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読書感想【AIが神になる日】

これまで人間は,自分自身が主体となって様々なことを決定できる「民主主義」と「資本主義」を体制に組み入れてきた.

問題はあるものの,それ以上のシステムがないため,それぞれの欠陥を受け入れてきた.私は今のところ不満はないが,全員がそうではないだろう.

著者は,これらのシステムの欠陥が露呈しつつあり,安住していられる状況ではないと指摘する.

もちろん人類の課題は「民主主義」と「資本主義」だけでない.核兵器で偶発的に自らを滅ぼしてしまう危機に対する管理する能力は,ほとんど進歩していない.

そこで著者は,このような難しい局面の解決策として,シンギュラリティーに到達したAIに任せることを提案している.もちろん,AIは人間のコントロール下にない状態だ.


確かに「民主主義」のかわりとして,古代ギリシャの哲学者プラトンが考えた哲人政治を,AIに行わせれば良い.

「資本主義」は,AIが政策ごとにどういう人が利益を得て,不利益を得るか分析し,最大多数の最大幸福モデルを作成・提示すると,不満はより少なくなるだろう.

「軍備管理」が一番実現に苦労すると思うものの,AIにシステムを管理させれば,偶発的に滅ぶことはないように思える.


人間にとって重要な判断をAIが下すことに対して,不安に思う人もいるだろう.しかもAIが人間のコントロール下にないなら,不安もより大きいものとなるのは容易に想像できる.私もその一人だった.

しかし著者は,悪い人間や愚かな人間(ヒトラーやスターリン)がAIをコントロールする危険性を考え,AIを人間の手に届かないところに隔離させるべきと提案している.

そして重要な点はAIの思考の基礎を考えることであり,「科学力」と「深い哲学的考察」を考え抜く必要性を指摘している.

もしシンギュラリティーによりAI自身が進化していけるなら,人間がコントロールする理由が減るので,著者の考えに納得できるし私は賛同する.



さて,AIが進化し人間にとっての「理想郷」が完成すると,我々はそれで「幸せ」になれるのだろうか.

著者は「退屈」を感じ,その「退屈」を「不幸」と感じるだろうと予想しているため,今から「人間らしさを大切にする」ことを提案している.

特に「より高い成果に対する挑戦意欲」と「競争相手に勝ちたいという闘争精神」を満たすスポーツの重要性を説いている.


私はスポーツだけでは足りない気がする.能楽,茶道や華道といった永遠に満たされない文化的なものでも,人間の欲望を満たす必要があるように思える.

実際江戸時代には,能楽,茶道や華道で欲望を満たしていたとされる(「歴史の終わり(フランシス・フクヤマ)」で指摘されていたことだ).

(将来生き残る人間がスポーツマンだけなら,スポーツで間に合うだろう.そんなことはないと思うが....)


人間の「退屈」を解決するヒントとして,平和な時代だった縄文,弥生,江戸に注目するなら,何も出来事がなく,つまらない時代と簡単に片づける行為は少々もったいない気もしてくる.

AIが進化した先の世界に,日本の歴史が重要なカギになるのなら,非常に興奮するものだ.



※今のAI技術は機械学習なので,自ら進化するのではなく,インターネット上のデータベースから質問に合わせて,答えを持ってきているにすぎない.シンギュラリティーが起こるためには,より技術的な課題があるのだろう.



以上.

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