残業になることもあります。


老衰で亡くなるとは?

最初は、食欲の減退です。食欲が少しずつ落ちていきます。しだいに食べられなくなります。次に、体に水分が溜まってしまい、浮腫の状態になります。体がどんどんむくんでいきます。水分の吸収や排出ができず、尿量が減少します。細胞がエネルギーを生み出すことができない状態です。体温低下・血圧測定不能になると、あと数時間から1日というところです。

老衰で死ぬというのは、平和な社会の象徴なのかもしれません。長生きできる、90歳を超えて生きることができたら大往生ではないでしょうか。

老衰死は死因3位で、1位はがん、2位は心疾患(脳梗塞等)です。病気や事故等のリスクをくぐりぬけて、最後まで人生を全うされたということは尊いことだと思います。人生さまざまな苦しいこともあるでしょうから、寿命を全うすることの難しさを感じます。https://www.asahi.com/articles/ASM7B77P7M7BULZU01M.html



介護職として、利用者の死をどう考えるか?

利用者は、日常を一緒に過ごしてきた関係なので、亡くなる際にはいろいろな思いが浮かぶと思います。あんなことがあったなとか、あの時はしんどかったな、とか。利用者もいろいろな方がおられます。性格がちょっと難しい人、介護拒否や暴言があった方だと、苦しかったケアの状態から解放されたとか、正直ほっとしてしまうこともあると思います。でも、それも含めてのその人です。入居されてからずっと日常生活を支えてきた。この人の、このいのちや人生に向き合って、「これでよかったのかな」「この時にもっとこうしていたらよかったのかな」と迷ったり、気持ちが揺れ動くことがあると思います。


私の場合は、その人が存在したこと、生きてこられたことを忘れない、ということを意識していました。もちろん亡くなったのですから、生物の個体としては、いなくなりました。しかし、人生の最期にかかわったということ。一緒に過ごしたということ。それを忘れないようにしたい。心の中に閉まっておくように意識していました。その人の顔は忘れないようにしたい、名前もずっと覚えておきたいと思っています。家族や介護職など、その人の心の中にずっと生き続ける感覚でしょうか。生物としては亡くなっても、社会的な「生」は、まだあるのではないか。逆に、みんなの心の中から消えてしまえば、完全に亡くなったということでしょうか。


この人は亡くなった。でも、この人が教えてくれたことって何だろうか、と考えたりします。この死を活かすといったら変かもしれませんが。この人の死を通して、自分自身に何が問われているのだろうか自分がこの仕事をしている意味を考える時間になるというか。穏やかな死とはなにか。人の尊厳とは何かとか。改めて考える機会になります。考えているテーマは重いけど、なんだか前向きな気持ちになれる。亡くなったその人が、そっと自分の背中を押してくれている、そんな気分です。


職業人として、利用者の死への向き合い方

特養介護職は、人の死が身近にあって、人の死の瞬間に立ち会って、人生の最期に向き合う仕事です。ここまで読んでみて、いかがだったでしょうか。誰でもできる仕事ではない、私にはできないわ、と思われる方もいるかもしれません。


ただ、仕事をしているうちに、少しずつ利用者の死に慣れていくと思います。しかし、慣れすぎて無感情、何も感じなくなるのもよくありません。しかし、感情移入しすぎて苦しくなるのもよくありません。ほどよい距離感というか、適度な感覚を持つことが大事かなと思っています。


特に若い人や新卒の人は、利用者に感情移入しすぎてしまうとか、死と向き合えないとか、看取りがしんどくて離職してしまう人も、少数ですがおられます。

ここで、大事なのは、プライベートとは違うということです。自分のおじいちゃん・おばあちゃんが亡くなったのとは全く違うということです。プライベートとの線引きを明確にしないと、自分のメンタルが苦しくなってしまいます。突然死の悲しい死ではないんだということ。大往生の死とうまく付き合っていくというか、人生を最期まで全うされたことへの畏敬の念で送り出すというか、そういう気持ちが持てるとよいかな、と思っています。


仕事としてかかわっているという視点は、大事なことです。(ビジネスの関係でしかないと、ドライになりすぎるのもよくないですが)。仕事での関係ですから、利用者が亡くなれば、あくまでそこで社会関係がなくなります。社会通念上、法律上の契約関係です。ですから、施設や病院の職員は、利用者の葬式には行きません。というか、行ってはいけないことになっていると思います。

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